VOICE for FUTABA vol.02 《30代女性編》 前編 「現在の生活/双葉町の思い出について」
かつての町民の声を聞き、双葉町やその復興への想いを聞く心の復興プロジェクト「VOICE for FUTABA」。第2回目のトークセッションとなる今回は、30代の女性3人に集まっていただき、ファシリテーターである高崎丈(KIBITAKI代表)とともに、双葉町や復興に対してどのような想いを持っているのかを話し合っていただきました。
※「対話で育む 心の復興プロジェクト」のプロジェクト名がVOICE for FUTABAに決定しました。
【参加者プロフィール】
・広瀬さん(仮名) 女性
福島県いわき市在住。2児の母。2013年から双葉町のまちづくりに携わる。
・松下さん(仮名) 女性
関東在住。医療関係の仕事をしながら、3人の子育て中。
・森田さん(仮名) 女性
千葉県在住。2児の母。仕事は映像ディレクター。
・高崎 丈 KIBITAKI代表
双葉町出身。元JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき オーナー(新規店舗開店準備中)。日本酒のお燗を広める活動を展開中。株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立。
現在の生活と震災後について
高崎 まずは、自己紹介をかねてみなさんの現在の生活について教えていただけますか。ちなみに、私は東京在住で3人の子どもがいます。
広瀬 私は2人の子どもを育てています。いわき市に住んでいて、双葉町のまちづくり会社で働いています。修学旅行などで双葉郡にやってくる学生に双葉町内を案内したり、まちづくり関連のイベントに関わったりしています。
松下 私は関東に家族で住んでいて、医療関係の仕事をしています。私も3人の子どもを育てています。
森田 私も子どもが2人います。現在は千葉県に住んでいて、映像ディレクターをしています。実は、私にできることで双葉町のためになにかできないかと思っていました。なので、こうしてこのトークセッションに呼んでいただけて嬉しいです。
高崎 そう言っていただけるとありがたいです。それでは、みなさんの震災時のことや震災後の生活についても教えていただけますか。
森田 私は双葉高校を卒業した後に音響を学ぶ学校を出て、マスコミ関係で働いていました。東日本大震災が起きたときには、結婚してすでに千葉に住んでいましたね。震災後も足繁く双葉町には通っていて、映像や写真を撮り貯めています。それらの映像や写真は、誰かに見せるというよりも、自分の中で震災を風化させたくないという想いで撮っています。
松下 森田さんと同様に、私も双葉高校の出身で、震災があったのは宮城県に住んでいるときで、長女は1歳でした。震災のときに双葉町には母が住んでいましたが、宮城県に避難してそこでずっとそのまま生活しています。私は夫の転勤で2018年に関東に移住しています。
高崎 ちなみに、お子さんには双葉町についてどう伝えていますか?
松下 そこまで積極的には伝えていませんね。宮城にいたころは母宛に双葉町の広報誌が届いていたので、子どもたちもそれなりに知っているとは思いますが。
森田 うちは、上の子は双葉町の病院で生まれたので、物心がついてからは双葉町に興味を持っているようでした。それで去年、実家を解体することになったので、子どもを初めて双葉町に連れて行きました。生まれてすぐのわずかな期間だけですが、自分が過ごした家を見せてあげたいなと思って。実家と病院を見せてあげたら、子どもにも思うことがあったみたいですね。「心のふるさととして大切にしてね」と伝えました。
双葉町の思い出の場所とは
高崎 みなさんの双葉町の思い出の場所はどこですか?
広瀬 まずは海ですね。季節に関係なく海に行くのが好きでした。地元を離れてからも、帰省したときには必ず友だちと海に行っていました。もうひとつは、母が働いていたタクシーの営業所です。幼稚園が終わると営業所で母の仕事が終わるのを待っていたんですよね。そこでタクシーの運転手さんやお客さんといろんな話をしたり、お菓子をもらったりして、すごく温かい思い出があって。今思うと、そのときの経験が私の双葉町への想いにつながっている気がします。運転手さんからいつもバナナをもらっていたので、私はバナナが好きになりました(笑)。
松下 私は部活に多くの時間を費やしていたので、学校ですね。中学校の体育館や高校のグランドが最も思い出に残っています。
高崎 双葉中学校は体育館もプールも本当に立派でしたよね。
松下 当時はあれが当たり前と思っていましたけど、今思うと贅沢な環境でした。高校のグラウンドも、陸上用のトラックがあって、野球もサッカーも同時にできましたし。
森田 思い返すと、本当に素敵な環境だったと思うのですが、当時はそれが当たり前だから自分では特に意識していませんでしたよね。私は震災後の双葉町を撮った作品で写真展を2018年に開催したのですが、お客さんに「震災前の写真はないのですか」と聞かれて、ハッとしました。当たり前すぎて、震災前の双葉町を撮っていなかったことを後悔しました。
高崎 震災前とは、双葉町の風景は大きく変わりましたよね。特に駅前とかは。車で行くと道を間違えますものね。
森田 そうですね。昔の双葉町に戻すのは無理でも、今の私を形成した思い出の町なので、できるだけ昔の面影は残すか、再現をしてほしいなとは思います。昔の双葉町を残しながら、新しい双葉町になってほしいと、帰るたびに考えるんですよね。昔とはまったく違う町に生まれ変わってしまったら、かつての町民にとって懐かしいと思える町ではなくなってしまいますから。「ここはこうだったんだよ」という話を子どもや孫に語れるように、残せるものは残してほしいですね。レプリカでもいいので。
後編に続く
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