大衆は常に間違う
Branding Photographer & Videographer の Kokoro です。
大衆は常に間違う
これは、かの有名なナイチンゲールの言葉です。
大衆とは多数派のことであり、世間でいうところの一般常識や価値観のことでもあります。
私は物心ついた時から、多数派の意見や価値観に違和感を抱き続けてきた人間なので、大衆や多数派の人間には属しません。
ゆえに、変人扱いされたり、変わり者扱いをされながら生きてきました。
しかしながら、そのことについては特に自分の感覚、感性が人とは違うから、それを正そうとは思ったことがありません。
自分の意見や考え、感覚、感性を殺して生きることは、実質的には生きていないのと同じことである、という価値観のもと
例え “はみ出し者” 扱いを受けようが、周りの人に迎合したり、大衆寄りの生き方を取り入れようとは思ったことがありません。
自分を感覚、感性を殺してまで生きることには何も価値はありません。
生きながらにして、死んでいるも同然の生き方は、ただの苦痛でしかないのです。
さて、今の世の中の状況について
私は非常に違和感を感じています。
分かりやすくいうと、多くの人が物事をみる視点が偏ってしまっていているのと同時に、表面的な情報だけしか捉えていない、ということです。
さらに、平和ボケしている、思考停止状態に陥っている、
ということへの危機感です。
今、自粛という言葉を頻繁に目にしたり耳にしたりします。
自粛自体が問題かどうかということを議論したいのではなく、
世の中の空気感に対して、違和感を感じているということです。
緊急事態宣言が出されて、約1ヶ月間不要不急の外出を控えてくださいという自粛要請が出されました。
そのことに関しては、特に思うことはありません。
私が疑問に感じていること、違和感を感じていることは
一ヶ月という期限つきで自粛要請が出されて、一時的には感染者数の急激な拡大を防ぐことはできると思うのです。
しかしながら、その後自粛要請が解除されたら、再び自粛要請が出される、という状況を繰り返してしまう、ということが容易に想像できます。
自粛している間、自宅での引きこもり生活を送っている人が多いとは思いますが、その生活の中で様々なストレスを抱えていることだと思います。
特に、移動を制限され、活動を再現されてた状態で一ヶ月間過ごすことになるからです。
1ヶ月という期限つきがあるから、なんとか自粛生活を続けることができていると思いますが、もしそれが半年という期限つきの自粛要請が出されたら、多くの人は受け入れることはできなかったかもしれません。
また、期限が延長される可能性もゼロではありません。
様々な制限がかけられ、人との距離感も離さなくてはいけない、接触を避けなければいけない、ということの反動として
自粛要請が解除された瞬間に、その反動が起き始めます。
抑圧されていた人々の移動が始まり、人との接触が増えるでしょう。
そのことが新たに問題となるのです。
なぜなら、免疫力が下がった人々が移動を始め、接触を繰り返すということが感染拡大につながるからです。
自宅での自粛生活という状況が、多くの人の免疫力低下を招いていることが想像に容易いからです。
免疫力を上げるには、という観点から考えてみると、それは明らかです。
免疫力を下げるような生活を送ってしまっている人が多いからです。
不自然な生活を送り、ストレスを抱えながら生活している、という状況が免疫力を低下させてしまうのです。
不自然な生活とは
・運動しない
・良い水を飲まない
・良い塩を摂らない
・添加物まみれの食品や、人工的な食物を食べている
・テレビ、PC、タブレット、ゲーム機などばかり見ている
など・・・
簡単にあげると、こういった生活をしていると
自らのカラダを不健康に、免疫力を下げてしまっているのです。
運動しないことにより筋肉が使われず、低体温の状態になり、
電磁波の影響を受けるとともに、画面に集中して目を酷使し続けることによる呼吸が浅くなったり、一時的に止まってしまっている状況
そして、良い水と塩を摂ることなく
口にするものが添加物や人工物ばかりだと
細胞の活動性が低下するのです。
細胞の不活性が、免疫力を著しく低下させるのです。
自粛することが重要視されていて、免疫力を下げないことに関しては全く重要視されていない。
感染拡大を防ぐ意味では、自粛は一時的な効果でしかないのです。
自粛要請が解除されれば、結局のところ感染は拡大し、
再び自粛要請が出されることになる。
その繰り返しをしていても、一向に事態の収束へは向かわないでしょう。
活動を自粛することは大事なことですが、もっと様々な視点から物事を多角的に捉えて、自分自身のあり方、生き方を含めて見直すキッカケにきていると思うのです。
仕事の仕方、人との関わり方、食生活、価値観など
この事態をキッカケに原点回帰するタイミングにきていると私は感じています。
この事態をどのように収束していくのか?
