ギタリスト渡辺香津美の今〜その2
70歳の赤ちゃんが目覚めました!
「わたしがわかるの・・・?」
「・・・・・!」
目に涙をいっぱい浮かべて
首を縦にふり、
精一杯の頷きを見せてくれた瞬間の気持ちを、
なんと言い表せばよいのか。
「香津美さん、、、お懐かしゅうございます!
よくぞ、おもどりくださいました・・・!」
自称、歴女たる自分としては、
自然に湧き出た言葉。
果たして、、、これは、ほんとうに認識しているのか、どうか?
確証を得るまで、YesとNoだけで返答できる問いかけを、
何度か試みる。
意識はともかくとして、
何かしらの刺激で反射的に動くようになっていた左手の指先が、
そうだよ・・とでも伝えるように動きをみせる。
はっとして、その手を握ると、
強く握り返す指先に、熱がこもっている。
わたしへの答えとして、
意識的に、握り返しているのだ。
この人生をつうじて、
これほどの再会の喜びがあったろうか?
これまでのすべての祈りが報われたような、
あふれんばかりの情動が込み上げる。
脳幹出血で倒れて、緊急搬送された日から、
ちょうど2ヶ月経った日の午後のことでした。
「ご主人は脳幹出血の最重症です。
もう少し軽い症状であれば、目が開いたり、
意識が戻ることもありますが、それも稀です。」
主治医の所見を受け入れてはいたので、
これまでも、一喜一憂せずに見守ってきました。
でも、奇跡は起こるのですね。
記憶に刻まれるかぎり、
これまで生きてきて最も気の遠くなるような別離、
そして至福の再会。
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多くの方々にご心配をおかけし、
たくさんの祈りと応援をいただいてきましたので、
すぐさま、その喜びのご報告をすべきではありました。
そう思いながら、2ヶ月以上経ちました。
夏真っ盛りになるまで、
実はたくさんの課題に立ち向かい、
一旦思いに区切りをつけて、
やっとのことで・・・
感謝と共に、お伝えすることにしました。
意識がもどったことだけでも、
教えて欲しかった!
とお叱りを受けるかもしれませんね。
どうぞ、どうぞ、おゆるしください。
直接、間接、メッセージ、
あるいはただただ遠くで祈り続けてくださった
すべての方々に、
これからもずっと応援していただきたいと、
心の底から願っています。
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目覚めたのはゴールデンウィークも間近の新緑の頃。
それからの2ヶ月にわたる、心と命の葛藤は、
むしろ目覚めない方がよかったのか・・・?
と自問自答するほど・・・
考えてはいけない方向に思考がひっぱられることさえあり、
・・・・・
いま、ここ!
と自分を戒めながらも、
まわりの温かい人々に
なお一層・・・思いっきり支えられ、
なんとか過ごしてきたように思います。
香津美さんとワタシ・・・
お互いにとっての心と記憶の現在地が測れないもどかしさ。
常に寄り添って励まし続けることのできない物理的な事情。
意識が戻って数日後・・・
予定していた日程が急に早まり、
回復期リハビリテーションに特化した病院に
転院させることになりました。
さるお方にご紹介、ご尽力いただいての転院。
実績のある素晴らしい病院です。
ご縁をいただけたことすら奇跡の一環と思われます。
民間救急車を手配し、
無事に転院を完了させたことで、
ホッとしたのも束の間、
その直後からじわじわと、
ワタシが抱いてきた様々な思い。
軽井沢から車で2時間半ほどの距離。
新幹線や在来線を乗り継いでも同じくらいかかる場所。
そんな物理的な距離などとは別に・・・
想像以上の面会規定の厳しさ。
コロナ禍以降の事情なのでしょう。
この現実を受け入れてはみたものの、
「リアルに会えない」は
想像以上のストレスとなりました。
目覚めてしまったからこそ、
香津美さんの心に寄り添わなければならないタイミングで、
転院という環境変化を強いてしまったこと。
いちばん危うい精神状態の70歳の赤ちゃん!を
放置ししてしまったような、
こころもとない気持ち。
自分のことなら、
如何様にも対処し、乗り越えてみせる!
