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【中学校時代vol.3:「下克上」6年目の挑戦】

・3年生の夏、大阪府大会

チームに戻り、さらに練習を積み重ね夏の大阪府大会が始まりました。
この大会で上位2校に残れば近畿大会出場権を獲得、その後の全中(中学の全国大会)にも繋がる最も大事な大会です。

大阪府は学校数も多く(確か200〜300校くらいのはず)、4つのブロックでトーナメント戦を行い、そのトーナメントを制した4校が決勝リーグで総当たり戦をするという方式でした。

そんな中で、僕たちの組み合わせと言うと、大阪府選抜チームで共に活動していた森田選手のいるチームと準決勝で対戦するというものでした。実は彼のチームは1年前の同じ大会で主力は2年生ながらも決勝リーグまでコマを進めた優勝候補筆頭のチームでした。
#ビビるな

加えて、彼のチームにはもう1人府選抜チームで共に戦ったメンバーがいるなど、このブロックは間違いなく森田のチームが上がってくると言われるほどでした。まあ当然ですよね。
#絶対ビビるな

そんな中で、僕のチームは破竹の勢いで勝ち進み、ブロックの準決勝まで勝ち上がりました。対戦相手はもちろん森田選手のチームです。
誰もが僕たちが勝つなどあり得ないだろうと思っていましたが、その予想は覆されました。

僕自身としても中学史上最高に調子が良く、中学キャリアハイの37得点、他のチームメイトも絶好調であり、まさかの僕たちが勝利するという大番狂わせが起きました。本当に最高の瞬間でした。

その後、ブロックのトーナメント決勝も勝利し、決勝リーグへ駒を進めました。しかし、快進撃はここまで。決勝リーグでは勝利を収めることは出来ず、僕たちの挑戦はここで終わりました。

・6年間の価値。やれば出来る。

あと一歩、近畿大会、全国大会には届きませんでしたがあの夏の大会期間、僕たちは夢の中にいるような感覚だったと思います。

思い返すと、小学校4年時には先輩もおらず大会ではいつもボコボコにされ、中学入学後も大きくメンバーが変わることなくほぼ同じメンバーで戦ってきました。

あの時から考えると、これだけの舞台で、あのメンバーで勝ち上がって行けたことは、「俺たちでもやれば出来るんだな。」ということを自分たちで体現できた瞬間であったと思います。

今だから言えることがあります。僕は正直、ミニバス時代もこのチーム、メンバーじゃなかったらもっと勝てるんじゃないか、自分はもう少し高いレベルでやれるんじゃないかと思ったりもしていました。
#図に乗るな

ただ、そうゆう問題ではありませんでした。

チームが勝てないのは自分自身の力不足であるし、それをチームのメンバーの責任にしようとするなんて、どれだけ格好悪い考えをしていたのかと今では思います。

そういった考えを中学校の3年間で改めることができましたし、何よりあのメンバーでぶっ倒れるまで練習して、練習後も集まって遊んで、無我夢中で生活をしていた時間が何より心地よく、幸せな時間だったのだと思います。

一公立中学校の部活ということもあり、実力差はもちろんありましたが、それなりに熱を持ったメンバーがいたからこそ僕はあのチームが好きでした。何ら悔いなく中学バスケを終えることができましたし、それだけの時間を共にした仲間は今でも関係は続いています。

こんな感じで様々な経験を経て、僕は高校生へとなっていくのでした。


中学同期成人式
↑成人式時の一枚(2017年1月)

中学同期就職前

↑大学卒業時、就職前の一枚(2019年3月)


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