Zの考え
中央競馬の藤田菜七子騎手が引退した事について色々議論されておりますがね。
レースに騎乗する騎手は騎乗日の前日夜から“調整ルーム”という所に、世間一般と隔離された状態に置かれます。
これはレースにまつわるあらゆる事前情報漏洩を防ぎ、レースの公平性を担保する為の措置であります。それと同義で、調整ルーム内への携帯電話の持ち込み・使用が禁止されております。
件の藤田騎手は複数回にわたってこの禁を犯し、使用したとしてJRA(日本中央競馬会)から処分対象とされ、処分が下されるのに先んじて自ら引退の道を選んだ訳ですが。
本件に関しては藤田騎手を擁護し、JRAが彼女に科そうとしていた処分が重すぎると批判する意見もあります。また、今時携帯電話の持ち込み禁止というのは古い考えで時代にそぐわない、という意見も散見されますけれど。
私は世の中に存在する全ての『仕事』に関する絶対的価値観として、
まずエンドユーザーを見ろ
だと考えます。
エンドユーザーとは“お客様”であり、仕事に於ける全ての価値判断基準は「お客様の為になっているか?不利益を生じさせないか?」に起因せねばならん、という事です。
本件で言うならエンドユーザーとは馬券を購入してくれる全ての『ファン』であります。
競馬に携わる全ての人は、ファンの人から1ミリたりとも“出来レース”だとか“八百長”を含む全ての『不正』を疑われてはならんのです!
不正がまかり通るギャンブルに誰がお金を賭けますか?という話です。
だからこそ騎手はレースの前夜から調整ルームに入って外界との物理的接触を断ち、携帯電話を持ち込まない事で外界との通話・通信をも断つ事を義務付けられている訳です。
おそらく藤田騎手はこうした規則を十分に認識していたし、その規則の意味するところ、その規則の成り立ちまでも認識していた、と思われます。
しかしその上で携帯電話を調整ルーム内へ持ち込む事については罪悪感が薄く、何なら規則に反しているという認識すら無かったのではありますまいか?
即ち、「携帯電話で接触していたのは競馬とは無関係な友達(知り合い)だし、レースの事なんか全く話題にもしていないんだから情報漏洩にはあたらないし、公平性にも影響しないんだから、良くね?」と。
彼女のような現在30才以下の世代、俗に言う『Z世代』は……という風に一括りにしてしまうのは気がひける部分が無いでもありませんが……規則やルールに関して、キチンと認識はした上でその細部を自分なりに“解釈”して行動する傾向があるように思えるんですわね。
今回の件で言えば『調整ルーム内への携帯電話の持ち込み・使用禁止』という原理原則を踏まえつつ、しかしその根拠である情報漏洩や公営競技としての公平性・透明性の担保については犯していないのだから問題は無い筈だ!という《解釈》をして持ち込んでいた。
少し前にも複数人のZ世代騎手が同じように調整ルーム内への携帯電話の持ち込み・使用で騎乗停止処分を受けていましたでしょ?
同じ事をしながら藤田騎手だけが引退にまで追い込まれたのには、先に処分された同世代達よりもかなり重い処分をJRAから内示されてこれに不信感を抱き憤った、という報道もされております。
まぁ、彼らよりも藤田騎手の実績や注目度について飛び抜けて高いが為の“見せしめ”なのではないか。同じ違反行為でありながら処罰が同じでないのは納得がいかん!とね。
彼女が師匠の前で引退届けを記入した際に号泣しながら書いた、というのにはこうした背景があったのでは、と推察する訳です。
この、規則やルールに《独自解釈》を加えて行動し結果としてルール違反に問われてしまうZ世代の傾向というのに、我々“大人世代”はほとほと手を焼いている、というのが昨今なのではないですかね?
だからこそ『Z世代』なんていうラベリングを彼らに対して行っている訳で、一昔前の先輩達のように「最近の若いもんは…」と単純に済ませられない、そんな一筋縄じゃいかないものがあるのかもしれませんな。