のですが・・・
生まれたてのように体も言葉もままならず、
一人では何もできない、という意味での
「赤ちゃん」。
しかしながら記憶に残る人生の残像を
思い巡らす70歳のギタリストにとって、
計り知れない試練が訪れていたのは、
想像するに余りある現実といえます。
とはいえ、
絶体絶命から2ヶ月経過で意識をとりもどし、
自発呼吸をしながらリハビリ期間を過ごしていることの奇跡。
この奇跡にしがみつくことなく、
つぎなる奇跡を呼び起こす力が欲しい。
「イキテイルダケデ、マルモウケ!」
と唱え続けるには、
いまのワタシはあまりに情けない、
そして涙もろすぎる!
etc…etc…etc…
意識の回復からの2ヶ月間を振り返るに、
自分自身の精神状態は揺れに揺れて、
その振幅の大きさを俯瞰できるほど。
偉そうなことを言ってみても、
常に「いま、ここ」という安定したものには遠く、
むしろ「いま、そこ?!」
香津美さんを慮るあまり、
今起こっていないことを思い巡らすばかり。
こんなことでは良い結果が導けない!と奮い立ち、
あらゆる癒しや心の処方箋を探しては、
眠れぬ夜に対処し、
それでも朝陽を浴びて、
チベット体操〜軽い瞑想・・・たまに散歩。
全身ポジティブにエネルギー・チャージで
精一杯の日課をこなし、
暮らしと仕事のあらゆる方面に創造力をはたらかす。
心のヒダまで観察し、
揺らがぬ信念をとりもどすのに四苦八苦!(苦笑)
一方、2月末の危篤状態からの2ヶ月間は、
日々目の当たりにする香津美さんの姿に、
夢中で語りかけ続けていたから、
良い意味で、全集中。
気力に勝るものなし?!といっても、
体は正直なもので、
我ながら健気に耐えていたらしい。
気づけば肩も首もパンパンで・・・
鍼灸の先生に診てもらったら、
これ以上痩せたら危険・・・と。
何だかんだ言っても、
この転院の思し召しは、
ワタシ自身の休息をはかり、
次なるステージに備えてエネルギーを回復させる・・・
タイミングでもあったかと、
思い直してみたり。
ワタシ自身の、この複雑な心境に呼応するかのように、
転院先においての香津美さんは、
後ほど伝え聞くに・・・
一進一退であった模様。
全身医療が必要な状況に配慮しながらも、
リハビリテーションは積極的に行われているのだと、
信じるしかないけれど、
知らない人々に囲まれて、
目覚めた世界に映るのは、
一体どんなものなのか・・・。
首都圏に限らず、全国的に猛暑がおとずれ、
寒暖の差に和む軽井沢にも、
麓には30℃を記録する日もある、この頃。
雄々しく緑が萌え、
草むしりもままならぬ庭を眺めながら、
大きく、これでもか、と深呼吸。
やがてワタシに訪れた心境の変化。
とどのつまり、ワタシという人間は、
香津美さんの居ない人生に興味がない、
のです。
この4ヶ月あまりの計り知れない大きな経験。
これまでの人生で培われたものは、
大いなるものの、ほんの一部でしかなかった、と実感。
同じような、あるいは似たようなケースで、
藁をも掴むような心境に陥っている人がいたら、
なんらかの光が届けられるかもしれない・・・
ワタシ自身、
脳にまつわる様々な情報を探していて、
思い至ったこと。
脳卒中の部類でも、
脳幹出血・・・ましてや
香津美さんのような最重症の場合、
回復に至るまでの詳細を記録したものを見出すのは難しく、
いえ、見つからない、とさえ言えるほど。
そうであれば、
香津美さんのこれらの経緯は、
ここまでの時点でも、
十分、奇跡の連続と言えるのではないだろうか!
そこで心機一転。
まだ余談を許さぬ様相を呈しているものの、
渡辺香津美の今・・・は
更新中です。
というわけで、
別のノートに「備忘録」を展開することにしました。
あくまでも
「香津美さんとワタシの場合」のこと。
まさしくリアルな所感もまじえて綴ります。
この貴重な体験が、
情報として、
何かのお役に立てれば本望です。
お時間ある方はおつきあいくださいね。
今なお、かわらぬ励ましと祈りを捧げてくださるみなさまに、
心からの感謝を・・・叫びます!!!