第21回ケア塾茶山 『星の王子さま』を読む(2019年5月8日)
※使用しているテキストは以下の通り。なお本文中に引用されたテキスト、イラストも基本的に本書に依る。
アントワーヌ・ド・サン=グジュペリ(稲垣直樹訳)
『星の王子さま』(平凡社ライブラリー、2006年)
※進行役:西川勝(臨床哲学プレイヤー)
※企画:長見有人(ココペリ121代表)
はじめに
西川:
この読書会も今日で21回目です。すごいですね。1時間半から2時間やって1回あたり5ページぐらいしか進んでない(笑)。今日読むあたりは、いわゆる山場ですから、しっかり読みたいと思います。
この山場のところは隙のない文章で、解説を拒否するところです。他のところは、案外、色々、はさみ込みながら考えることできるんですけど、ここはただ「読め」という感じですね。
まあ、ぼちぼち始めましょうか。
121ページからですけど、いきなり真ん中からやるのもあれなんで、16章114ページから読んでいきますね。前回やったところです。
ここが、キツネと王子との出会いの場でしたね。王子が一番、絶望したときにキツネが現れてくるわけです。前回もいろいろ話しましたが、まず挨拶をどちらから始めるか。挨拶にも、なしのパターンとか、挨拶を王子からする、とか、向こうからするとか。挨拶にもいろいろバリエーションあるんですね。
今回は王子さまが丁寧にあいさつを返すんですけど、うしろを振り向いてもまだキツネの姿は目に入らない。相手を視覚的に見つける出会いもあるし、そうでないやつもあるんです。
パイロットが王子と出会ったときも、最初は姿が見えなかったんですね。「大切なものは目には見えない」というのと、きっちり合うように、大切な人との出会いというのは、まずは声から聞こえてくる。
これも何度も言いましたけど、見るっていうのは見る側がちゃんと視野の中に入れて、それに集中しないと見えてこないんですけれど、聞こえるというのは、四方八方から聞こえてくるわけです。どこから訪れるかわからない。まあそういうかたちで自分の意図、関心とは違うところから、本当に大切なものは自ら訪れてくる。そういうふうに読み取ることできるんじゃないかなと話しましたね。
もちろんそんな屁理屈は書いてませんけれども、サン=テグジュペリがこの本の中で、王子と、王子以外の人たちとの出会いを、明らかにきれいに描き分けてある。子ども向けに書かれた何かファンタジーのように見えるんですけれども、実はものすごく緻密に計算された作品です。何回も言ってますけれども、読み取っていくっていうのも大事なことかとぼくは思っているんです。
この「なじみになってもらっていないからね」という訳です。通常は「飼いならされていないからね」と多くの訳本ではそうなっていますが、稲垣さん[*1]は「なじみになる」と翻訳しています。
そのことの理由については、『「星の王子さま」物語』[*2]に書かれています。『翻訳技法論』[*3]という本もあります。彼、仏文の先生ですけれども、フランス語の意味をしっかり捉まえて、辞書的には「飼いならす」が一番最初に出てくるんですけど、そういう主従関係ではないだろうということで「なじみになる」と翻訳したと書かれていました。これはもう前回紹介しましたね。
[*1]稲垣さん:稲垣直樹(1951年8月 - )仏文学者。京都大学名誉教授。1984年に『ユゴー詩集』で日本翻訳文化賞を受賞。2017年京大を定年、現在は名誉教授。ユゴー、サン=テグジュペリを専門とし、19世紀心霊科学と文学との関係を研究。
[*2]『「星の王子さま」物語』:著者:稲垣直樹、2011年5月14日平凡社より刊行。
[*3]『翻訳技法論』:『翻訳技法実践論: 『星の王子さま』をどう訳したか』、著者:稲垣直樹、2016年5月20日刊行。
僕がですね、『星の王子さま』をケア論として読むことを最初に思いついたのは、この章のところを読んだときです。僕は認知症ケアを、20年ぐらい研究というか関わり続けてるんですけど、認知症の人にとって、なじみの関係が非常に大事だということは常に言われてきました。
でも、「なじみの関係」の「なじみ」自体については「そんなんわからへん。「なじみ」言うたら「なじみ」や」みたいな感じで大事な言葉についてほとんどみんな思考停止してしまって、もうスローガンのように言っています。「相手に寄り添う」とか、ケアの文脈でも耳に心地いい言葉はそのまま使うみたいなことあるんですけど。
改めて「いや、「なじみになる」って、一体どういうことや?」って考えたときに、このサン=テグジュペリがキツネの口を借りて王子に教える「なじみになる」ことの意味は、いわゆる今流行りのケア論というか、おおかた流通しているケア論とはずいぶん違うんですね。
「「なじみになる」ということは自分の時間を失うこと」みたいに、「え?」っていう感じなんですけど、そこをじっくりと考えて、ケア論、新しい考え方が、この『星の王子さま』を読むことでできるんじゃないかっていうのが僕の最初の着想でした。
だから、「なじみに」と訳された稲垣さんのこの翻訳と出会わなければ僕はこれをケア論として読むという思いつきは得られなかったわけです。だから、「自分の時間を失う」というのが稲垣さんの翻訳です。稲垣さんには、非常に恩義を感じるというか、新しい『星の王子さま』の読み方というものの扉を開いてくれたというふうに思います。
「きずな」の問題をどうほどくのか
西川:
何度も何度もわからなければ、納得するまで問い続けるのは王子の特徴ですね。王子が問題にするのは、普通ならば、通りすぎてしまうような普通の言葉ですよね。それについて、王子が問いを持つとそこから今まで思っている大人の常識のようなものが次々と裏返っていく。そういう仕掛けになっています。
ここも大事なところなんです。前回は言ってなかったかもしれませんけど、今回ちょっと読み返してみて思うのは、「なじみになる」こと、「それはきずなを結ぶことだよ」というところです。
「きずな」とは何なのか。「君がぼくのなじみになってくれたら、君とぼくとはお互いになくてはならない者どうしになる」というこの言葉は、ものすごく、いいようにも聞こえるけれど、一方で「なくてはならない者どうしになる」というには恐ろしい関係だと思います。だって互いがもう逃げようのない、縛りになるっていうことですから。
『人間の絆』[*4]というモーム[*5]の小説があります。ぼくは読んだことないですが、鷲田先生[*6]に「これ、『人間の絆』って、普通、訳されてるけど、バンデージ(bandage)やったかな。縛りとも読めるんやで」って言われました。
だから、「きずな」を何か美しい言葉のように考えるだけではなくて、その「きずな」が、言ってみたら二人の関係を、それ以外の者から遮断し、ものすごく自閉した二者関係に追い込めてしまう。そういう危険性もあるんやってこともちょっと頭に置いといてください。
だから、「なじみになったら、この世でたった一人の子どもになるし、この世でたった一ぴきのキツネになる」「お互いになくてはならない者どうしになる。ああ、素晴らしい」と思う一方で、「いや、待てよ」とは思ってもらいたいんです。
[*4]『人間の絆』:(原題: Of Human Bondage)イギリスの作家ウィリアム・サマセット・モームによって書かれ、1915年に発表された小説。幼い時分に両親を失い、叔父に育てられた作者自身の自伝的な教養小説である。日本語訳(現行版)は、中野好夫訳(新潮文庫 上下)と、行方昭夫訳(岩波文庫 上中下)がある。-Wikipediaより
[*5]モーム:ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874年1月25日 - 1965年12月16日)イギリスの小説家、劇作家。フランス、パリ生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医、諜報部員として従軍した。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。作品に『人間の絆』『お菓子とビール』や短編「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」など。ロシア革命時は、秘密情報部に所属した情報工作員であった。- Wikipediaより
[*6]鷲田先生:鷲田清一(わしだ きよかず)。1949年京都府生まれ、哲学者。大阪大学名誉教授、せんだいメディアテーク館長。関西大学文学部教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長などを歴任した。専攻は臨床哲学・倫理学。現象学・身体論を専門としており、ファッションを研究している。
ケア関係に共依存という言葉があります。「私がいなくちゃ、この人は…」と、ケアする側、援助する側が過剰な思い入れをもって「私が、嫁さんが認知症になったんやから、夫である私こそがちゃんと面倒見らなあかん」となることですね。それから「私のことを本当にわかってくれるのはこの人だけや」みたいになること。
お互いが他の人たちとの関係を結ぼうとは思わずに「本当にこの世で大事な人はこの人」「私を助けてくれるのはこの人」みたいな関係、共依存的になると、ケアの関係が煮詰まってしまって、愛情がいつの間にか支配になったりします。その支配が逆転して、虐待に変化したり。
障害者のところだと、「こんな重たい障害を持った子どもを、母親である私が、世間の人は相手せえへんけど、私は自分のお腹を痛めて育ててきた子どもやから、生きてる間は必死になって面倒見る」とかなったり。でも、如何せん、母親である「私」のほうが先にこの世を去ることが多い。そうしたら「私が死ぬ前にこの子を…」みたいなかたちで「自分がいなければこの子は生きていけない」「私がいないこの世のつらさを経験させるぐらいなら、この子を殺してそれから私が死のう」みたいな親子心中が起こったりします。
