結婚式の夜
三連休の中日、日曜の夜にいつもの店で飲んでおりましてね。
東京は下町の、店構えは確かにスナックですけれど居酒屋並みの低価格の、まぁそんなお店です。
カウンターの端っこ、いつもの定位置で呑んでおりますと入り口のドアに掛かっている鈴がチリリンと音を立てまして、
「いらっしゃい」
ママさんの声が入って来たお客さんを出迎えます。
六十年輩の決して地味ではありません、渋~い感じの和服姿もカチッとした御婦人で見るからに堅気の方では無い。
その御婦人、店内に入るなり私をキッと睨むように一瞥しますというと私とは真反対のカウンターの端っこに陣取った。
敢えて“何故か”という表現をしなかったのは、その御婦人から睨まれる理由に察しがついていたからでありまして。
御婦人はつい最近までこの店で働いていた【千恵子】のお母さんでありまして、つい数時間前までその千恵子ちゃんの結婚式が行われていたんであります。
花嫁の母としての喜び、もしくは娘を送り出した寂しさに包まれている筈の御婦人の目はしかし、私に怒りとも憎悪ともつかぬ感情を浴びせ掛けてきたのでありまして。
そんな彼女に私は私で、
『あ、どうも…』
という気持ちを乗せた目線を送り返したんですがね。
ちょっとの間…10分か20分くらいでしたか…その場はそれで収まっていたんですけれど。
「あの…姐さんがお呼びなんだけど」
ママに言われまして、御婦人の隣に座る羽目となりました。
その御婦人、服装からもそうであろうと察しがつく通り、地元の“その筋”の大親分の愛人さんでありましてね。
誰だって誘われたら断れません。
「どうも本日はお…」
座る前にご挨拶をと思いましたら“おめでとうございますの『お』”まで言った所でギロリと目で『黙れ!』と制されまして。そうなるとスゴスゴと座るしかないんですが。
ママが出してくれた水割りを口へ運ぼうとした刹那に、姐さんがボソッと、
「何でアンタじゃないんだい!?」
「へ?」
「千恵子のさ、てっきりアンタしかいないと思ってたのに」
千恵子ちゃんが地元の小さな町工場の二代目社長と結婚する事が決まった時から、この店の常連客を中心に周囲の人々から散々浴びせ掛けられてきたセリフであります。
でも生憎と、周りが思うほど私は千恵子ちゃんを女性として見てはいなかった。せいぜい“デキの悪い妹”のような存在としか認識してなかったんです。
千恵子ちゃんというのは人間性…とまでは言いませんが性格的に“難”が多すぎるコだったもんですからね。
でもそれは彼女が生来持ち合わせていた気質などではなく、そこまで歪んでしまった原因は……
そう考えるとムカムカしてきましてね。確かにほんの少し前まで私は千恵子ちゃんの相談相手になっていて、かなりの頻度で会い、長時間話し込んでも居りました。
しかしね、そんな事であのコの性格が見違えるほど矯正される、なんて事を期待されても困る訳です。
「アタシはね、千恵子を幸せに出来るのはアンタ以外に無いと今でも思ってるんだ」
姐さんが悔しそうに言えば言うほど、私の心は醒めて行きます。口の端にうっすらと笑みが浮かぶほどに、ね。
「そら~無理ですよ。オレは娘さんを幸せには出来ないし、女として見た事も無い」
「なんで?!」
「……アンタの娘だからだよ」
姐さんは千恵子ちゃんの実の母である事は間違いありませんが父親は大親分ではありません。むしろ二人の関係は千恵子ちゃんが生まれた後から始まっていて、しかも実の父母と千恵子ちゃん三人の家庭というのはキチンと存在していて、その上で母親は大親分の愛人でもある。同時並行的に、です。
そんな情況で、それでも世間近所からは「ヤ○ザの愛人の子」と陰口をたたかれて育ってきた。
……歪むな!という方が無理ですよ。
その上で、母親であり歪ませた元凶でもある人の口から出るセリフか?と思うと腹ァ立ちましてね。
結婚が決まる少し前に、私は千恵子ちゃんとの付き合いを一切断ちました。
「これからの君の相談相手はダンナサンだし、ダンナさんに幸せにして貰いなさい。だけど幸せにして貰うためには、あんたもダンナさんを幸せにして上げないといけない」
周囲の人々は私と彼女の中を疑っておりましたから、この縁談を壊さない為には一切の関係を絶つ必要があった。
相手から1ミリたりとも疑いを持たれないようにするために。
私なんて、人を幸せにするどころか、人の幸せの邪魔にならないようにするのが精一杯な、その程度の人間ですからね。