伝説の「ひこう」少年
え~、バッティングセンター、ボウリング場と来まして《修学旅行三部作》の掉尾を飾りますのは「ひこう」少年ですよ。
ま、色んな「ひこう」がかかっておりますんで漢字に出来ないんですけれど。
高校の修学旅行といいますと1982年の事になります。ウォークマンが発売されて爆発的にヒットしている頃です。
今はスマホですとか、気軽に自分の好きな音楽を何処ででも聴けておりますが、その先駆けがウォークマンであると言っても良いですわね。
さて京都・奈良の行程を終えますと北海道への帰途にあたります東京に24時間ほど滞在します。
新幹線で東京に着いたのが夕方4時ぐらいで、そのままマイクロバスに乗せられサンシャイン水族館へ強制連行。水族館のロビーみたいな所の地べたに座らされて折り詰め弁当を渡され「晩飯だ、食え!」
……これぞ北教組クオリティ!
午後7時にようやく文京区本郷……修学旅行宿泊地のメッカですな……にあります旅館に着きますと休む間もなく「これから午後9時まで自由時間だ!」
夜ですよ!?会社の慰安旅行じゃあるまいし!
で、地方から東京へ修学旅行、その自由時間となりますと原宿・六本木・渋谷・新宿辺りが定番なのかな、なんて思いますけど私はそこいら辺に全く興味がありませんで、むしろ本当は秋葉原に行きたかったんでありますが、あいにくとその時間には大概のお店が閉まってる……自称“東京通”のM見君から聞かされまして、じゃあと言うんで御徒町へと例の三人で繰り出した訳です。
当時の御徒町から上野広小路界隈までには今と違いまして何処の国で生産されたのか分からない物ばかりを売っている“バッタ(物)屋”さんが多く軒を連ねておりまして、その中の一軒で《自称:ウォークマン》を購入しましてね。本家の定価の5分の1位の値段でしたけど。
これを異常に羨ましがった男がおりまして、名前がレア過ぎるのでKとしますがね。
翌朝は早朝に宿を出発して皇居。そこでジョギングする人達にジロジロ見られながら集合写真……早朝過ぎて見学出来そうな場所がまだ開いてないという、The北教組クオリティ!……を撮りまして、すぐさま文京区へ戻り後楽園遊園地……今は東京ドームシティとか言うんでしたっけ?違う?……で「午後2時まで自由時間。ただし園外へは出るなよ!」(どこが自由やねん!?)
で、この時に、ですよ。
Kは秘かに園外へ脱出し、近くの水道橋駅から秋葉原を経由して御徒町に行きまして《自称:ウォークマン》をゲット!
問題なのはここから、でありまして。
午後2時に後楽園遊園地を後にした我々はバスで上野駅へと移動し、青森行きの寝台特急で帰途につく訳です。
この車内で、偽ウォークマンを手に入れたKが大はしゃぎしまして、一緒に購入したという『誰が歌ってるんだか分からないアニソン集』のカセットテープをかけて周りに自慢しまくる訳です。
周りは偽とは言えウォークマンにこそ食い付きましたけど、あれはカセットテープがあってこそ!な商品ですからね。それが『誰が……』所謂バッタもんのアニソン集ですから盛り上がったのはほんの一瞬だけでした。
ましてや、青森で青函連絡船に乗り換えますのが午前4時前だという滅茶苦茶な日程ですから、みんな早く寝ないといかん訳です。
なのに、Kだけは一人で大騒ぎし続けていたのであります。
青函連絡船に乗り換えましてすぐに点呼がとられます。
眠気もあって、皆の気分もダルダルな中、
「先生!K君が居ません!!」
そらも~パニック状態です。
とは言え貸し切りでもありません。一般の乗船客の皆さんと一緒に出発せねばなりませんから、私のクラスの担任と副担任が青森に残って捜す、という事になりましてね。
結局、Kは車庫に入った寝台特急の車内清掃のオバサンに「オメ、何してんだ?皆もう連絡船で行っちまったど?!」と発見され、担任に引き渡されたんでありますけれど、ここで問題が生じます。
修学旅行で一人置き去りにしてしまった、なんて事が公になったら大問題です。引率教員それぞれの責任は問われますし、それぞれの沽券にも関わります。
何とか穏便に済ませる為には、北海道に入ってからの何処かでシレッと皆と合流するしかない。
幸い、青函連絡船の青森-函館間は所要時間4時間もある。
ここで東京理科大卒の瞬間湯沸かし器・大顔面の担任O川先生が、西村京太郎先生ばりの“時刻表トリック”を編み出しまして、三沢発千歳(現在は“新”が付きます)行きの東亜国内航空機を使い、札幌駅で我々の急行列車に乗り込もう、と。
結果、Kはウチの高校発足以来初の“修学旅行で飛行機に乗った男”となったのです。
……次の年から、修学旅行の説明会では必ず、このKのエピソードが『絶対やってはいけない失敗例』として披露されているそうであります。
ま、伝説、ですわね。