介護の場面でもそれがけっこうあります。介護心中というようなね。もうこれは本当に「きずな」が、ガチガチになって縛りになってしまっている。最初の意図とまったく違った結末になってしまいます。
そういう危険性があるんですけど、サン=テグジュペリがそのあと、それをどういうふうに、ほぐしているか。ぼくは今回読み直してみてすごいと思いました。
このキツネのセリフは僕も大好きなところなんです。「なじみになる」っていうこと。誰かと「なじみ」の関係になるっていうことが、人間関係を豊かにするだけではなく、その人が生きてる世界自体を明るく豊かにする。無縁のものがどんどんなくなっていく。そこが素晴らしいところで、「なじみ」の喜びっていうものが世界に広がっていくんですよ。「なじみ」の関係の者どうしのなかで行ったり来たりするんじゃなくって。ここがすごいと思います。
共依存はそうじゃないんですよね。「他の人は頼りにならない」「私だけが」「お母さんだけが」となってしまって、どんどん世界が狭くなるわけです。『世界は二人のために』[*7]なんていう歌ありましたけど、そんなふうになってしまう。
そうじゃなくて、サン=テグジュペリが考えて、このキツネが言ってる「なじみ」というのは、お互いがいなくてはならない者どうしになるっていう通常考えられていることだけではなくて、「世界が豊かになる」ということですね。
今までまったく関心の外にあった麦畑が、その上を吹く風の音さえ、心が躍るようになるってことです。そんなふうにして、「きずな」を二者関係だけに収めないところが、キツネの知恵の素晴らしいところです。それを具体的にケアの現場のなかでどういうふうに考えていくかについてはまた、具体的な現場のなかで考えていくことになると思います。
[*7]『世界は二人のために』:1967年5月15日発売の佐良直美のデビュー曲。
何かを知る時間
西川:
「たった一人の」ってキツネは言ったのに、「友だちを何人も見つけなければいけないし、たくさんのことを…」って王子は返すわけです。多くなければだめなんだというわけで、王子は全然ここでは「知恵」がない。最初すぐには王子はわからないわけですよ。
キツネの最初の前の言葉の本当の意味っていうのを、王子は理解できていない。それを理解できていない王子に対して、言葉を変え、諄々とこう、キツネが教えていきます。
これが言ってみたら我々の常識的な普通の通念とはかなり違うことを言っています。「自分がなじみになるものしか、人は知ることはないんだ」みたいなね。
「なじみになる」と「知る」は違うと普通は思いますよね。でも「なじみになる」と「知る」ことは表裏一体というわけです。しかも、単に知的能力とか云々ではなくって、「人間たちには、なにかを知る時間なんかもうなくなっているんだ」と続きます。「何かを知る時間」「時間こそが必要なんだ」という言い方です。知ることには時間がいる。「知力が要る」じゃなく「時間が要る」っていうことですね。
「人間たちを探しているんだ」「なんで探してんねん」「いや、友だちがほしいから」って王子はいっている。でもキツネは「人間たちは友だちなんてもう作れないよ。作るとしたら、このキツネであるぼくと、ぼくをなじみにして友だちになろうよ」と返したわけです。
「なにかを知る時間」をできるだけ短縮しようとしてるのが、今の情報化社会ですね。スマホとか使ってインターネットで検索したら、たちどころにそれに類した情報が山ほど手に入ります。
昔、僕が関大(※関西大学)2部の哲学科だった頃、プラトン[*8]を読みたいと思ったんですけど、当然、古代ギリシア語で書かれた本なんて、そばにありません。近所にはない。図書館に行ってもない。簡単に手に入らない。
京都あたりに行って、古本屋めぐりしても、そう簡単に出会わないです。田中美知太郎[*9]の『ギリシア語入門』[*10]とかあるけど、それもほんのちょびっとしか載ってない。
京都大学で田中美知太郎さんのもとでギリシア哲学を勉強した院生と一緒なったことあるんですけど、その人が古代ギリシア語の原典を持ってて。「ああ〜!」っていう感じです。何か一つの文献にたどり着くのでも、ものすごい時間かかったんです。
僕は「ヘラクレイトス[*11]の言葉」というのが一番最初に書いた、哲学的な文章なんです。ヘラクレイトスが語ったことというのは、『初期ギリシア哲学者の断片集』[*12]に出てはいるんですけど、本当に断片のうちのまた一部分しか載ってない。
でも、昔の戦前に出された田中美知太郎さんが翻訳した『ヘラクレイトスの言葉』[*14]っていう小っちゃい文庫本があるんですよ。それを僕は奈良の古本屋で見つけて、もう飛び上がるぐらい喜んで。それをもう丹念に読んで書き写して、それで初めての文章を書いたんです。「書きたい書きたい」「知りたい知りたい」と思ってても、なかなかそう簡単に手には入らなかった。
その間、ずっと知りたいという情熱を育てていかなあかんのです。「そういうものを読みたい」って思いながら、古本屋へ入ると、それが見つからないときでも色んな本が見つかっていくんです。そういう機械的な検索とは違う、探求のジリジリした気持ちのなかで何かを求めていたわけです。
今は本当に古代ギリシア語であろうが何であろうがインターネットで探すことができる。プラトンの原文だってぜんぶ手に入るんです。だから「さあ、ギリシア文とやっと出会えた」みたいな感動もないやろうしね。
[*8]プラトン:(紀元前427年 - 紀元前347年)古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子、アリストテレスの師に当たる。著書は『ソクラテスの弁明』や『国家』等。
[*9]田中美知太郎:(1902年1月1日 - 1985年12月18日)日本の哲学者、西洋古典学者。京都大学名誉教授。文学博士。ソクラテス・プラトン研究の第一人者として著作を多数出版し、西洋古典学の専門家を育成した。保守系論客としても活躍した。
[*10]『ギリシア語入門』:田中美知太郎、松平千秋による古典ギリシア語を学ぶ本。初版は「岩波全書」シリーズ一冊目として1951年9月25日に刊行され、以後改訂しながら版を重ね、半世紀もの間さまざまな教育機関やカルチャーセンターなどで古典ギリシア語初級のテキストとして利用されている。
[*11]ヘラクレイトス:( 紀元前540年頃 - 紀元前480年頃? ヘラクリタスとも)ギリシア人の哲学者、自然哲学者。
[*12]『初期ギリシア哲学者の断片集』:訳・編:山本光雄、岩波書店1958年05月15日刊行。公式サイト紹介文より『古期オルペウスの徒からヂオニュソドロスらに至る,ソクラテス以前の古代哲学者たち40余人の言葉を集め,編年順に排列したもの.初期ギリシア哲学を研究する人々の座右の書である.出典索引,文献目録等を付す』
[*13]アテナイ文庫:アテネ文庫。弘文堂より出版の学術系の文庫レーベル。1948年創刊し、301巻をもって刊行休止。2010年より復刻版を刊行。
[*14]『ヘラクレイトスの言葉』:田中美知太郎訳、弘文堂書房 (1948/1/1)
待つことができなくなった時代
西川:
昔は「元気ですか」っていうのも電話でした。でも、僕らのときには家に電話があるわけで。彼女に電話しようと思っても「お父さんが出てきたらどうしよう」みたいに、見えない壁がいっぱいあったわけです。思いを伝えたりだとかって簡単にできなかった。
今は、ぼくはしてませんけど、LINE(ライン)とかありますよね。ただ、これも来たメッセージにすぐに返事しなかったら「無視してる」みたいなかたちで、人間関係が破綻する。「早く、即、応答する」ことが、倫理的というか、人間関係を大事にしてる物差しにみたいに言いますね。
要するに、知るための時間というか辛抱を、まったくなくすように世の中が動いている。僕の師匠の鷲田先生が、『「待つ」ということ』[*15]っていう本を書かれてて。「今の時代というのは待つということができなくなった時代だ」と…、色々書いておられます。
サン=テグジュペリの生きた時代はもちろん今みたいな情報化社会ではないですけれども、彼は郵便飛行のパイロットやってましたから。郵便を少しでも早く、違うとこ…遠いところに届けるって。最初の頃は汽車に負けていたから、少しでも早く届けるルートを開発していたんです。
サン=テグジュペリが『夜間飛行』[*16]という作品に書いてますけど、彼が郵便パイロットやってた頃は、危ないから夜は飛行禁止だったんですね。だから、いくら昼のあいだ飛んでも夜のあいだには汽車に追い抜かれしまう。
だから、パイロットたちは夜間飛行の可能性と新しい航路を作ることに命を懸けたわけです。だから、サン=テグジュペリはある意味でコミュニケーションのスピード化に命を賭けた人ともいえるわけです。
そんな実生活がありながら、「何かを知るっていうのには時間がいるんだ」「なじみになったものしか人は知ることができないんだ」とか書いている。それはそれでけっこうおもしろいですね。
時代のなかで、社会のなかで、それこそ、彼が選び取った職業なんですけど、それにぜんぶ飲み込まれてしまうんじゃなくって、何が人間にとって大事なのかっていうことを、もう片一方ではしっかり考え続けてるっていう。そういう人だったんだと思います。
[*15]『「待つ」ということ』:著者:鷲田清一、2006年08月30日に角川学芸出版より刊行。
