人柱
建設作業員のAさんはその日、東京駅のすぐ近くにある大がかりな解体工事の現場に入りました。
彼のテンションが上がっていたのはそれがテレビ中継される程世間的注目を集めている日本最古の商業施設を建て替える為の解体工事の現場だったからではなく、当時ようやく一般に広がりつつあった携帯電話をついに購入し、それを胸ポケットに入れて現場入りしたからだったんです。
元々新築工事が専門の作業員であるAさんに与えられた仕事はもっぱら現場監督の手伝いみたいなものでしたが、朝一番に現場事務所で見せられた明治だが大正だかの、これから解体しようとする建物が建てられている頃に撮られた古い写真が妙に印象に残ったそうです。
正面に新聞紙大の図面を広げた外国人の設計者が仁王立ちしている周囲を、ツバの広い麦わら帽子にシャツと作業ズボン、足には地下足袋の痩せこけた受刑者が一輪車を押しながら走り回っている、そんな光景の一枚。
その頃、ビルを建てる専門業者はおろか日本人技師ですら殆ど居なかった、そんな時代の事です。
その日最後の仕事は、重機を入れて壊すのに邪魔になりそうな不要資材をエレベーターホールに集める作業で、それも終わりかけた頃、
「Aさ~ん、そろそろ“上がり”にしましょうや!」
と、どこからか若い現場監督の声がした。
おお、もうそんな時間か、と顔を上げたAさんはとある異変に気付きます。
濃紺色に塗り込められた鏡面仕上げのエレベーターのドア、その高さ1メートル辺りの所に白色とも黄色ともつかない色味の、ソフトボール位の大きさの光が反射している。
「なんでこんな所に?」
Aさんは首を傾げた。
確かに現場の、東京駅へと続く大通りに面した部分はホコリや砕いた瓦礫が外へ飛び出さぬよう防護パネルが張り巡らされ、そのせいで建物内は真っ暗になるので“鈴蘭”と呼ばれる白熱球が数珠つなぎになった照明器具が設置されてはいます。
しかしエレベーターホールは大通りとは真裏を向いている為、そこには“鈴蘭”が設置されていないのです。
あるのは窓から注ぎ込まれる自然光のみ。
でも、自然光でソフトボール位の大きさの丸い反射光は出来ません。
Aさん、念の為振り返ってみた。
やはりそこには防護パネルの無い普通の窓があるだけで、勿論“鈴蘭”も無い。
「なんだ?」
と、Aさんが首を傾げた途端、
ブーッ、ブーッ、ブーッ
胸ポケットの携帯電話が振動した。
マナーモードにしていたのを思い出し、会社からの定時連絡でも来たのかと電話を取り出し画面を見ると、画面は真っ暗。どのボタンを押してもウンともスンとも反応しない。
いつの間にか電源が落ちていたらしい。
「……って、じゃああのバイブはなんだ?」
後で確認しても、会社からその時間にAさんへ電話をかけた事も無かったそうなんですが。
それにしても、一度落ちてしまった電源はどんなに操作しても二度と入らなくなり、Aさんは帰り道途中の秋葉原にある、2日前にその電話を購入したショップに駆け込んで調べて貰った。
機械にも電池パックにも異常は無く、しかし店員さん何人もがいくらやっても、やはり電源が入らない。店内の予備電池に付け替えても駄目。
結局、保証期間と言う事で別のメーカーの電話機に無償交換して貰ってその日は帰宅した。
それからは特段の異変も無く過ぎたのですが、数日後にあの解体現場の工事責任者から連絡があった。
「Aさん、あれから何か変な事起きてない?」
「いや、あの日携帯電話が壊れた以外は特に」
「そうか、それは良かった」
その人によると、解体工事もいよいよ地下へと進んだ所で異変があったんだそう。
「地下に丸い柱が何本もあっただろ?あれの中から人骨が出たんだよ!所謂“人柱”って奴が、それも11体!!」
それを聞いた翌日。Aさんかとある完成間近の現場の屋上で作業をしていると、胸元の携帯電話が、
ブーッ、ブーッ、ブーッ!
と振動した。
今度は電源が落ちる事も無く電話に出てみると故郷のお母さんからだった。
他愛もない話をしていると、急にお母さんが、
「ところでお前、お風呂場にでも居るのかい?」
と妙な事を言い出した。
「何言ってるんだ。今は仕事中で屋上に居るよ。外みたいなもんだ」
「そうかい?やけにお前の声がグワングワンいって聞き取り難いったらないからさ。てっきり風呂にでも入りながら話してるのかと……」
途中からお母さんの声にシュワシュワと泡立つような雑音が混じり始めたかと思うと、そこから先はグワングワンとお母さんの声が歪み始め、会話が成り立たなくなってしまったんだそうです。