真・プロジェクトX⑦~業火~
1999年11月24日。
土木部の一部を除いた下請け業者、作業員の撤退を一週間後に控え、昼前の工程打ち合わせ会議の後でた所長である高橋、土木部職長会会長、そして建築部職長会会長の井村による三者会談が行われた。
撤退により現場全体をまとめる任を担う土木部の会長が不在となる事から、それを引き継ぐ意味で井村に職長会会長への就任を要請する為である。
だが、井村は即答でこれを固辞した。
「土木部の高橋所長は残留されて引き続き現場の統括責任者を務めて下さる訳ですよね。当然、その直下にあたる職長会も土木部職長会が主となる。そこの会長に建築部の人間が納まるのは現場内外に不要な摩擦を生むだけだと思いますよ。好んで誰かの神経を逆立てる必要は無いんじゃないでしょうか?
私は今副会長をさせて頂いていますが、会長と副会長では人の捉え方もそれだけで随分と違う。そもそも副会長とは『会長の補佐兼会長不在時の代行』を意味する役職です。
会長がこの現場を卒業されて不在となる。その空席を副会長が埋める……それで十分なんじゃないですかね?」
高橋に反論する言葉は無かった。事実、土木部職長会の副会長に建築部側の井村を据えた時でさえ、現場内の古株連中や東京本社の土木部からもチクチクとした嫌味や軽めの反対論はあった。それを高橋自身が奔走して抑えたのと、何より井村の人畜無害な対応が土木部から建築部への敵意を削いでいたのは否定できない。
それにしても、こちらの働きかけに井村がNOと明確に意思表示をしたのはこれが初めてである。
半年後、高橋は井村にこれと全く同じ事を“懇願”して、やはり断られる事になるのだが、この時の高橋にそうなる未来は全く予想もつかない話であった。
三者会談の後、井村は近所の立ち食いそば屋で遅い昼食を摂り、残り僅かな昼休みを仮眠にあてようと地下の休憩所で横になった。
が、横になってすぐ、木材に引火して不完全燃焼を起こしているような焦げ臭さを嗅ぎ取り身体を起こした。
現場では電動ノコギリの歯が摩耗し過ぎた状態で木材に食い込んで摩擦熱により焦がすであったり、ガス溶断作業中の近くに木材や木片があってガス火がそれに引火する、といった事がしばしばある。
「それにしては臭いが強くないか?」
と思った途端、普段滅多に行われる事の無い館内放送が鳴った。
「所長の高橋です。隣の思い出横丁から出火!火災発生!!現場にも延焼、又は坑内に煙りが充満する危険があります。坑内にいる全職員、全作業員は即時地上へ退避するように!繰り返す、全員、地上へ退避せよ!」
小滝橋通りに出てみると、通称“ションベン横丁”の思い出横丁のあちこちから黒煙が噴き上がり、周囲の道路は立ち止まる通行人や騒ぎを聞きつけた野次馬で大混雑となっていた。
世に言う『ションベン横丁の大火災』である。
警察によって小滝橋通りの新宿駅周辺部は完全道路封鎖となり、封鎖には現場のカラーコーンやバリケード類が動員された。
現場は高橋の判断で作業の完全中止が決まり、一部の指名された作業員を除いて全員帰宅となった。
「ま、こんだけの火事じゃしようが無いよな。お疲れ!」
と現場を離れようとする井村を、建築部の若手職員・青山祐介が引き留めた。
「井村さんは建築部代表で残る事になってますから!」
「聞いて無いよ、そんな話」
「今言いました!」
「それは汚ェよ!それにな、俺は一介の作業員だよ?!建築部の代表ッつ~んなら、帝都の正社員であるお前が居るじゃん!」
「職員は員数外で、作業員の中から選ばれるんですって!」
「お前ね、それは差別だよ!?」
結局、井村は残され、飲まず食わず休憩も無しで、八時間、警官や消防士にアゴで使われながら働かされるハメとなった。
火災は横丁の複雑な地形と、脆弱な建物群のお陰で消火活動が後手を踏み、その夜の内に完全鎮火には至らず、安全を考慮し三日間の道路完全封鎖となった。
翌日も出勤命令が出された井村は、歩道橋上からゴーストタウンと化した新宿西口界隈を見渡し、暗澹たる気持ちになると共に言いようのない怒りがこみ上げた。
ただでさえ開通まで残り日数が無い中で、天はここまで脚を引っ張ってくれるのか?と。
「そっちがそう来るなら、やってやろうじゃないか!」