[*16]『夜間飛行』:(原題:Vol de nuit)フランスのパイロット・小説家であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる小説であり、1931年にガリマール書店から刊行され、同年のフェミナ賞に輝いた。翌1932年には英訳 Night Flight がアメリカとイギリスで刊行され、1933年にクラレンス・ブラウン監督によって映画化された。1956年に堀口大學による邦訳が刊行された。サン=テグジュペリ自身の飛行機乗りの経験を活かしたリアリズムにあふれる作品。- Wikipediaより
少し離れたところに座るんだよ
西川:
シュヴィング女史[*17]が書いた『精神病者の魂への道』[*18]という本があります。そこに出てくる保護室に入ってる緊張型の精神病者で、ずっと毛布をかぶってる患者がいるんですけど、その患者のもとに、シュヴィング看護婦が、毎日毎日、訪れるわけです。でも声もかけない。ただ訪れては、そばに少しづつ座っていくんです。
[*17]シュヴィング:「シュウィング」「シュビング」とも表記。スイスの精神療法家。従来近づきがたい不可解な病気とされてきた精神分裂病に対して,はじめて精神療法的接近を試みた先駆者の一人として知られる。ウィーン大学精神科の看護婦となって,フェダーンから精神分析的訓練を受けた。たぐいまれな資質をもって献身的に患者に接し,分裂病治療における〈母なるもの〉(献身的な愛と忍耐)の重要性を身をもって実証した。その臨床経験は,《精神病者の魂への道》(1940)に詳しく記録されている。-世界大百科事典 第2版より
[*18]『精神病者の魂への道』:著者:ゲルトルート・シュヴィング、日本では訳者:小川信男、船渡川佐知子 みすず書房、1966年4月5日刊行。
『精神病者の魂への道』は名著だと思います。ほんとにこのとおりなんですよ。黙ってる。黙っていながら、何度も何度も通いながら。そしたらある時、とうとう、毛布をパッとあけて「あなたは、私のお姉さん?」って、その患者が声を出したと。
これを精神科看護ではシュヴィング的アプローチといいます。アプローチといっても、ケアする側がケアの意図をもって相手に関わるわけです。近寄る側に理由というか意図があるんです。
認知症ケアで介護拒否とかって言い方をよくします。「「お風呂入りましょう」って言ったら拒否されました」「介護抵抗とか介護拒否が強くて、本日、入浴されてません」とか、デイサービスの職員が家族に書いたりしますね。要するに「やろうとしたのに向こうが拒否した」ってことです。「ケア」はケアする側がスタートなんです。
対して、シュヴィング的アプローチはあくまでも徐々に近づく。許しを得るというか、相手が近づかせてくれるんです。『星の王子さま』にあるように「毎日、君は少しづつ近くに座れるようになる」んです。「座る」んじゃなくて、「座れるようになる」。つまり相手から、許される。
僕も、精神科で看護師をやっていたとき、シュヴィングの話を読んで、それから実際に優れたケアをする先輩を見ることになるわけですが、だいたいこういうやり方なんですよ。
新しく新入院してきた患者さんは、本当に、緊張興奮の最中です。薬飲まされて、注射されて、保護衣を着せられて、ベッド抑制される。でも、看護師はオムツ交換やとか何や色々やらなくちゃいけないことは多いんです。
ベテランは、やることがあっても、そんな動きはすぐしないんです。ベッド抑制されてる人に背中を向けて患者さんと立ち話をしたり。それで話ししてる患者さんがいなくなっても、そのベッドから離れない。それでも別に患者さんのほうを見るわけでもない。「何かをするのかな」と思ってたら、詰め所に帰ってくる。それでまた何回も何回もいくんです。
そのあいだ、患者さんは何も言いませんけどももう必死になって周りを見てるんですよ。これまで自宅では精神的な変調で「ぶわあー」ってなってて、それからおまけに精神病院連れてこられて、「ああー!」ってやってるうちに縛られて、精神薬をボーンと打たれる。それで「うわあー」ってなって、自分に何が起きたかも定かではないんです。周りが自分にとってもう脅威以外のものでしかない。
そのなかで「自分に襲いかかるように近づいてこない人」はきっちり見分けるんです。「オムツ交換しようね」とか「薬飲もうね」とか「ごはん食べようね」って言ったって、常識的にはそれ看護なんですけど、されてる人間にとってみたら「何でお前に」みたいな感じで、信じられないわけです。
周りが、ぜんぶ、人造人間に見えてるっていう妄想の世界に生きてる場合だってあるんです。だからそういう意味では、本当に少しずつ少しずつ、近くにいることがなじんでくるまで、時間かけなくちゃいけないんです。ただ、そんなことをやり続けるのは、非常に手間暇かかります。「半分遊んでんのか」って思えるぐらいなんですけど、それをやることがすごく大事なんです。
僕が認知症のデイサービスで働いてたときに、入浴してくれず、トイレ誘導しても絶対来てくれない人に対してはそういうやり方を試していました。その人が来て、ソファにバンと座ったらもう立たないんですよ。何か言っても「ああ、いいよ。大丈夫、大丈夫」って断ってくるわけですね。
認知症のある場合、対人関係のなかで常に失敗をするんで「まずい」と思ってるわけですよね。だから自分の体面とかそういうものを保とうと思ったら、自分が下手に動かない。人が働きかけてきたら「いや、けっこうです。大丈夫です」って言って断るっていうふうにずっとやってるんです。
中庭が見えるところにソファがあって座卓があって。そこに座って新聞を読んだりとかして、何か話したり。少しずつ少しずつでした。2週間ぐらいかかったと思いますけど、ちょっとだけその人のそばに座るようにして、しまいにはそのソファの横に座るようになって。
どこまでできるのかわからへんけど、ピクッとされたら、何か用事ができたかのような顔して、スッと立って違うとこ行ってね。実際に臨床ケアとか精神科看護のなかで、この方法っていうのは非常に有効な方法ではあります。
ならわし
西川:
「なじみになる」ことが生きてる者同士の関係だとしたら、「ならわし」を身につけ、お互いのなかにしみわたっていくのにまた時間がかかるわけです。繰り返し、反復っていうものが必要なわけですけれども、そういう下手をすると退屈に思えるようなものではなくて、常に新しいもの、常に新奇なものっていうのが、今の時代の価値観なんですよね。
「100年前からずーっとやっています」よりも「100年間続いてきたことを新しくやりかえます」のほうが「おお、すごい」と思うわけですよ。新製品のほうがいい。新しいアイデアとかのほうがいいわけです。でも、そうではなくて、ここでキツネがいっているように「ならわし」が人生のなかでリズムを作ることの意味も考えられるかもしれません。
僕は老人保健施設に勤めたことあったんですけど、何時起床、何時食事、何時入浴って細かく決まっていました。「ならわし」というより単なる規則なわけで、あんまりいいことはないんですけど。
夜、普通の服を脱がせてパジャマ着せて、寝かせて、朝、パジャマを脱がして普通の服着せる。これが夜勤での更衣の介助なんですけど、三人とか二人でやってます。忙しいんです。
あるおばあちゃんが自分でベッドから降りることができなくって車椅子まで移乗して…みたいに、朝がものすごく大変でした。だから、ひどい奴になると、昼間の服の上からパジャマ着せて寝かせてました。朝なったらパジャマ脱がしたら普通の服というわけです。そういうことやっちゃうんです。
それだけでも、ものすごい問題ですけど、おばあちゃんが朝起きると、介護職員はまずすぐにトイレに誘導します。これは失禁されたら困るからっていうこと。でももしかしたら、その人は、起きたら必ず、口をゆすいで、それから髪に櫛を入れるっていうことを、ずっとやってた人かもしれない。その人がそれでずっとやってきた人やったら、それはやっぱり「ならわし」なんですよ。
朝の「ならわし」が一日が始まるっていう「こころの着替え」になるんです。でも、そういうことを「尿失禁したらあかん」という介護側の理屈で、個人の「ならわし」を無視しちゃうと、その人の暮らしがズタズタになってしまう。
だから、「ならわし」を知ろうとすることの意味はあります。それは「ある一日がほかのどんな一日とも違うし、ある時間がほかのどんな時間とも違うようにするものなんだ」ということです。
朝の「ならわし」がなかったら、その人にはいつまでたったって朝が来ないわけです。ベッドから離れて、車椅子、乗って、食堂に行って朝ごはんを食べたところで、その人にとっての朝は来ない。
だからそれを知ろうってことを大事にしたいわけですけど、これがどういうことなのかってのは本当に難しいんですね。ケアする側だけでは計画立てられませんよ。本人に聞かないとわからへんし。でも、言葉で「私はこうですよ」って言えない人に対しては、「この人の時間が今、変わった」っていうところをケアする側が見つけださなければいけない。そんなことを当時よく話してましたね。
ぼくにはいいことがあるよ
西川:
王子は全然わかってない。この「なじみになる」ということが、「お互いになくてはならない者同士になる」っていう意味で終わってしまうんだったら、なじみになっても別れがきたら意味がないじゃないか、っていっているわけです。おまけになじみになったから悲しみがおそってきて、泣くことになってしまう。
それまで別に相手のことはいてもいなくてもいいような関係、要するに自分に喜びも与えないかわりに痛みも悲しみも与えない人間だったのに、なじみになれば必ず別れの時に痛みがおそってくる。もし、その痛みや悲しみが、避けるべきものであったならば、「なじみになる」ってことは意味がないわけですよ。