それは一人一人の行動により、向かう方向性が変わってくると思います。
ただ自宅にいて、活動自粛しているだけでは、事態は収束には向かいません。
テレビなど、世間では “殺人ウイルス” と呼ばれ、
あたかも非常に危険なウイルスであるかのような報道がなされています。
そして、ウイルス撲滅、ウイルス根絶の動きが高まっています。
しかしながら、ウイルスは撲滅も根絶もできないということを認識できていない人がほとんどです。
インフルエンザウイルスが、その良い例です。
毎年多くの人がかかりますが、未だ根絶や撲滅はできていませんよね。
結局のところ、敵対視するのではなく
共存していくしかないのです。
完全に排除するということが不可能なのに、そうしようという大衆の風潮は違和感でしかないです。
今問題となっているウイルスは人間が存在しないと生きていくことができないウイルスなのです。
つまり、極論ですが、人間が絶滅してしまったらウイルスも死んでしまう、ということです。
それではウイルス自体にとって不都合なので、人間を殺してしまおうなんて思ってはいないでしょう。
ウイルス自体が、人間を必要としているのですから、殺人ウイルスというのは認識の大きなズレを感じます。
もし、今以上に敵対視し、根絶、絶滅の動きが出てしまうと
それこそより危険な状況を生み出しかねないことになります。
ウイルスを敵対視して、例えば薬やワクチンで殺してしまおうという流れが起きてしまうと
それはウイルス側の立場からすると
生存戦略の立場から、生き延びるために
さらなる進化を遂げるという可能性が出てきます。
事実、そうやってカタチを変えて生存するための進化を遂げるという能力をウイルスは持っているのです。
それっていうのは、人との関係性においても同じことが言えると思うのです。
敵対視すればするほど反発が強くなります。
そして、関係性が悪化すれば、それは直接的に自分自身に返ってくることもあれば、間接的に自分自身に返ってくることもある。
ただ、共存していくという道を選択すれば、多少の衝突はあったとしても、
お互いにそこまで大きな問題となるような事態は起こりません。
それと同じことなのです。
敵対視すればするほど、排除しようとすればするほど
より関係性が悪化していくのです。
もう一つ、殺人ウイルスと呼ばれていたり、マスコミの過剰な報道により、不安や恐怖が増してしまう状況の中で生活している私たちですが、必要以上に恐れる必要はありません。
世界での感染者数や、死亡者数の統計を見て頂くと理解できると思いますが、爆発的な感染者数や死亡者数ではない、ということが理解できます。
そして、死亡者の年齢層は主に60から上の年齢層です。
※ 感染者数と死亡者数のグラフ 以下参照
様々な観点から、物事を考えてみることが大事です。
純粋に今問題となっているウイルスによる死者数の人は、ごくわずかである可能性が高いということです。
どういうことかというと、主に高齢者の方が亡くなっているのですが、高齢者の方の死亡原因として肺炎があります。
今問題となっているウイルスは、肺の細胞と親和性が高いということが言われています。
つまり、元々肺など呼吸器疾患を患っている人が、ウイルスにかかってしまうことで状態が悪化し、亡くってしまっているという可能性が高いということです。
年間の肺炎による死者は約10万人もいるのです。
そして、季節性でいうところのインフルエンザですが、毎年3000人以上の人が亡くなられています。
インフルエンザって、毎年冬の時期になると爆発的に感染者数が増えて、私たちの周りでもインフルエンザにかかっている人って、よくいますよね?
