女心とナンとやら

 救急救命を担いますERを備えた主に大学病院さんは別としまして一般の総合病院に於ける当直医さんというのは大抵1名しか居りません。多い所でも内科系と外科系の2名体制がせいぜい。
 ですから夜間の救急診療では総合病院が総合ではなくなります。お医者さんとて自らの医師免許をかけてお仕事をする訳ですから極力専門分野以外の診察はしたくない、というのが本音なところなんです。診断や処置を間違えてしまえば、それは全て責任を負わねばなりませんし、医師としての経歴に傷がつく訳ですのでね。
 ですから、病院が開いていない夜間や休日に病気やケガで病院をご利用の際は『救急医療情報』という電話サービスがありますので、そこへ相談をしますとその時点で適切な専門医が居る病院を教えてくれますから、教えられた病院へ電話をかけてアポを取ってから病院へ…というのがベストな治療を受けられる早道だというのは覚えておいて頂きたいんであります。
 『救急医療情報』への連絡先は病院の受付付近に名刺サイズのカードが置かれて無料配布されていたり、ポスターとして掲示されていたりしますし、市区町村の広報誌にも掲載されていたりもしてますんでね。

 さて、事ほど左様に一般の総合病院の当直医といえども激務なお仕事であります。
 救急の外来から、容態の悪くなった入院患者さんへの対処、それに残念ながらお亡くなりになった入院患者さんのお看取りまで、全て一人で担う訳ですのでね。
 
 そんな事もあってか、やはり女性の当直医さんというのは今の時代にあってもめずらしいんでありますが。

 以前担当しておりました病院に月に1回程度の割合で当直に入られるOさんという女性ドクターが居られました。
 後々考えますと「女だからってナメられたくない!」という想いが強かったんでしょうけど、外来から病棟から全ての当直スタッフに対する“当たり”が強い。
 病棟の介護スタッフさんが輪番制で当直ドクターの控室を掃除したり仮眠用ベッドのベッドメイキングにあたるんですが、それの具合が気に入らないとわざわざ控室前に呼び付けて一列に並ばせて怒鳴りつける、とか。
 看護師さん達もO先生の担当日にはいつにも増してピリピリしていたものでしてね。
 ま、当然、事務員たる私への当たりも強かったんですが、ある事件をきっかけに私への態度だけが激変しましてね。

 当時は救急車からの受け入れ要請の対応は私ら事務員が患者さんの状態の詳細を聞き取ってドクターに報告して、受け入れるかお断りするかの判断を仰ぐ、という形だったんでありますが、この時のO先生の判断は、
 「(患者さんが)下痢してるか確認して。その症状で下痢してるとなるとウチじゃ対応出来ないくらい大事だからね」
というもので、救急隊に確認しますと「下痢はしてません!」という事でしたんで「じゃあお引き受けします」となったんであります。
 ところがいざ到着してみますと下痢しているじゃないか!と。
 処置室に呼び付けられまして「嘘つくんじゃないわよ!」エラい剣幕で“嘘つき呼ばわり”されたんであります。
 カチンと来ましてね。
 いやいや私は嘘はついてませんよ、というのでカルテのフォルダーに挟み込んだ電話で症状を聞き取った時のメモを見せた。そこにははっきりと『下痢(-)』……下痢はしてないという意味です……と書いてある。
 O先生の矛先は救急隊員へと移ったんですが、ここから隊員達がキョドり出しまして。
 それを見て今度は私がキレた。“心に鳩を飼ってる男”でお馴染みの私が、です。
 しまいに矢面に立たされた救急隊員Aが「私が連絡した訳じゃない」と言いだしますんで、
 「この情況でコッチに電話した人間じゃないと話にならん事ぐらい分からんのか!」
 ……救急車には必ず隊員が3名乗ってますんで、運転してきた隊員Cでもないとすると、今は救急車内で後片付けしている隊員Bが連絡を寄越した“下手人”らしい。
 でも救急車の中なんて狭いですし、結構大声で連絡してきたもんですから、同じ車内に居て聞いてない筈は無かろう、とAを更に追及したんであります。そしたら「聞こえませんでした」と強弁しよる。
 ま、ブチギレますわな。
 「おいコラ!1億歩譲って、オマエらの乗って来た救急車がさいたまスーパーアリーナ位広いと、それで端と端に居たから聞こえませんと言うんなら認めてやるが、今から見に行って普通サイズ(の救急車)だった場合は覚悟しろよ?3人とも腹ァ切って貰うから!!」
とスゴんでますと、O先生が後ろから、
 「洪さん、もういいから!」
 「エエ事あるかい!こちとら嘘つき呼ばわりされとんのじゃ!!」
 ガチギレにステップアップ。
 ……本来なら『あるまじき事』なんですがね。そもそもそこの救急隊というのが日頃から態度が悪く喧嘩腰に物を言う奴ばかりで腹に据えかねていた所もあった上での“嘘つき呼ばわり”でしたんでね。
 結局、救急隊員が断られるのが嫌だったあまりに嘘をついた事を認めましたし、近隣の大病院への転院搬送も奴らに責任持ってやれ、ということで決着したんですな。

 それ以来、O先生が私に対してのみ、ニコニコ笑顔で、何かと言うと「洪さん、済みません晩御飯のデリバリーがもうじき来るんですけど…」みたいな物腰になりまして、看護師さんとかには、
 「なんで洪さんにだけ態度が違うわけ?」
と、しまいには「アンタ、何かしたんじゃないの!?」と疑惑の目を向けられる羽目に。

 でもまぁ、その事件以来「おんなだからって…」の鎧が外れたO先生は年齢相応(たぶん30代前半)に可愛らしい女性でしたよ。

 

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