「言い出したのは君だからね」って王子は言ってるわけですけれども。「なじみになる」ってこと。それはある意味で必ず始まりがあり終わりもあるわけです。終われば悲しみがおそってくる。二者関係だけで閉じてしまえば悲しみしか残されないことになります。
「こんな関係を結ぶんじゃなかった」ってなりますよねぇ。「離婚するんやったら結婚せえへんかったらよかった」みたいなことですよね。「こんなふうにして別れるぐらいだったら、あいつのこと好きになるんじゃなかった」「あの人のこと好きになるんじゃなかった」。
結末で、ことの善否を考えるんであれば、その時に悲しい思いをしたら駄目になってしまう。喜びとか、楽しみとかでお互いがかけがいないと褒め称えるような始まりだったのに「もう、あなたとはお別れですね」と立ち去る時、終わりが来た途端に、全てのものが無に帰す。
いや、そうじゃないんです。
キツネのいう「なじみ」は二者関係だけでなくて、もっと、違う、世界を豊かにするものなんです。「なじみ」を今まで無縁だったもののなかに、大事なものを見つけだす。そういう感性で、新しい目で、新しい感受性で世界と向き合うことと考えるならば、たとえ悲しくて涙が出るような別れが来ようとも、ある人と互いに、なくてはならないような関係になることには意味があるんです。
もちろん、にもかかわらず別れは来るんですけど、キツネはその時には「小麦があるからね」と。このあと、王子が自分の星に帰るためにヘビに自分を噛ませて地球から離れていきます。その前に、パイロットと交わす約束があります。
「君には夜、星空を見上げてほしいんだよ。……」みたいなかたちで、星に帰るわけですよね。そういうところが「なじみになる」とか「きずなを結ぶ」とか、「お互いがかけがえのないものになる」ことの広い意味なんです。「君は、だれも手に入れたこともないような星空を自分のものにするだろうよ……」ということです。
これをケアの文脈で考えると、「個人的にこの人が」っていうところでやっているような「なじみの関係」、ほとんど恋愛に近いようなケア関係は、やっぱり、最後はつらくなる。だって、死んだら終わりですからね。
「いき」なケア
西川:
昔、老人保健施設に勤めてた時に、保母さんやってた若いスタッフがいました。少子化で保母さんの仕事がどんどんなくなってきて、逆に高齢者どんどん増えてきているから、これからは高齢者介護の方が仕事になるだろうって。保母の資格を持っているから1年だけ勉強したら介護福祉士になれる。介護福祉士になって老人保健施設に勤めにきたいというんですよね。
かなりできる人だったし、一緒に色んなこと、研究発表なんかも「一緒にしよう」とか言ってたんですけど、彼女が急に「辞めたい」って言いだして。「なんでや」って訊いたんです。
彼女によると、介護と保育はやってる仕事は一緒だと。おむつを替える。ご飯を食べさせる。などなど。相手が小っちゃい子どもであれ、セルフケアができない存在ですから。それを保母というかたちでやってきて、お年寄りも一緒だと思っていたわけです。
ただ、子どもは大きくなっていって、どんどん、できるようになっていく。新しいかたちの関係がどんどんどんどん豊かになっていくわけです。でも介護は違います。最初はお話ししながら介助できてた人が、そのうち話すことができなくなり、ちゃんと座ることができなくなり、口を開けれなくなり、飲み込むことができなくなり、やがて亡くなる。
要するに、自分の介護が実らないというか。やってることは一緒なんですよ。認知症の高齢者を介護する時の苦労と、まだ分別がつかない子どもの世話をするのは、ほぼ作業としては一緒なんだけれども、そこがやっぱり違うんですね。
「そういう意味での別れが来るんです」「その別れに私は耐えられません」って。結局、彼女、辞めました。
「相手のために、相手が幸せになるために、自分ができることを」と一生懸命思いを込めて保母さんが保育をするわけです。でも、「この子を、しっかりしてあげるんや」みたいな気持ちでやるときに、その「答えがない」のはなかなか我慢できないものです。
だから、障害を持った子の母親が「自分がいなくなった時に…」って思ってしまうわけです。障害ってそんな簡単に治るものじゃありませんから、「少なくとも私の手助けがあるあいだは、この子のつらい思いを減らすことができるけど、私がいなくなったら…」ってなったら、もう耐えられなくなってしまう。そうなると、相手の存在まで認められなくなってしまう。これを抱えながら生きていくしかなくなるので、ものすごい暴力的なことになるわけです。
そうではないかたちでの「なじみの関係」。「なじみの関係」を作った両者間だけではなくて、その両者を含み込んだ世界のあり方を変えるわけです。小麦が金色してるっていうことで喜びを感じられる、夜空に星を見ることで、王子のことを思いを馳せることができる。
そんな関係にしようと思ったら、やっぱり、何のためにケアをするのかについて一から考え直さなくちゃいけませんね。
僕がかつて老人保健施設で勤めてた時に、新卒の若い人たちがいっぱい来ました。資格もあるし。動機を聞いてみたら、「お年寄りが好きですから」とか「人の役にたつことが好きで」とか、要するに自分のなかに理由がある人が多かった。それではあかんのですよ。それだと亡くなったら終わるんです。
だから「食べるためです」と言われたら「それはええことやな」と言ってしましたね。「食べるためな。給料ほしいからな。がまんする、な」「はあ。他に行くとこ、ないんで」みたいな。そっちのほうが僕は信用できるって。
「阪神大震災の時にボランティアを大学生の時やって『ありがとう』って言われて、その『ありがとう』という言葉が自分の生きる支えになってます」という甘い話ではなかなか長持ちしないんです。だって、「ありがとう」と言ってもらえるとは限らないわけですから。言葉もなくて、感謝の態度もないことだって多い。やっぱりもたない。
「お金、儲けるためです」って割り切る人間が案外長持ちするんですが、もちろんお金だけでもだめなんです。でも、愛情だけでも駄目ですし。さて、どうすればいいのか。
ちょっと離れますけど。明治の頃の九鬼周造[*19]っていう哲学者が『「いき」の構造』[*20]という本を書いてるんですね。これ、遊女の価値観について書いた本なんです。この「いき」は「粋だね」の「粋(いき)」です。
遊女は金で買われる身ですから、本当に客を愛してるわけじゃないんです。金をもらったから、遊女という立場で、まるで女房以上に親切なそぶりで、お酒を酌んだりとかするわけです。ただ、本当に惚れてしまって遊女のくせに客と心中するようになると、それは「野暮な遊女」になるんです。粋な遊女はそうはならないです。でも、だからといって、金だけでもない。
『助六揚巻』[*21]っていう歌舞伎にもあるんですけど、金でなんとか、もの言わそうっていう奴には、花魁というのは、ピシャリってやるわけですね。一見(いちげん)ぐらいの客には、すぐに体を売らない。要するに、意気地(いきぢ)もあるわけです。「金だけで買われてる私じゃないよ」「いくら、もし、好きになっても、金だけじゃないよ」という。
実際には買われてるんですけど「金だけで私やってるんじゃないよ」っていうことと、もう一つは「野暮なやの字の屋敷者」て言うんですけど、好きになっても屋敷の下に暮らす夫婦にはなれない、っていうことで、諦めもある。
「意気地」と「諦め」と、それから「媚態」。
「媚態」ということは、「たぶらかす」じゃないですけど、相手に魅力的に自分を差し出すっていうことです。この三つが兼ね備わったものが「いき」なんです。「意気地」ばかりやったら、ツンケンした嫌な遊女ですよ。客からもてない。だから魅力的でなければならない。魅力的でなければ「いき」ではないです。お金だけで転ぶ人もだめなんですよ。金さえあれば転ぶ奴のことを「転び女郎」といったりします。
その三つが兼ね備わったものが遊女なんです。そういう苦界のうちに身を沈めた者が、遊女を簡単にやめるわけにはいかない中で、それでも自分の仕事というか、自分の人生に誇りを持つために、善悪ではなくって「いき」っていう、美学的な生きる基準を見つける。
そんなことが『「いき」の構造』に書いてあるんです。哲学書にしてはすごいと思いませんか?遊女の倫理。九鬼周造のお母さんが、芸者だったっていうことがあるんでしょうけどね。すごい面白い本です。
[*19]九鬼周造:(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)日本の哲学者。京都大学教授。実存哲学の新展開を試み、日本固有の精神構造あるいは美意識を分析した。日本文化を分析した著書『「いき」の構造』で知られる。
[*20]『「いき」の構造』:九鬼周造の著書。日本民族に独自の美意識をあらわす語「いき(粋)」とは何か? という問いに、「運命によって“諦め”を得た“媚態”が“意気地”の自由に生きるのが“いき”である」と説明する。
[*21]『助六揚巻』:『助六由縁江戸桜』。正徳3(1713)年4月に江戸・山村座で初演された『花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)』をルーツに、元禄時代に上方で起きた侠客・万屋助六(よろずやすけろく)と遊女・揚巻の心中事件を題材として取り入れ、二代目市川團十郎(1688~1758年)が助六を演じた。遊女・揚巻の啖呵が見どころの一つ。
職業としてのケアも、金もらってるからやってる。本来は何の関係もない相手にです。その意味で、強引にいうなら、遊女と一緒なんですよ。
