『美人は三日で飽きる』の本質
昔から『美人は三日で飽きる』と言われておりまして、その意味する処は「いくら見目麗しい嫁さんを貰っても、一日中顔をつきあわせてそれを三日も続けりゃ~、そりゃあ飽きるってモンよ」って事でありまして。
まぁ、これは結婚に限った話では無く、いくら美味しい食べ物でも何食も何食も毎日食べ続けたりすれば早々に飽きてしまって見たくも無くなったりしますでしょ?
もっと具体的な例では、あれだけ流行って高級店が乱立し、フランチャイズ権を巡って裁判沙汰にまでなった手作りパン屋さん。ブームの終焉と共にバタバタ倒産してますわね。
ここまで来るとお察しかと思いますが、実は美人であろうと無かろうと、【結婚】という契約を結び三日も片時も離れず過ごした時点で夫たる男性は『飽きる』のです。
ただし、この場合の『飽きる』を文字通りの意味で捉えるには注意が必要です。
昔からの格言や俳句、短歌、川柳などは決められた文字数もしくは端的な短い言葉で表現しなくてはなりません。
これは現代の標語やキャッチコピーにも通ずる事です。
そこで、これら制約の多い短文ではしばしば抽象的な言葉選びをして受け手に解釈をして貰う事になります。
そこでこの場合の『飽きる』を解釈してみると、交際や結婚まで漕ぎ着けるのに競争率が高かった美女ではあるが、いざ夫婦となり一緒に寝食を共にしてみると結婚前までの相手に対するテンションが三日目を迎える頃にはすっかり落ち着いてしまう、という事になります。
何故なら交際を経て彼氏彼女の関係となろうとも、それから更に結婚を前提に婚約者の関係になろうとも、いつ彼女が他の男に奪われてしまうともしれない不安が常にあり、彼女に愛想を尽かされるかしれない懊悩に悩まされ、でもそれが彼女に対する執着とも言えるテンションを燃え上がらせる燃料となっていたからです。
しかしそれも、入籍という法的契約手続きを済ませ、結婚式と披露宴で満天下に二人が夫婦になった事を知らしめた段階で、ようやく彼の不安や懊悩は収束する事になりますが、燃料を失ったテンションは上がるどころか下がってしまいます。
その様を簡潔に表現したのが『飽きる』。
では何故美人が槍玉に挙げられたかというと、仮に“妻は三日で飽きる”としてもこれ…キャッチーじゃありませんわね?世間に響かんし刺さらんですわ。
ならば学生時代の古文や漢文の要領で、同じ意味で多少大袈裟であってもより強調した表現にした方が世間には受けるんですよ。
そこで単に「妻」とか「女」とするのではなく、「いくら苦労してようやく結婚まで漕ぎ着けたような美女であっても」という意味を集約して【美人】とした訳です。
この格言を考えた人が意図していたかは定かではありませんが、この短文一つに男のしょうもなさが端的に描かれている気がしますな。
尤も結婚という契約の重みが全く無くなり、カジュアル感覚で結婚離婚を繰り返す現代に於いてこの格言の“三日”はむしろ長期間に過ぎるのかもしれませんがね。