パワハラ論
どうにもこうにも、全国あちらこちらでパワハラ案件が噴出しておりますけれど。
ただ、従来のパワハラが大正・昭和時代の父親が家庭内で絶対君主であり得た頃の名残であったり、それこそ軍隊からの『上(官)の言う事は絶対』という“間違った道徳”を引き摺った世代によって引き起こされた、謂わば【時代錯誤】なものであったのに対し、今時のはもっと若い世代によって引き起こされているのが特徴であります。
本来ならそうした権威主義的なものや人を最も嫌う世代の筈なんですがね。
まぁ、宝塚歌劇団宙組でのパワハラ、兵庫県知事による…現状では疑惑の域を出ちゃおりませんけれど…パワハラ&お強請り+恫喝、それに北海道での国会議員による恫喝、暴言etc
これらというのは高校や大学の主に体育会系部活に蔓延る、
「最上級生は神様で1年生は奴隷」
という価値観の延長線上にある、そう思えてならんのです。
実に馬鹿な考えで、つまり人の上に立ったら何をしても許されるんだ!何故なら偉いんだから!!という餓鬼の発想。
本来なら社会に揉まれに揉まれていく中で、人の上に立つという事の本質的な意味に気付いていくのが正常な“成長”であり、それこそが『社会人』というものの意味なんでありますが、どうやらその点に於いて現代社会は機能不全に陥っているのかもしれません。
人の上に立つという事は、下の人間のあらゆる責任を全て引き受ける立場という事です。
かなりシンドイ立場ですわね。
【プライド】って言葉がありますが、これ「俺はエラいんだ」って胸反っくりかえらせて歩いていいって意味では無くて、そういう立場だからこそやらなきゃいけない事、だからこそ決してやっちゃならん事を弁えて行動しなくちゃならんって話なんですよ。
つまり、常に立場が下の人達から「いやあ○○長は凄いな、見習わなきゃいけないな」と思われるような行動をとらないといけませんし、直接的に自分が関与してなくても部下のやらかした責任を問われた時は他人に擦り付けるような真似をせず、毅然と受け止めなくちゃいけない。
正直、常時喉元に匕首の刃を突き付けられているような緊張感ですよ。本物のプライドってやつはね。
私は以前、とある中小企業の社長に多大な迷惑を被った事があって、衆人環視の下でその社長に切腹を申し渡した事があります。
「『俺は社長だ文句があるか!』…そりゃあ社長としての義務と責任を果たしてからなら通るセリフだよ。ついでに言うと『社長である前に一人の人間だ』って逃げ口上も通用しない。お前は社長としての収入を得、それで飯を食って生きている。つまりお前という人間イコール社長なんだから、社長にあるまじき無責任な行動をとった以上、人間にあるまじき存在という事だ。な、死ぬしかあるまい?」
でもまぁ、パワハラする奴ってのは早晩失脚する存在ですし、そんな連中が蔓延ってる組織に未来なんて無いですわ。
そういう奴には『客観性』が絶望的に欠けているからです。
組織がこの先発展していく為の戦略を立てて実行していくにあたって『客観性』は無くてはならない必須のファクターです。
自分らがこの先発展していく戦略を立てるなら、まず今現在の自分らの立ち位置を知り、自分らの現状を客観的に把握しなくちゃなりませんし、自分らに都合の良い事だけで構築した道筋なんて何せ“相手”がある事なんですから戦略なんて呼べる代物じゃありません。
逆に、自分を客観視出来る人間なら、パワハラなんてみっともない事、恥ずかしくて出来る筈が無いんです。
これ以上パワハラ&イジメをはたらいたタカラジェンヌを庇い立てするなら、親会社自体が社会的制裁を受け、信用を無くす事になるでしょう。
百条委が設置された以上、兵庫県知事は自ら職を辞するか失職させられるかの二者択一を迫られる事でしょう。
奢れる者も久しからず
の理(ことわり)の通りに。
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