だからといって金だけではあまりにも殺伐としてますよね。「金儲けるんやったら、もう少し違うところで荒稼ぎしてきたら?」って僕は思います。「金の亡者、集めて、詐欺商法でもやったらええやん、もっと儲かるかもしれん」と。
でも、お金をもらってるっていう意味で、職業としての介護者は決して家族にはなりえないんです。相手に家族のような愛情は持てない。
時々ね、施設の職員が「あそこの家族は冷たいね。一個も面会、来えへん」「私たちのほうが、毎日ケアしてる」という子もいました。でも、職員はある意味で1日8時間で済みます。しかも、お金ももらい、週何日か休みもある。家族はないんです。
だから、「家族の苦しみを知らんと『家族が来えへん』とかって抜かすな」みたいないことをよく言ってました。そういう意味では家族にはなれないという諦めと、でも、金もらってるだけではない、っていう気持ちとがあるんです。それでも、相手に対する、接近したいという抑えがたい気持ちに、ケアをする中でどうしても巻き込まれてしまう。
こんな三つを兼ね備えたような、「いき」なケア、というのができないかとずいぶん考えてました。外ではあんまり発表はしてないですけど。
『ケアってなんだろう』[*22]っていう本が医学書院から出てますけど、その中で小澤勲[*23]さんていう精神科医のことを「粋な人や」と思って、『「いき」のケア』についても少し話させてもらいました。
[*22]『ケアってなんだろう』:小澤勲 著、医学書院より 2006年4月1日刊行。
[*23]小澤勲:(おざわ いさお、1938年6月10日 - 2008年11月19日)日本の精神科医。
あなたがたのために、だれも死のうなって思わないよ
西川:
さて、ここで、キツネはやっぱり説明しないんですけど、でも「もう一度、バラたちに会いにいくといいよ。君は分かるだろうよ」と言ってるわけです。何でわかるのかなって思いますけど、「君は分かるだろうよ、君のバラが、この世でたった1輪の大切なバラだったてことがね」と。
これらの言葉に対して、王子がどう答えたかは一切書かれてないし、王子が何を考えたかっていうことも一切書かれてないです。でもそこを読み取らないと、たぶん、だめなんです。このキツネの言葉を聞いて、王子が、何に気づいたのか。でも、その説明はなしに次のところに移ります。
唐突な感じしません? 言われたバラたちは気まずいどころじゃないですよね。「何? こいつ」って感じですよね。その前を見てください。その前の112ページ。
ここで5000本のバラを見て、圧倒的に自信なくしちゃいましたね。王子がキツネと出会って、キツネとなじみになって、「なじみになる」「きずなを作る」っていうことの意味を聞いて、いきなりこうですよ。
だからここの間に、王子は、やっぱり、色んなこと考えたはずです。ここは、もう自分をこう、どん底に突き落としたバラたちに対してですね、反動形成みたいなもんです。バラたちにしてみたらええ迷惑ですけど。
ここに、このあとの王子の運命を予告するような言葉がきちっと入っています。そういう意味では、この物語は色んなところに伏線が張り巡らされていて、いったん読み終わってから伏線がわかるようになっています。
今、僕たちは、おおかた結末を知りながら読んでますけれども、初めて読む人にとっては、何でこんなこと言うのかわからないですよね。でも、王子は最後は死を選ぶんです。
とはいえ、死がどういうことなのか、もういっぺん、また読み返すと、順ぐり順ぐりに、螺旋的に、深まっていく理解っていうのを、この『星の王子さま』っていうのは求めてきます。一度読み切れば、すべてがわかるってことにはならないしかけが、あちこちにあります。
ただ「つまり、それは、ぼくのバラだからなんだよ」っていう話がぜんぶいいのか、とは思いますね。『星の王子さま』読む時に、まず注意せなあかんのは、だいたいイメージとして、王子が「すべて、いいことを言う」と思いがちなんです。
「王子さまって純真で、子どもの心を持って。だから星の王子さまの言うこと、ぜんぶ、正しい」と思ってしまう。それに、サン=テグジュペリが言いたかったことを、すべて星の王子さまが代弁していると思うのも大まちがい。
ここでは何度もいっていますが、王子は最初馬鹿なんです。ものごとがわかってないですよ。徐々に徐々に痛い目にあいながら、少しづつ知恵をつけていくんです。そして知恵をつけた状態で、パイロットと出会うんですよ。
いきなりものすごく不思議な少年として、知恵ある少年として、バンと出てくるんです。だから、王子の言ってることは、正しいと思いがちなんですけど、バラと喧嘩して、地球にやってきてウロウロやってるあいだはまだまだ、修行の途中で、ちゃんとわかってないことがいっぱいあるんです。
だから「つまり、それは、ぼくのバラだからなんだよ」っていう、このセリフは、まだまだのように思うんです。何ていうかな。これから先もっと学ばなあかん状態の時の王子の言っていることと理解したほうがいいと思います。「ぼくのバラ」みたいに相手を自分の私物のように扱うところがちょっと違う感じがします。
師のことばにどう変化したのか
西川:
この王子とキツネの関係ですけど、「お願いだよ…ぼくのなじみになっておくれよ」ってキツネが言いましたよね。挨拶したのも「こんにちは」ってキツネからしてます。そういう意味では、キツネから王子にアプローチをかけてるわけです。「なじみにしてくれ」って言ったのも結局はキツネですよね。
別れが近づいてきた時にキツネが「ぼく、泣いちゃうよ」って言うわけですが、「それは、君、自分が悪いんだよ」みたいな感じで、王子にけんもほろろで返されるわけです。
ところがですよ、キツネは「いや、ぼくにはいいことがあるよ」と、もう一度バラたちに会いにいくことをすすめたり、「君は分かるだろう」ってここで予言もしているわけです。王子が変わると、キツネは予言しているんです。
それで、次のバラと王子の会話のなかでその予言が成就してます。どのようにして、そうなったのかについてはここには書かれてません。けっこう、大事なことはこの人書かないんですよ。それは、読み手に任せられているんです。
最後に「それじゃ、さようなら」って、王子からさようならの挨拶をしてから、キツネとのやり取りがありますね。そこに「王子様は何度も口に出して、しっかり覚えようとしました」って3回も出てきます。もうこれ、師匠と弟子の関係ですよね。
もう、キツネの知恵に対して、圧倒的な信頼を置いて、何度も何度も口に出してそれを自分のこころに刻み込もうとしています。もう弟子の姿です。
キツネと王子との関係というのは出会いから別れまでにすごく変わってますよね。だからここで、王子とキツネの関係が変わるというかたちで、王子の成長、変化が見られるんです。
それがいったい何なのか。非常に有名な「大切なものは目には見えない」という言葉だけが、ひとり歩きしてるようなとこありますけど、こういう言葉を、師匠の言葉として刻み込もうと王子が変化したのはいったいどこなのか。大事だと思うんです。
でも、そこはサン=テグジュペリ書いてない。王子はもう変わったあとでバラに対して悪態ついてます。大事な変化の過程は書かないんですよ、この人。「大事なことは、読む奴が、こころで読め」みたいな感じで。
失った時間
西川:
それと、僕が一番気に入ってるところは「君が君のバラのために失った時間こそが、君のバラをかけがけのないものにしているんだよ」ですね。他の翻訳では「費やした」とかって翻訳されてることが多いんですけど、これを稲垣さんは意図して「失った」と訳しています。もともとフランス語の原文にある言葉はどちらかというと否定的な意味合いもあるらしいんですね。稲垣さんはそれをそのままストレートに書いてます。
「失った時間こそが君のバラをかけがけのないものにしている」は、なんとなく普通の常識ではわかりにくいから、「費やした」って翻訳されることが多いんです。「なじみになるためには時間が必要や」っていうことを言ってましたけど、この「時間」は、相手のために失う「自分の時間」なんだと思います。それは次の章でさらに詳しくわかるようになってます。130ページの真ん中です。
ぼろ切れの人形のために使う時間。普通は「そんなしょうもないことせんと、勉強しなさい」と言われてしまうわけです。たとえば、「待つ」ということもそうなんですけど、何か一つのケアの行為をしようと思った時に、相手の状況に合わせてプランを立てます。こうすることが相手がよりよい状況、医療的にというか福祉的に、になると思うからですが、それは専門職から見た「ニーズ」なんです。
「ニーズ」と「ディマンド」は違います。相手が「こうしてください」と言う「要求」と「必要」とを分けるのが専門職です。患者さんが「水が飲みたい」といったとしても、消化管の手術後だったら「『飲みたい』言ってるから、飲ませてあげました」といったら大変なことになりますよね。出血して。だから、飲みたいという「要求」はあっても、「必要」としては「今、あなたに大切なのは、絶飲食です」ということになります。
本人の要求とは別に、本人が本当に必要としてることを見抜くのが専門家のケア、ってよく言います。「ディマンド」と「ニーズ」を分けて、「ニーズに答えるケアをしろ」みたいなかたちで言うんです。そういう意味では、ケアする者には、すべて根拠がある。エビデンス・ベイスト・メディスン(Evidence based Medicine)。根拠のある、統計的根拠とか色々意味あるんですけど、要するに、根拠、理由、客観的な根拠のある、正当的な理由のある医療行為なり看護行為をしなさい、ということです。根拠のないことをやったらあかんというのが今の考え方です。それが、科学的看護になってるわけです。
