津軽海峡乱気流
過去記事リライトシリーズ第3弾でございますけれど。
ちょうど40年前になりますがね。
専門学校へ進学の為に上京しまして初めての冬休み。その学校が結構年末ギリギリまで授業をしてましたもので、ようやく休みに入ったその初日に帰省の途に着きます。
忘れもしない12月25日、朝一番の飛行機でしたがね。
まぁ、朝一番という事もあって時期も時期です。
社会人の方々はまだまだお仕事されてましょうが、とはいえもう仕事納めに向かって飛行機を使っての大移動な業務は無くなっていて、遊びに北海道へ渡ろうなんて大学生はとうの昔に休みに入っている頃ですから、この日あたりは意外と混雑の“谷間”なんですな。
機内には子供連れのお母さんが結構いらっしゃる。おそらく小学校なり幼稚園、保育園が休みに入って、しかしお父さんの仕事納めを待って一家で移動しようとする頃には帰省ラッシュとぶつかってエラい事になる。
というので、母子先乗りで帰省して実家でお父さんを待とうという、そういう方々が多かったんでしょうな。
座席に着いて離陸する。そこまではシートベルト着用が義務付けられてますからそうでもなかったんですが、機体が水平飛行に入ってシートベルト着用の義務が外れますと、途端にあっちの席こっちの席からガ………もといッ!お子さん方のキャーキャー騒ぐ声が、
「ここは空飛ぶ幼稚園か!?」
と怒鳴りつけたくなるくらい響いてくる。
まぁ、無理もありませんわね。
飛行機なんてそうそう乗れるもんじゃありませんし、まして今日は12月25日。そりゃ~昨夜はクリ○○スパーティー(入れる2文字間違うと18禁パーティーになってまうで!)でその興奮の余韻も残ってましょうしプレゼントも貰ったばっかりです。
『まぁ、仕方ないか』
今ならスマホにイヤホンで音楽聴きながら苛立ちを抑えるところですが、当時はそもそもケータイすら無い時代ですので、苦々しい想いを抱えて耐えていたんであります。
当時の国内線では安定飛行に入った頃合いでちょっとしたお菓子と飲み物のサービスがありまして、この時は時節柄、イチゴのショートケーキと飲み物……確か、コーヒーとお茶とジュースの中から一つ選べるシステムだったですがね……が提供されたんです。
で、別に着陸体制に入る前までに好きなタイミングでそれを楽しめば良い訳ですが、私が乗ってる羽田-千歳間の場合だけは出されたらすぐに飲み食いしないと大惨事が起きるんです。
本州と北海道の間の津軽海峡上空というのがこれ、名うての乱気流地帯でしてね。
このエリアに近付きますというとシートベルト着用のサインがパッと点くんです。
サインが点灯しますといよいよ津軽海峡上空。
確かにガタガタと横揺れがする。これはこれでイヤなモンでしょうけれど、津軽海峡上空ってのは『縦』なんです。
それも、遊園地のジェットコースター。カタカタ上って行って急角度で落ちて行きますな?
あれの日本最強クラスと同じ勢いで、しかしほぼ真下の角度にストーンと落ちる。
これを延々、20分近く。落ちては機体を持ち直し、持ち直してはストーン!
あちこちからガキ共(←あッ!)の悲鳴が上がります。
………まぁね、19歳と謂えども大概大人ですんでね。男ですし。悲鳴は、それは。
とはいえ大人だろうと男だろうと怖いものは怖い訳で、そんな事しても意味は無いと承知で、肘掛けを掴む手と床で踏ん張る足に力を込め、軽くではありますけれど唇を噛み締めるんであります。
二度三度とストーン!を繰り返す内に、子供達の悲鳴は止んでいきます。
本当の怯えに入ると声なんか出なくなるんですわね。
代わりと言っちゃ何ですが、CAさんを呼び出すピンポン……実際にはピーンぐらいの音ですが……が繰り返し鳴るようになりまして。
こんな時に誰かな?思いましたら、私の真後ろの席のお婆ちゃまで、ストーン!のたんびにCAさん呼び付けては、
「大丈夫でしょうね?落ちないでしょうね?」
と涙目になって確認しとる訳です。
『イヤな事訊くな~。みんなうっすら不安に感じとる事を明らかにすんなよ!』
ただね、いくらCAさんと謂えど、そう何度も何度も呼び付けられては同じ事訊かれるんでは、最初はニッコリ笑顔でもだんだん貼り付けたような笑顔に変わり、しまいには厄介な姑扱いにもね。そら~なりますわね?
でまぁ、とうとうCAさんにも相手にされなくなったあたり……まだ津軽海峡上空ですよ……で、不意に後ろの席から、
ジャラジャラ~ッ
不穏な音がしてきまして、『えッ?』と思って後部座席を振り返りますとそれは数珠で、それを手首に掛けますというとお婆ちゃま、一心不乱にお経を唱えだしたんです。
お婆ちゃま一人旅です。
ま、息子の嫁に邪険にされて「そんなに里帰りしたいなら一人で行っといで!」とでも追い出されたのかもしれません。
でも、ナンボ一人旅で心細いから言うて、揺れが怖くて不安だから言うて、
「このタイミングで『お経』は無いだろう!」
と。
ま、結構な声量でお経を唱えてましたんで周辺の席の子供達の耳にも入りますわな。
阿鼻叫喚の地獄絵図
になったのは言うまでもありません。