警察庁副長官⑤
張り込んで三日目。
岡安次郎は自宅兼店舗である岡安不動産から一歩たりとも外へ出ていない。
惨殺された兄夫婦の遺体引き取りや葬儀の準備などは可能な限り業者に任せ、自分は自宅に籠もってしまっていた。
遺族として、肉親の情から考えれば冷徹とも思えるこの仕打ちは、しかし警察庁副長官たる神主狐太郎の推理(?)を裏付けているようにも思える。
すなわち、次郎が純然たる犯罪被害者遺族ではなく、むしろ殺害実行者達を手引きした共犯者もしくは首謀者であるなら、肉親とはいえ遺体とは極力関わりを持ちたくないという心理にはなるだろう。
犯罪捜査歴33年の南條にしても、副長官殿が如何なる根拠をもってそう推理するに至ったのかは全く分からない。
噂では霊能力を使って被害者の声を聞いたり、霊視とかいう霊的な透視能力を用いて犯罪事実を見透かすのだとか……まぁ、霊能力どころか脚を棒にして捜査にあたるしか能の無い自分には理解不能だ、と南條は思う。
ただ、ロクに捜査経験も無い癖に威張り散らすだけの監理官にコキ使われるよりはよほどマシだと考えて神主の誘いに乗ったのである。
それにしても岡安次郎の引き籠もりぶりは少々異常である。
「メシ、どうしてんのかな?」
思わず声に出してしまう。
「カップラーメンでもあれば余裕でしょ」
運転席の若造・氷室隆が答える。
「三日三晩カップラーメン?さすがに飽きるだろう」
「色々種類ありますからね。それに米でも炊いときゃ楽にもちますよ」
動きがあったのはそんな馬鹿な会話から10分と経たないうちである。
次郎がフラフラと出て来ると、自家用車に倒れ込むように乗り込んでエンジンをかけた。
「おいおい、あんなんで運転出来るのか?」
「オートマなら余裕でしょ」
岡安の車はまるで彼の手足にでもなったかのようにフラフラと街道まで出て小さな蛇行を繰り返しながら埼玉方面を進んだ。
「酒でも飲んでるのか?」
「顔色が尋常じゃなかったッすね」
飲酒であれ体調不良であれ、兎に角このまま運転を続けさせるのは危険だと判断した南條は賭けに出た。取り付け式のパトランプを屋根に乗せ、サイレンを大音量で鳴らす。
「前の車、路肩に寄せて止まりなさい!」
南條のマイクも虚しく、岡安の車は相変わらず蛇行を繰り返しながら走行を続ける。
唯一の救いはそれほどスピードを出していない事だが、とはいえこのまま指を咥えて埼玉県内に入らせる訳にもいかない。
「おい、奴の車が路肩寄りに行った頃合いで前に出てブロックして止めろ!」
「え~!そんな○部警察みたいな事していいんスか?!」
「万が一にも目の前で事故られでもしたら“悪霊”に祟られるからな」
「悪霊って、もしかして副長官殿の事スか?」
「……いいからやれ!」
道路交通法違反及び公務執行妨害の現行犯で逮捕した岡安次郎を板橋署へ連行すると、真っ先に出迎えたのは監理官の紅林章一であった。
「お前ら、何先走った事をしてくれてるんだ!」
「現行犯逮捕ですから。それにこれは神主副長官殿の指示に従っての行動ですんでね」
南條は澄まし顔で皮肉たっぷりに、そう言い放った。
神主への報告は岡安を取調室へ落ち着けてからにした。
逮捕してみると、岡安は三日間の引き籠もりの後とは思えぬほどやつれていて目の焦点すら定まっていなかった。
難儀しながら聞き出した所では昼夜を問わず家の中アチコチで得体の知れない物音が絶え間なく響き、部屋の中の小物が宙を舞い、薄紫の小さな雲が渦を巻いて天井に居座っていたという。
「(頭が)おかしくなってるんスかね?」
「内容はともかく、これだけまともに話せるんなら取り調べは続けてみようや」
南條は力なくそう言った。これは副長官殿の専売特許案件かもしれない。
南條からの報告を受けて神主が板橋署に到着したのは夜になってからであった。
漆黒の着流しに下駄履きという出で立ちで現れた神主は署内全員の度肝を抜き、それでも本人は至って涼しい顔で取調室へと入って来た。
「あ、アンタその格好は…」
驚く南條を一向に構わず、
「悪いが、外してくれるか?」
とだけ冷淡に言い放つと人払いをし、岡安と一対一になってようやく椅子に座った。
岡安の頭上には小さな薄紫の雲が渦を巻いて、その場でグルグルと回っている。
「兄者夫婦の怨念は相当なものじゃな」
神主の言葉に岡安は目立った反応を示さない。憔悴はかなりのレベルに達しているようだ。
「兄者夫婦の怨念に取り殺されるを選ぶか、それとも素直に全てを話して楽になるか、好きに選ぶが良い」
パンッ!
神主の柏手が響いた。