ですが、その根拠はどっちの側にあるかって言ったら、常にケアする側なんです。専門職のほうにある。だから、専門職がするケアっていうのは、自分の考え、プランを実行するために相手にケアしてるんですよ。自分の時間は失っていないんです。なぜなら、自分の思い、考えを実現するためにやっているから。
台の上にビリヤードの球があるとします。そしてポケットがある。球が患者さん、ポケットが目標です。「退院」「治癒」とか。それに対してケアする人は介入するわけです。退院に向けて患者を動かそうと思ったら、自分がどう介入するか。「患者さんのここらへんにこのぐらいの力で介入したら、球は向こうに転がってポトンと落ちるやろう」「だからここらへんからこう打つ」と考える。「ほら!うまくいった。問題解決。OKや!」みたいなね。これはいくら考えようと、やってるあいだはすべて、自分の時間は失ってないわけです。
一方で、さっき言ったみたいに、トイレ誘導するために相手に近づいて声をかけたいんやけど相手からのお許しをひたすら待つみたいなかたちの場合。「少しずつ座れるようになるまで待つ」のは、ある意味、自分の時間を無駄にしてるわけですよ。相手の都合に合わせているわけですから。でもそういうことでないと、かけがえのなさは生まれてこないように思います。これはあらゆることに言えると思うんです。
効率の外側で発火する喜び
西川:
四国の歩き遍路なんかもね。行きは歩き、帰りはバスなんですけど、一日かけて歩いた道のりをバスで帰ると数十分もかからないんです。でも普段僕たちは、荷物みたいになってですね、乗り物の中に詰め込まれて移動してる……、いや、移送されてるわけです。
歩くというのは、歩くことだけに自分の時間、8時間やったら8時間を使うことになります。歩いてるあいだは地面ばかり見ています。ところが、そうすることによって初めて、道との「なじみ」ができるんですよ。道を知ることができる。
僕は東京に何度も行ってますけど、新幹線で何度往復したって、「懐かしい…、ああ…。ああ…」とはならないです。でも、何度か遍路で訪れた四国で歩いた道をもう一度歩く時、「あ、ここや」って感じるところがあるわけです。
やっぱり自分の中にエピソード記憶っていうか、自分の中に蘇ってくるものがあります。本当に自分の時間を使ったからね。「道を知るという目的のために自分が対価として使った時間」じゃなくって、「道を歩くために自分の時間を使う」っていう。
「そんなもん時間の無駄や」という人はいるでしょう。でも、地下鉄やバスに乗ったら、このあたりのことだって「なじみ」にはならないんですよ。歩けば歩いただけ、そのあたりが自分の「なじみ」になっていく。
出町柳からここまで歩いて30分ぐらいですけど、ぼくもまあ今まで、半分ぐらいは歩いてきてます。おかげで、「ああ、こういう地域…」みたいな、別に本で読まなくても、色んなことが徐々にわかってきます。「こういう団地は何なんやろうなあ」とか、色々あるじゃないですか。その土地土地がもつ歴史。そういうのが徐々にわかってくる。
本でいきなりポーンと見て「ここがこう…地域の歴史的にこういうことがあって、あ、これか」と確認するんじゃなくて、自分の中で少しずつ少しずつわかってくるようなもの。別に地域を知ろうと思って、あっちこっちみてるんちゃうんですよ。
ただ歩くということで、効率よりも、歩くということ自体に、自分の時間を失えば、失った分、別のかたちで、その道というかその町との「なじみ」が徐々にできあがってくる。
さきほども話したとおり、「検索が知性」みたいに変わりつつある時代ですが、知性というのは何か簡単に情報集めてそれを一つのものに仕上げることよりも、なかなかわからないこと、手がかりのないことを探求するようなものだと思います。
ジリジリした気持ちの中で、パッと発火するような喜びがあります。検索かけてピャッと出てくる知識にはあまり光がないと思います。何かを探し求めて無為に過ごさざるを得ないような果てに、不意に訪れるもの…、(不意というのは自分の意図ではないということですね)、そういうものとの出会いの中で、自分が大きく変わっていく。それが「知る」っていうことなんじゃないかな…、と思います。
ケアの場合でも、自分のケア行為を実現するだとか、自分のケアプランを成就するために相手に様々なことをするのはもう普通です。普通ですけれども、そうではなく、何が問題なのか「相手が口を開くまで待つ」「相手が口を開くまで待つ」、もしくは「開かなくても待つ」っていう時間も必要かもしれません。
さっきのシュヴィングも「いつかは言ってくれるだろう」なんて思ってないわけです。シュヴィングはただひたすら、何度も何度も行ったわけです。そういう患者・看護婦関係が結べないと思う・思える、その場では…その先の目算もなしに訪れ続けることで初めて結べる関係がある。そのことで初めて、到底、対人関係結べそうにないと思われていた患者とシュヴィングとのあいだに通路が開いた。本は非常に感動的でしたけどね。
僕も自分の看護経験のなかで何度もそれをモデルにしましたね。なかなか辛抱強くない僕ですけれども、他にもう考えつくところがなかったので、それをやらざるを得なかった。でも、先輩の仕事を見ながら、見よう見まねでやったら、やっぱりそういうことが起きることがあるんですよ。毎回毎回じゃないですけど。
そういう意味で、「君が君のバラのために失った時間こそが、君のバラをかけがけのないものにしているんだ」っていうのは、今はもう自分は実践者じゃないですけど、ケアにとって非常に大事な言葉やなっていうふうに思ってます。
なじみになったから責任がある
西川:
さて、最後のところ。
これは僕にとっては痛い言葉で(笑)。自分がなじみになった相手に「ずっと責任があるんやなあ」と思いながらねえ。相手がたとえ死のうと、相手と別れようと、一度、なじみに自分がなったものに対しては、ずっと責任があるという。
この物語の中で、王子は実際にその責任に自分の命を賭けるわけです。それが先ほどあった、126ページの「あなたがたのために、だれも死のうなんて思わないよ」っていう言葉です。
だから、「あなたがたのために、だれも死のうなんて思わないよ」ってことを、わざわざ言ったということは、「王子さまはその場を立ち去って、バラたちに会いにいきました」というここにどれだけの覚悟というか、王子に大きな変化があったのかっていうことの証拠なんです。
もうひとつ、「バラに対して責任がある」といったときの「責任」をどう考えるか。僕は、最初、阪大の臨床哲学に入った時に、自分の修士論文のテーマは「看護行為の責任について」みたいなタイトルで書こうと思ったんです。「ケアすることの責任て、いったい何なんや」ということで、書こうかと。
ナイチンゲールの『看護覚え書』[*24]の中にもあるんです。看護婦が担うべき責任とは何かということを、彼女は「小管理」っていう章とか書いてます。そで使われている言葉は「charge」なんですよ。「management」の責任、つまり管理責任には「charge」と「responsibility」、二つあるんですよ。「responsibility」は応答責任ですね。「charge」に関しては、監督責任とかね、そういう考え方なんです。
僕はケアを計画的にすることが手放しでいいとは思ってない。反科学主義の立場の看護の考え方ですけど。でも無責任はあかんと思ってるわけで。いったいじゃあ、どんな責任。「責任」と言った時に「どういう責任なんや?」って考えてました。まだわからない。結局わからへんかったので、それをテーマにすることできませんでしたねえ。
[*24]『看護覚え書』:(原題『Notes on Nursing』)イギリスのナイチンゲールの著書。1859年出版。副題に「看護であること、看護でないこと」と書かれ、また著者が導入部で「看護することを教える手引書でもない。これは他人の健康について直接責任を負っている女性たちに考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で」と述べているように、看護について考えるための書物である。60年に刊行された改訂版は欧米の看護学校で教科書として広く使用され、日本では1912年(大正1)に全文が紹介された。今日も副読本として十分に活用できる内容をもつ。[山根信子]『薄井坦子他訳『看護覚之書』(1983・現代社)』-日本大百科全書(ニッポニカ)
人と人とが出会い「なじみ」の関係を作った時に、いったんそうなったからにはずっと持ち続けるべき責任て、何なのか。サン=テグジュペリにとっては非常に大きなテーマだったと僕は思います。『星の王子さま』を書いた、いちばん深い動機ではないか。
いちばん最初の有名な献辞のところですけど、これも最初の、勉強会でやりましたけど、「レオン・ヴェルトに」っていうところ。一人の大人に捧げられているわけです。
レオン・ヴェルト[*25]、年上の友人。サン=テグジュペリがフランスから亡命して、アメリカのニューヨークで、これ、書かれてるわけですけど、ユダヤ人である友人のレオン・ヴェルトは、フランスでナチの手から逃れるようにして息をひそめて生きていたわけですね。そのレオン・ヴェルトに対して捧げたのが、この本。
一度「なじみ」になったレオン・ヴェルトに対しての責任をこの本で果たそうとして、この本は書かれたはずです。それが、王子がバラに対して感ずる責任みたいなものと、やっぱりパラレルになっている。そういう本として読むべきかなって僕は思ってますね。
だから、『星の王子さま』を、僕はケア論というか、ケアの倫理みたいなものでこれを読みたいと思ってるんですけど、「人と人との関係のなかで、何がいったい担うべき責任なのか」って言った時、大事なところは説明してくれてないんですよ。
