VOICE for FUTABA トークイベント《レポート》 前編
2021年度の活動の締めくくりとして、2022年2月20日(日)に双葉町産業交流センターでトークイベントを開催しました。これまでのトークセッションでお話しいただいた町民の方々に参加いただき、双葉町の復興や今後の活動について話し合いました。この記事では、トークイベントの模様をダイジェスト版で紹介。前編・後編に分けてお届けします。
▶トークイベントのオープニング映像
【参加メンバー】
・福田 一治
・中谷 祥久
・澤上 晶
・松永 直人
・加藤 佑規
・高崎 丈 KIBITAKI代表
双葉町出身。本プロジェクトの発起人。元「JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき」のオーナーで、2021年に株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立。
★当日会場にお越しいただけなかった方にもオンラインで参加いただきました。
双葉町の復興とは?
高崎 今日はお集まりいただきありがとうございました。このVOICE for FUTABAの一年間の活動を通してさまざまな方とお話をする中で、町民の声を聞く場がないということを改めて感じました。町民の方々の想いが行政や双葉町の復興に関わる方に届いてほしいと思っていますし、そのためにも今日はみなさんの率直な想いをお聞きしたいと思います。
みなさんは双葉町の復興について、今どのように考えていますか?ちなみに、僕は復興のために行政の仕組みを変えたいと思っています。これからの双葉町を担う世代のことを考えると、従来のような縦割りの行政であっては、若い子たちがやりたいことを叶えていくのは難しい。僕らが行動できるのはあと20〜30年なので、そのあとも復興への熱を絶やさないためには、行政の仕組みを変えることが一番だと思っています。町民が求めることに対応できる仕組みをつくり、町民がそれに満足すれば、町の魅力が口コミで伝わって新たな人が双葉町に移住してくる流れができるはずです。
福田 私は、復興は双葉町の町民の手で進めていくのが正しい形だと思っています。昔の双葉町を全然知らない人がやってきて復興するのは、ちょっと違うのかなと感じています。そして、私が復興に必要だと思うのは、幼いころに双葉町に住んでいた若い世代に復興に興味を持ってもらうことです。若い世代が復興に意識を向けてくれたら、復興は加速すると思っています。
中谷 昔の町民が双葉町に戻って生活をすることを復興だと考える人もいれば、他の地域から多くの人が移住してきて町が盛り上がることを復興だと考える人もいると思います。復興への考えは、人それぞれですよね。それでいいと私は思います。
加藤 僕は大学院で建築を学んでいるので建築の観点から話すと、物理的なものをつくることが復興ではないと思います。庁舎や住居が新しく建設されても、それだけでは復興とは言えません。そうしたなかで、復興はずっと完成することがないものだろうと感じています。僕たちにとって一生の課題になるテーマなのではないでしょうか。
澤上 私は双葉町で生まれ育って、「人が温かい町」という印象がすごく残っています。人と人のつながりが大切にされていた故郷が、そのまま戻ってほしいという気持ちが強いですね。それが私にとっての復興です。だから、もともと双葉町に住んでいた人が戻ってきて、また温かい日々を送れることが一番です。ただ、双葉町について多くの人に知っていただき、何度も訪れたいと思える町をつくっていくことが、双葉町の復興につながっていくのかなとも思っています。
松永 新しい企業を誘致して、大きな企業が双葉町に来てくれればそれが復興なのかと言ったら、それは違うと思います。昔の双葉町にあった良さが戻り、町民たちの心が戻れる場所ができてこそ本当の復興なのではないでしょうか。昔とはまったく違う双葉町に生まれ変わってしまうのではないかと懸念しているから、私は今日のような活動にも積極的に参加しています。
福田 池内さんが言うように、新しい企業を誘致することが必ずしも正解ではないですよね。町に税金が入るからもちろん良い面もありますが。
高崎 そうですね。新しい人や誘致された企業だけで復興を進めてしまったら、それは町民の望まない形での復興になってしまいますよね。ですから、歩みよりが大切なはずです。双葉町の復興に誠実な想いを持ってくれている企業も多いですし、双葉町の力になりたいと考えてくれている方々と、町民が上手く歩み寄れることが復興においては非常に重要だと思っています。
トークイベントを開催した双葉町産業交流センター
これからの双葉町との関わり方
高崎 みなさんはこれから双葉町とどのように関わっていこうと考えていますか?
福田 だるま市は、もちろんこれからも継続していきます。ただ、今はいわき市で暮らしている中で、双葉町の避難指示が解除になったからといってすぐに町に戻るかというと、なかなかそういうわけにはいかないですよね。復興、復興と言っているわりには自分は帰還しないのかと言われそうですが、しばらくは頻繁に双葉町といわき市を行き来する生活を続け、かつての町民に喜んでもらえる活動をしていきたいと思っています。
中谷 私は避難解除になったら双葉町に戻るつもりでいます。かつて住居があった土地を復興のために貸し出しているので、その土地が返却されたら家を建てます。そして、双葉町の復興に関わっていきたいと考えています。新しく双葉町にやってくる企業の方も永住してくれる可能性があるわけだし、一緒になにができるか模索していきたいですね。
澤上 私の実家があるエリアは、まだ避難指示が解除になりそうにありません。しかし、解除になったら家を立て直すかリフォームをして帰りたいですね。ただ、もっと復興が進まないと現実的には難しそうです。街をきれいにするだけではかつての住民は戻って来ないので、昔の双葉町を知っている人の意見をもっと聞いてほしいと思います。
加藤 僕は双葉町に戻るつもりがないというか、戻る覚悟ができません。社会基盤や生活基盤が整っていない状態で戻っても、やりたい仕事ができないので。僕は建築の仕事に就きたいと思っており、都内に就職するつもりでいるなかで、双葉町に戻るのは難しいです。東日本大震災のとき僕らは中学生だったのですが、他の土地に避難して自分の未来を切り拓くためにがんばってきたのに、ここで双葉町に戻ったら将来の可能性が制限されてしまうように感じます。
福田 加藤さんが言っていることはすごく重要ですね。私たちが、若者が戻ってきたいと思えるような双葉町をつくっていかないと。「自分になにができるか」を本気で考えないといけません。
松永 町民たちで力を合わせて、もっとなにかやっていく必要がありますよね。企業を誘致したり、新たな住居をつくったりするだけでは双葉町が間違った方向に行ってしまう可能性もあるので、かつての町民たちがもっと行動を起こさなくてはいけないと私も感じています。
後編へ続く
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