後ろの怪

 え~、調子に乗りまして過去作リライト&『怪』シリーズを続けようかと思いますが。

 このお話は後々様々な不思議体験をする事になる原点と言えるものでありましてね。

 当時通っておりました専門学校……2002年に時の石原慎太郎都知事によって廃校に追いやられ、当時の学び舎は今やリノベーションされてアパートになっておりますけれど……で“研修旅行という名の修学旅行”が催され沖縄に行ったんです。
 まぁそらね、後に廃校にされるだけありましてこれがインチキな旅行でありまして、全行程6日間の内最初の三日間が東京-沖縄間の船旅!しかも最下等の雑魚寝席、でありましてね。
 確か船内にジュースの自販機が1台しかなく、頼みの売店は一日3時間しか営業せず、商品の補充も無し、という。
 それでいて帰りは那覇から羽田へ飛行機でブーンなんですから、行きも飛行機使ぉて日程短縮すればエエやん!?と言いたくもなる旅。
 
 長時間の雑魚寝船旅で、沖縄上陸を果たした時には皆ボロボロになっておりまして、しかも宿泊しますビジネスホテルに到着した時点で時刻は午後7時頃。その上「今夜はこのまま自由行動だから」というんで食事が用意されてない!
 仕方なく仲の良い仲間四人で街へと繰り出します。

 「沖縄ッつったら琉球泡盛ッしょ!」
 ……今から40年前ですんでネットもありませんし、旅行雑誌もそれほど盛んではない時代という事もあり、沖縄のグルメ情報ってそんなに流れて来て無かったんですよね。
 ソーキそばですら知ってる人はごく僅かだったんじゃないでしょうか?

 とにもかくにも、繁華街へ向けて大きな通り『国際通り』を歩く訳ですが…………今考えますと、この時点から異変は起きていたように思うんです。
 学校主催のこうした旅行というのは何処もそうでしょうが観光客が押し寄せる“シーズン”は避けますでしょ?
 人でごった返す中だと生徒を危険から守る安全管理に不安がありますし、何より観光地はシーズンを当て込んであらゆる物事の値段が高くなりますから、いくら学生から積立金として費用を徴収しているとはいえ経費が嵩みますからね。
 沖縄で言いますと、夏のリゾートシーズンと冬は寒さを避けて南国気分を味わいたい方々のシーズン。その間の、しかもカレンダー的に連休をさけた、そんな時期を狙って日程が組まれていた筈なんですわな。

 にもかかわらず、東京の3倍は広いであろう国際通りの歩道は端から端まで人でビッチリでありまして、そんな軍隊の隊列を思わせる行列が見通せないほど遙か彼方まで続いている。
 シーズン外れてるんですからね?
 確かに国内屈指の人気観光地である沖縄ではありますが、そんなオフシーズンにこれだけの人が殺到しますかね?という話です。
 しかも我々、歩道の真ん中ら辺を歩かされていて、仮に何処かで良さげなお店を見つけたとしても「ごめんなさい」と言いながら人をすり抜けてお店に入るなど不可能、そう思える程人がビッチリと密集して行進していたんです。
 横を向けても後ろを振り返る事すら不可能でした。

 まぁ、それだけの“群れ”ですんで、当然歩みはノロいです。

 ある時から、私、後頭部に射るような視線を感じるようになります。
 先ほども述べたように後ろを振り返る事は出来ません。
 しかし……感じるんです。
 視線の主は所謂アラサーと呼ばれる年代の女性で、随分と先を急いでいるらしく、歩みの遅いこの状況に明らかに苛立っている。
 とは言え状況が状況ですのでどうする事もできませんわね?
 ところが時間の経過と共に女性の苛立ちはドンドンドンドン募って行き、それはやがて憎悪に昇華していきます。

 『しょうがないだろ?状況が状況なんだから、どうしようもないんだって!』

 心の中で……“思念”と言うんですかね?それを飛ばしてみても相手の女性に響いたのかどうか、仮に響いたとしても承諾は得られなかったようで、私に向けられる憎悪は時間経過と共に強く、大きくなっていく。
 やがてそれは、イメージの中でドンドン膨らんで、私の全身を覆いつくさんばかりになっていく。
 その頃にはもはや憎悪と言うよりは“殺意”と呼ぶべきものへと変わっていた。

 「ごめん!」

 ついに耐えきれなくなった私は、横を歩いていた加藤君を更に向こうへと押し出して無理矢理人一人が歩ける程のスペースを開けた。
 「何だよ!?」
 加藤君がムッとして声を上げる。
 「いや、後ろの女の人がさ……」
 「後ろ?お前の後ろ歩いてンのって、ピノだぜ?」
 「へ?」
 驚いて後ろを向くと、確かに私の真後ろにいたのはキョトン顔の友人、日野君。
 「女?居らへんよ。こんなギッチギチですり抜けて逃げるのも無理やし」

 まぁ、その後は何とかデパートの大食堂を思わせる居酒屋さんにありついて、お目当ての琉球泡盛にありついたんですがね。
 しかし私、あんなアルコール度数の高いお酒を飲んでも例の女の事がよぎって酔うにも酔えませんで、仲間達とのバカ話しにも心から笑える心境ではありませんでした。

 帰り道。
 まぁ、行きの異様な行列に“人疲れ”したせいで、お店を出ると真っ直ぐにホテルへ帰ろうという話になったんですが。
 その頃には国際通りもすっかり人がバラけて、まぁまぁ何処の繁華街でもこのくらいだよね、という人混みになっておりましてね。
 泡盛という強いお酒で他の三人はすっかり酔ってしまいましたから、お店にいたのはせいぜい一時間ちょっとくらいのもの。
 
 たったそれだけの時間で、あの“群れ”が蜘蛛の子を散らすようにバラけるものかね?

 いやそもそも、我々がホテルを出た時点であの状態だったとすれば、そこへ分け入るのを諦めてホテルに戻るか、強引にそこへ混じったとしても道の端っこを押し出されそうになりながら歩くのがせいぜいで、何故我々は混雑の真ん中に居たのでしょう?
 記憶に残ってない以上、我々が通りに出てから俄に人が増えて大群衆が出来た、とは考えられんのです。

 ホテルへの帰路、私はそんな事を考えておりました。

 自室へ辿り着いて「ハァ~ッ」と一息ついた途端、全身の力が一気に抜け、そのまま床に力無く倒れ込んだようです。
 「どうした?大丈夫か!?」
 同室の、外出を手控えてテレビを見ていた“クマさん”……大柄でガッシリとした体躯の色黒で坊主頭でヒゲ面の、だからそう呼ばれている30歳の人なんですが……に助け起こされて、グンニャリとコンニャクのようになった私はベッドに寝かされたようです。
 40度近くの高熱にうかされ、私にはその辺りの記憶が殆ど無いんですが。
 とにかく、フロントからもらい受けた市販の解熱剤を飲んでも熱は引かず、一晩中うなされ通しだったと言います。

 ところが翌日、日が昇る頃に、熱は嘘のように下がりましてね。
 
 しかし、“彼女”はいったい誰で、何処へ行きたがっていて、何故あんなに急いていたのでしょう?
 そしてあの高熱が仮に“霊障”というものであるなら、それはあの時に限った話ではないんです。
 ……よく、夏の夜なんかに集まって仲間内で怪談話をしたりしませんか?
 私、あの沖縄行き以降、少なくとも十年間にわたって怪談チックに“彼女”の話をした後は必ず、原因不明の高熱にうかされていたんです。

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