このあと、王子が、責任の取り方を、彼なりの考えと行動とで示していきます。考え言葉で要約できないような内容を持ってるんです。
はい。今日は、ここまで。1時間半ぐらいしゃべりまくりましたけど、皆さんに感想とか、意見とか、あったら、もらおうかなと思います。
[*25]レオン・ヴェルト:(Léon Werth、1878年2月17日 - 1955年12月13日)フランスの作家、美術評論家である。オクターヴ・ミルボーの友人であり、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの親友だった。サン=テグジュペリの『星の王子さま』はヴェルトに献呈されている。第一次世界大戦と植民地化、および第二次世界大戦中のコラボラシオンを通じたフランス社会について、批判的かつ緻密に執筆した。- Wikipediaより
雑談:試してくる本
A:このキツネとの会話って、冒頭で王子さまが飛行士にやってたことを、キツネがやってるみたいな感じもします。
B:西川さんが、師弟関係と言ってたけど、このキツネとの関係って確かに、他と何か違うものがある感じがします。数字がついてセクションが分かれてるんじゃなくて、ちょっと、一行、余白を空けてるところがありますよね。125ページのとことかね。
B:そうですね。あのへんていうか、「一気に省略しちゃうんだ…」ってね。
A:数字でセクションが分かれてるところじゃなくて、この場面転換としてこの、余白1行空けるっていう。全体を見たら他でしてなくて。これはたぶん、意識的にこんな構成ですよね。確かにさっき言ったように、大事なことは書いてない。何か変化が起きてるわけですよね。
西川:うんうん。大事なことは、文字からは読めないことになってる。本当に読者を試す、試しまくる本ですよ。これ。
A:今日、僕、聞いてて気づいたんだけど、この116ページの「人間たちはニワトリを飼っている」のあとのところも、版によって異同があるんですよね。僕の本は違っていて「ニワトリのことしか、頭にないんだ」になってるんですね。
西川:
うん。だから変えてんだよね。ここらへんも、最初、キツネは「君、ニワトリがほしくてやってきたの?」みたいな感じで、すっとんきょんなこと言ってます。最初からキツネはものすごい賢者としては現れてないんですよ。
でも、アホみたいなことを言うキツネがどんどんどんどん深いことを言い始めて、いわゆる人間というか大人たちの常識とは違う言葉で、王子を変えていくんですよね。あれだけ「ぼくは大した王子なんかじゃ、なかったんだ」っていう、もう絶望の底に沈んでた王子を、奮い立たせるような変え方です。ある意味、バラのために命を賭けさせるぐらいの大きな変化を王子にもたらすような言葉を与えるわけですよね。
作家サン=テグジュペリっていう人がもう本当に心血注いで書いた本なんじゃないかなと思います。他の本はだいたい、半分ルポみたいなやつで、自分の経験に即したようなことを書いてるのがほとんどです。
『城砦』(または『城塞』)[*26]という未完の小説は別ですけど、他の、パイロットものは、ぜんぶ、サン=テグジュペリ自身の、飛行家としての経験に裏付けのある文章なんです。
こういう子ども向けのかたちのメルヘンチックな内容のものは、これ一つしかないんです。自分の死の直前だし、それもサン=テグジュペリは半ば自殺に近いようなかたちで飛行機に乗って死んでますから、ぜんぶ、諸手を挙げて、サン=テグジュペリの考えに万々歳とは僕は思っていません。でもやっぱり、この本はすごいよなって思うね。うん。
[*26]『城砦』(または『城塞』):(原題:Catadelle)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる作品。下書き未完の原稿を編集者が手を加えて1948年に刊行された。日本では翻訳により『城砦』とも『城塞』とも訳されている。
雑談:なじみになるものしか知ることはできない
西川:みなさん、『星の王子さま』を読んで、自分に痛い思いが浮かんできたりとかしません? 僕なんか、これ読んでると痛いところがいっぱいあるんです。
A:僕は、この「自分がなじみになるものしか知ることはないんだよ」ってところ。僕、なかなか、なじみにならないから。
西川:なじみになるためには、どうしたらいい…、
A:きずなを作るんですよね。昔ね、五味太郎[*27]っていう絵本作家が、何か野球がうまくなるためには、こうね、「いつでもバットやボールに好きになってもらうようにね、肌身離さず持って、一緒に布団に入ったりしよう」みたいなこと書いてあって。
[*27]五味太郎:(ごみ たろう、1945年8月20日 - )日本の絵本作家。1973年に『みち』(福音館書店)で絵本作家としてデビュー。現在までに400冊以上の絵本を手がける。絵本のほかにエッセイも書いている。更に作詞家として主に子供向けの楽曲を書いている。- Wikipediaより
西川:うんうん。
A:何かそれと近いものを感じましたけどね(笑)。
西川:それから、自分の時間、失わないといけませんね。自分にとって大事なものだけを大事にしたってだめ。
A:得になることだけ考えちゃだめなわけですよね。
西川:そうそう。だって、愚痴を言ったりとか、わがまま言った奴に、水をあげたり、ガラスの覆いしてあげたり、もうくだらん自慢話を聞いてあげたりとかっていうような時間が、自分の時間を失って、バラが自分のかけがえのないものになっていくという話ですから。
A:「なじみになるものしか知ることがない」だから、これ、学習とか学ぶこととかにも、すごく大事なことを言ってると思うんです。じゃあ、もっと、知識を知るとか歴史を知るとかだって、本当は歴史がなじみになって、歴史にとっても僕が何か意味があることになって、始めて何か歴史を知るってことで、できるというようなことかもしれないですよね(笑)。
西川:今度、舞鶴の特養、行って、(とつとつダンス)で今度のテーマ「知る」っていうことなんですよ。「知る」っていうのはどういうことなのか。たぶんこれ、引用すると思います。どういうことなのかなあ。「知る」とか「わかる」とかっていう、どういうことなんやろう。
A:真正面から、哲学のトピックですよね、それね。
西川:僕は、この本は、けっこう、これが痛い思いで読まざるを得ないんですよ。要するにバラとの話はハッピーエンドじゃないでしょ。
B:確かにそうですね(笑)。
西川:で、王子が悪いとも思えないでしょ。
B:まあ、そうですね。
西川:
バラは勝手な女やから。でも、王子は最初は相手のせいにしているんですけど、最終的には相手のせいにしないんですよ。
ケアの文脈で考えても、自分に何もできなくても相手の前にいるっていうことを、できるだけ選ぼうとしてた自分なんやけど、うーん、そういう看護とかケアとかが、果たして相手に対して責任ある態度やったのか、とか。何か色んなこと、考えますよね。
看護研究なんてものは、相手が努力してくれたことを自分の手柄みたいにしてやってる成功話が多すぎて、けったくそ悪いって、僕は常に文句を言ってたんです。事例研究なんてラブレターみたいなもんやから、相手に対する思いみたいなもの、それが破れた時も、こう、消え残るみたいな思いみたいなものを書くほうがいいわけです。
「相手は、こんだけ困ってたけど、私たちがこういうケアをしたらこんだけよくなりました」みたいなお話はね、「ケッ」と思うわけですよ、俺。ほんまに(笑)。弱いとされている人のほうが、どれだけしんどい思いでやったのか。相手の失敗て簡単に見えるんやけど、相手の努力って見えないんですよ。
認知症の人のごまかしとか失敗とかは、いとも簡単に見抜かれてしまうけど、相手が必死になって生きようとしてる努力とか、僕たちにはなかなか見えない。うん。それを知れば、相手に対して何かしてあげるなんて、偉そうなこと言われへん。
目で見てわかる失敗で「もう、あの人はできなくなった人」とするのが、通常のわれわれの、ケアの考え方なんやけど、「それは自分も崩れていく人間やということ、忘れてるやろ」って。でも、「自分よりさきにそういうところを生きてる人や」と思えば、その人の生きる姿から学ぶことこそあれ、何かしてやるという話ではないんじゃないと思うわけです。
でもそういうこと言っても「精神論や」「具体的な看護技術とかケアの技術の向上につながりません」と言われました。「西川さんの言ってることはある程度のベテランが、もう一度自分を振り返ってみた時に、さまざまに振り返ることであって、初心者で、これから資格を取ろうとか勉強しようと思う人に対しては、全然、薬にならない」みたいな感じで、よく言われます。
大学で教員とかやってるから、色んなとこから講演依頼とかあるんですけど、行ってしゃべったら、向こうが「間違えた」みたいな顔したり。「こんな人、呼ぶんじゃなかった」って(笑)。
B:ちょっと、その、業界の常識とか、僕、わかんないんですけど、その、ケアされた側がケアした人を評価するってことはあり得るんですか。
西川:できればいいですけど、医療なんかわかんない。どの医者が正しいかなんて、医学知識わからないから信じるしかない。医療信仰みたいなものです。
B:なるほど。
西川:何を判断基準にしてるかは、大学病院の医者、東大医学部とか肩書。全然関係ないところの世間的な基準で計ることがほとんどなわけで。
D:権威ですね。
西川:うん。そういうことは患者というより、資格制度、専門職制度というかたちで、国家的な規模でやられてるんです。「資格のないものは医療行為をしてはならない」。名称独占、業務独占みたいなかたちでされてるわけです。
B:そのなかで、キャリアをアップしていくためには、要するにさらに上の資格取っていくってことですか?