でも、今問題なっているウイルスにかかっている人って、自分の周りでは今のところ一人もいないし、近しい人や関わりのある人でかかってしまったという話は聞いていません。
今問題となっているウイルスは高齢者の方が感染してしまうことの危険性が問題となっています。
それは、免疫力が低下しているがゆえに、元々何かしらの基礎疾患を持っている、ということがあるからです。
私たちが活動を自粛させられているのも、何かしら活動することで
少なからずそういった方との接触の機会があるから、ということでもあります。
情報を様々な視点で捉えながら、自分自身のあり方、生き方を考えることが重要です。
自粛って何でしょう?
何のための自粛で
何をすべきなのか、すべきではないのか?
どういった生活をするのか?
この事態を収束の方向に向かわせるためには、私たち一人一人が自分自身のあり方を自分自身に問うことが求められていると思うのです。
ただ、家に引きこもって受動的な、不健康な生活をしていたら、事態は良くなるどころか、良くない方向へ加速するでしょう。
大衆は常に間違う
この言葉を冒頭に書きましたが、思考停止状態に陥って、平和ボケしている人が多い中、明るい未来は見えてきません。
自粛を繰り返していくと、どんどん経済活動は沈んでいくでしょう。
今でも、様々な業種業態で大変な状況に陥っている人がたくさんいます。
長期化すればするほど、より事態は悪化していくのは目に見えていることです。
事態を収束するには、どうすべきなのか?
もっと一人一人が考えることが大事ですし、物事を多角的に捉えることが大事だと思います。
数ヶ月で事態は収束には向かいません。
長い時間を要します。
あまりにも、短絡的、楽観的に数ヶ月で事態は収束して、元通りの生活に戻れると思っている人が少なくありません。
事態の収束はおそらく1〜3年くらいはかかると思います。
今の大変な状況はもちろん厳しい状況であることには間違いないのですが、私自身が最も気にかけているのは、今の状況ではなく
事態が収束したあとの世界です。
一気に時代は変わり、新時代に突入するでしょう。
これまでの価値観がガラッと変わり
多くの会社が潰れ、リストラがあり、自殺者が増え、
これまでになかったサービスや商品が生み出されるでしょう。
緩やかな変化ではなく、急激な変化で世の中のあらゆることが変わるはずです。
その波に乗れるのか乗れないのかが重要だと考えています。
時代の転換期に差し掛かっていて、そこで変化に対応できるのかできないのかで、生き方が大きく変わってくると思うのです。
時代の変化についていけなければ、今以上の苦しみを味わい続けることになるでしょう。
そのための準備を、今の段階から始めていく必要があります。
まさに、自分自身のあり方、生き方を問い直す機会にきています。
あなたは、今の状況、事態が収束したあとの世界をどのように捉えていますか?
考えることをやめた瞬間から、自分自身の首をしめることになると思います。
クリエーターとして、常に創造的な人生でありたいと願うのです。
時代を創る側でありたいと願うのです。
そのために準備期間をどのように過ごすのか。
何が正解で、間違いなのかわかりません。
できることからやっていくしかないですし、情報の取捨選択も重要ですね。
長々と書いてしまいましたが、このnoteを書いた背景には
世の中の流れを見ていて、このままでは多くの人が沈みゆく船に乗り込んでそのまま沈んでいくようにしか思えなかったのです。
私は、少なくともその船には乗らないし、
大衆と同じ行動、価値観、を取り入れようとは思いません。
様々な情報を(信頼できる人からの)多角的に捉えて、
自分の頭で考えて、自分のとるべき行動やあり方で生きていきたいと思っています。
それが少数派であったとしても、自分の選択で沈んでしまったなら、
それは仕方ないかなと思います。
ただ、自分で考えることをやめてしまい、
大衆や多数派に属していれば安全だろう、という浅はかな考えのもとに生きていくことだけはしたくないと思うのです。
ということで、今回は以上になります。
最後まで、読み進めていただきましてありがとうございました。