ギャンブルの本質

 アメリカ連邦地検が水原氏を訴追した事によって大谷選手が【関係者ではなく純然たる被害者である】事が確定したのは朗報中の朗報と言えるんじゃないですかね?
 我々は水原氏の行く末よりも大谷選手の活躍に関心があるのであって、彼の精神的負担が多少なりとも解消され年俸に違わぬ成績を上げてくれる事を願うばかり、であります。

 さてギャンブルと言いますと私が高校生の時分ですから今から40年前になりますが、北海道の片田舎なる我が郷里に競輪だったか競艇(今はボートレースとか言うらしいですな)の場外発売所が開設される話が持ち上がった事がありましたけれど、住民の反対運動で話は流れた、と記憶しております。
 まぁ、地元当局としては目立った特色も無く、経済発展を期待しての誘致だったんでしょうがいくら『公営競技』とは言え所詮は“博打”ですからガラの悪い人々が集まりますし、外れ“投票券”がそこら辺に飛び散り、衛生面でも治安の面でも環境の悪化は目に見えてましたんでね。

  まぁ、手軽なギャンブルとしますとパチンコ・パチスロがありますが、コロナ禍の影響もあって遊技場(店)の倒産が相次いでいるそうな。
 ……コロナ禍の影響ってのは否定しませんが、私はもっと根っこの問題だと思いますよ。
 パチンコ・パチスロというのはそれを扱うお店を、先程“遊技場”と表記しましたように「いやいや賭け事じゃないんですよ」というスタンスでここまで来た訳です。
 「まとまった出玉と交換したカッコイイ景品を何処かの誰とも知れない奇特なお店が『買い取りましょう』と言ってるだけで、遊技場が換金してる訳じゃないンすから!」
 しかしね、とあるギャンブル漫画の作者さんがエッセイか何かで言うてましたな。
 「換金出来ないパチンコ台に金を突っ込むバカがいるか?!」
 とある合法カジノ……即ちルーレットやカードゲームに使用するチップを買って、それがいくら儲かって何倍にも増えようが1銭にもならない。ただ店の従業員から「ナイスプレーヤー!」と褒められるのみ……の体験取材記での話ですがね。
 つまり国家権力(政府及び警察当局)から賭博を禁じた法律及び『射幸心』という言葉を盾にした圧力を「博打じゃなく遊技だ」で躱し続けた結果、出玉を爆発的に出す事よりも“ゲーム性”(打っていてドキドキしたり、面白いと思える演出)に業界上げて逃げ込んでしまった末路として、今のドミノ式倒産劇は起こっているんであります。
 お客は派手な演出とか「何回リーチをかけたか?」に興味は無いンですよ!
 「何回大当たりしていくら持ち金が増えたか?」……これに尽きる訳でね。
 パチスロだけは今のところ派手な出玉の噂がありますけど、これだって早晩当局からの規制が入るのは間違いないでしょう。

 大昔、パチンコ機メーカーにしろパチンコ店にしろ、創成期は中国・韓国・北朝鮮の方々が経営されていた、それだけにこれをギャンブル(博打)だと認めてしまうと公営競技がそうであるように国や自治体の管理下に入り利益の一定割合を取られてしまう。そうした形で日本という国に屈してしまうのを善しと出来なかった部分もあったでしょうがね。
 その依怙地さが爆裂連チャン機をピークとした現金取引時代までは通っていたものの、プリペイドカードを使ったCR機へと転換した辺りから雲行きが怪しくなり、今では「いくら予告やリーチを重ねても当たりが来ない」「当たっても出玉が少なくて止め時が分からない」パチンコ機ばかりになってしまった。

 そりゃあお客は離れますわな。お客が持ってる【パチンコの本質】からかけ離れとるんですもんね。

 

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