全てのことは自分が決めている、自分で気づいていないだけで
どうしても書き留めておきたいことがありました。
わかっていたつもりで、全然わかってなかった。
すごく大事だから、現在と過去と未来、すべての私に向けて書きます。
最近すごくすごくつらかった
海外で働き始めて、約1年が経とうとしている頃、仕事上の人間関係でとてもショックなことがありました。
自分の仕事、成果、いろんなフラストレーション、そして私生活で帰宅後に話し相手がいない、ドイツのくらい寒い冬という要素も相まって、ただでさえ辛いのにもっとつらくなってしまいました。
そして、そのショックなことがきっかけで、「私の仕事量も、プレッシャーも、きっと私に辛くのしかかっていつか私はつぶれてしまうのではないか」というよくわからない思考にまで至っていました。
仕事後や休日に、「やらなきゃ」じゃなくて「やりたい」と思うことをやるなどといった、リフレッシュするアクションを試したりして、心を健康に保とうとはしていました。
でも、仕事に対するモヤモヤは依然としてすっきりとしておらず、ついにはとある会議を忘れてすっぽかしてしまうなどという、痛々しいミスも出現しはじめてしまいました。
自分は頑張っている、でもできない、もうだめだって思っていた
急な仕事の依頼への心の許容度も下がっていたし、仕事の時間は長いのに、今一つ私がやったことの成果は何なんだろう、と思っていました。
どうして私の思考力はこんなにも浅いのだろうと泣きたくなる時もありました。
たぶんこの頃は、「辛い」という気持ちに中に、「なんで私が」という気持ちも少なからずあったと思います。
主体的に仕事に取り組んでいきたいのに、全く主体的に考えられていなかったんですね。
「私はもうキャパオーバーなんだ!」
「もう限界かも・・・」
一人で抱えきれない仕事に、イライラしたり、テンパり気味だったり・・・もしかしたらフキハラ(不機嫌ハラスメント)すらしていたかもしれません。
その天井は自分が見ていた幻想だったのかもしれない
そんな日が続いたある日、私はずっと前からお会いしたかった人に思い切ってSNSでメッセージを送ってみました。
ただ、その時は、「やりたいことをやり、行きたいところに行く」というアクションの一環で会いたい人にもメッセージを送ってみたんです。(一度会ったことはある人)
その人はとても気さくで、会うことがすんなりと実現しました。
そして、その人と話してみると、私はなんだかそれまでの自分を苦しめていたのは、上司でも仕事でもなく、私自身だったのではないかと気づかされたのです。
もっともっとたくさんのメッセージを受け取りました。
私の何倍もの仕事量がありながらも、”仲間と一緒に”多くのことを作り上げ実現してきたその人の言葉は、私の課題にも目を向けさせてくれました。
そして、私は仕事は楽しんでやりたいと思っているのに、全然楽しめていなかったことにも気づかされました。
私の考え方や捉え方が、私自身を辛くしていたのです。きっと。
仕事が楽しくないのではなく、私が楽しんで仕事をしようとしていなかったんです。
孤独なのではなく、私が周りを頼っていないから、孤独に感じていただけなんです。
そして、そもそも私は、勝手に自分の限界を、自分で設定していたかもしれないとハッとしたのです。
「ノミのジャンプ実験」の話は知っていますか?
私は、まさに瓶の中に入って一人でもがいていたような心境でした。
そして、先日、蓋の存在なんて知らないその人が、自由に動き回り飛び回り、思いのままに仕事を楽しみながらなんでもやってのけたことを知り、私は、私が感じていた蓋の存在に疑いの気持ちが芽生えてきたのです。
メンターになってくれませんか?
私は、その人と合ってお話ができて、本当に心から良かったと思っています。
私の問題は、私自身で解決ができるかもしれないと気づけたから。
きっと私はことあるごとにその人と話したことを思い出し、それでもだめかもしれないとまた思ったときは、きっとまた相談してしまうかもしれない。
それほど、その人の存在は私の方位磁針のように、はたまた北極星のように、私を私がなりたい自分へと導いてくれそうな気がしているのです。