西川:そうそう。だって、その、医学生より医師免許持ってる奴のほうがいいし、認定医の資格持ってる人のほうがいいし、さらにいっぱい色んな肩書がある方がよい。大病院のほうがいいし、っていうように、消費者もそういうふうにして選ぶわけですから
B:ああ。
A:介護職員も、まあ、そういう傾向がありますね。
西川:
うん。だから、みんな本当はケアの基準なんてわからないから、世間一般でやってるものをもう信じるしかない。それだけのものなのに「資格を取ったら、自分はOK」やと思ってる人が山ほどいるわけですよ。
僕なんか、無資格の看護助手っていうか看護員から仕事を始めて、准看、看護師になって、それで色んな資格も取って、それで大学院にも行きました。言ってみたら、コンプレックスの塊やから、どんどんどんどん資格取ったり学歴取ったりしてきた人間です。
でも、自分が本当に看護する人間として成長してきたっていうか言うと、専門性を身につけたが故にどんどん知識ばかり手に入っていって、何か人間として堕落してるような気がしたり。まあ、僕片一方で何か常に哲学に惹かれてたから。そういう自分に多少はブレーキかかるんです。
生きていくためにはね、やっぱり資格あったほうが、意見も通るし給料も増える。なかなか、自分の考えてる理念と自分の人生とが、そんなに一致してるわけではないです。でも、それはそれでね。
デイサービスで働いてた時、月給が手取り12~3万ですよ。それで大学の教員になったら、もう年収、600万、700万。家族持ったらそっち行きますよ。常にもう「金がない、金がない」「これ、やばいな」と思ってる時に、「こっち、金があるし、来へんか?」って言われたら、もう一も二もなく、「はい。はい。ありがとうございます。」みたいな。
だから、そういう意味で大学を辞めて、釜のおっちゃんら(釜ヶ崎の人たち)と話ししながら、最初は「物好きな大学の先生やな」と言われたんやけど、ほんまに俺が失業してほんまにカネがなくなってきて、みたいな頃から、まあ何か少しずつ関係ができたような気がします。
いったん、一緒にお互いの財布の中身見せて、「なんぼしかない」みたいな。「今日は、俺がおごったるわ。保護費が入ったばっかりやから」言われて。生活保護の保護費が入った時に、俺、おごってもらってたんです。「ありがとう」みたいな感じで。
雑談:ケアにおけるお金
B:もう一個。ケアってめちゃ大変だって話になってきてるじゃないですか。
西川:僕の話は職業的ケアだけじゃないですよ。「人との関わりというのがケアや」と、僕は思ってます。ケア抜きにして、人は人になれないから。
B:さっきの九鬼周造のお話はプロの話ですよね。
西川:そうそう。あれはプロの話。生業にしてる者の倫理観念ですね。
B:そうでない場合、ケアに関わる人たちの人間関係はどうなるんでしょうか?
西川:
それは必ずケア的に関わることになりますよね。自分は必ず影響を受けるし、自分も必ず相手に影響を及ぼすし。出会えば何かが起きてしまうっていうのが人間ですから。
あいだには、自分の意図、相手の意図を越えた何かケアの関係みたいなものが、互いに起きてると思います。自分がそもそも、自分だけで、この世に出発していない。誰かの子どもとして、誰かに乳を飲ませてもらって、誰かに何か世話されたというかたちでやっと両足で歩くようになるんです。
だから自分のこと自分でやってると思うのがそもそも間違いです。そんなこと自体を考えられるようになるまで、人間、めちゃくちゃ時間かかるんですよ。そして、最後もたぶん自分では死ねない。
本当にケアまみれというかね。人との関係の中でしか、生きていけない存在が人間だと思います。貨幣的なものを媒介にした関係も、本当は人間関係なんです。人間関係がなかったら、貨幣なんて何の意味もないですから。周りに人がいない山の中ではカネなんて何の意味もないです。もの売ってくれる人がいるところでしか、カネは役に立たない。カネで動いてくれる人がいないところでは、カネって何の意味もないから。
でも、都会生活のなかでは、カネを持ってる奴が、何か力を持ってるように思ってしまう。絶対にそんなわけないんです。カネでは動かない人間関係が社会の中に、人々の暮らしとか人生の中にどれくらいあるのかが大事なはずなんです。それがどんどん縮小してるのが今の社会です。どんどん金に頼るようになっている。
マルクスじゃないけど、貨幣の物象化みたいなのが始まってきているんだと思います。人間が疎外されていくわけです。「疎外」という概念が、マルクス主義[*28]と実存主義が交差するところになるように思ってます。マルクスを、社会変革の理論ていうか革命の理論としてだけ読むんじゃなくて、もうちょっと一から読み直してもよい気もします。
[*28]マルクス主義:(ドイツ語: Marxismus)カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つ。科学的社会主義とも。
E:ケア論として(笑)
西川:
もっと何て言うかな、実存とかケアの関係、人間関係の理屈として読み直すっていうことも、十分できると思います。ただ、彼はものすごく戦闘的な人だから。文章が非常に戦闘的攻撃的。まあ、いわゆる人間的にどうかと言ったら、ひどい奴です。子どもや…嫁さんに苦労させて。うん。ろくでもない奴です。
B:話戻しますが、ケアもカネで買うじゃないですか。でも、一方で、お金をもらわないでやったほうが尊い、って言える時もあるじゃないですか?
西川:
ああ。ただ、プロの仕事ってカネをもろえたら誰にでもやるからね。愛してなくても尊くなくてもやるんですよ。そういう意味では平等性がある。基本的に断られることがない。「このカネはきれい」とか「汚い」とか言えませんよね。「カネはカネ」なんです。
その意味で、ものすごく平等なんです。「お前はカーストが違うから、俺は触らへん」とか、そんなことではないです。カネさえ持っていたら、ちゃんとやるんですよ。
「対価」というかたちが、人を平等にするところもあるんです。昔は、カネ持ってても、武士は武士、百姓は百姓、商人は商人なんですよ。カネが力持てなかった。でも、そのカネでもって、人を一つのものさしで、みることで、非常に平等な社会に、ある意味では、なったといえるのかもしれません。ある意味ではね。
だから出自とかそういうものじゃなくて、ある意味で平等の思想を実現できるのはカネなんですよ。「カネさえ持ってたらアホでもええ」みたいな。善悪は問題ではないです。悪党でもよい。
いいのか悪いかは置いといて、ですよ。別に平等じゃないほうがいいかもしれないし。
雑談:パンの耳の話
B:星の王子さまって友だちを選ばないんですよねぇ。だって、相手がどういう人かより、たまたま出会ったキツネを友だちにするじゃないですか。
西川:うん。
B:僕は人を選びがちなんです。友だちになった時に「この人はこういう人だから友だちになりたい」っていう気持ちがどうしてもあります。打算も含めて、好き嫌いがあるんです。王子さまはそれが薄い。っていうか、ゼロですよね?
西川:
うん。うん。「点灯夫とは友だちになれそう」みたいなことは言いますけどね。
自分の時間を失うってことを考えたとき、「好きなやつのために自分が一生懸命尽くす」のは自分の時間を失ってないことになります。自分にとって「何やこいつ」って思ってる人間のために「とりあえず付き合う」みたいな構えがないと、自分の時間を失うということにはならないですよ。
A:『「こんな社会は間違ってる」と思いながらも付き合って、こう生きる』とかいうのも、自分の時間を失ってるわけですね?
西川:
そうかもしれない。
ただ、従うことでそこから対価をもらおうと思ったら、それはだめですよ。「嫌なやつやけど、あいつの言うこと聞いてたら出世しそうやな」っていうんやったらそれは自分の時間失ってないね。
A:「なんて理不尽な社会なんだ」とかって思いながら、その理不尽さに付き合うみたいな感じですか?
西川:
うーーん。「人殺したやつと友だちになれるか」とかかな。難しいけど。
僕、精神科に勤めていたときには、患者さんに色んな病的なことがありました。身近な人を傷つけたりとか殺したりとかいう人もいました。普通の考えでいけば、人を殺したやつが社会的刑罰も受けずに心神喪失状態で精神病院入っているわけです。
自分はその人たちを看護する役目になってるけど、「それ、ええの?」、「人、殺した奴やで」とやっぱり思ってしまいます。自分が刑務官にだったら許せないと思います。
僕が最初、釜ヶ崎に行った頃でも「あいつらがここにいてるのは、自業自得や」みたいな理屈が多くありました。実際そんな人いっぱいいます。
「そんなんそいつが、そいつの生き方が結果としてそれを、家族と離れて地域とも離れ職場とも離れ…みたいな…になってるんやろ?」「そんな人たちに、何でせなあかんの?」って。「一生懸命働いても生活保護以下の収入で苦しんでる母子家庭とか、いっぱいあるやん」みたいな話もいっぱいきこえてきました。
それを「評論家的に言うの、やめたらどうや」と思うわけです。「自分いっぺん生活保護を受けてみたことあんの?」「あって、初めて言ったほうがええんちゃう?」みたいな感じですかね。生活保護受けてる人も、「受けるのにものすごく覚悟いった」とかいうわけです。
「からだ壊しながらでも路上生活やって、パン屋が置いてくれてる屑パンを取りに行くのが日課になったんやけど、ある時、自分より先に取りに行ってるやつがいてて、腹立ったけど、『あいつ、やっとこれでパンにこれからありつけるな』と思ったら自分はあきらめた」なんておっちゃんの話とか聞いてしまったら、「うーん…」と思ってしまいますよね。
パン屋のサンドイッチ作った残りのようなパンの耳。それもゴミ箱に捨てられてた。ゴミ箱あさって持って帰るその人を見つけた時に、パン屋さんはゴミ箱の横に、そのうちに何回か来るようになったら、ゴミ箱の蓋の上に置くようになった。おっちゃんが取りにくる。ゴミ箱や地べたから拾うときに比べて、ほんの少しの優しさ、そういうふうにおいてもらったときに「ああ、俺はとにかくまあパンの耳が食える」ってほっとするわけです。
そこれがおっちゃんの「パン」拾い場だったわけだけど、ある時、そこで新参者が先に見つけて取ってるのを見た。その時「それは俺のもんや」とは言えなかった。そんな話を聞くと、「ああ、なるほど…」と僕は思ったわけです。
介護現場で「看護師が介護職員より給料がこんだけしか上じゃないのはおかしい」とか言ったりします。看護師の時間給が1,100円で、介護福祉士が1,000円。「100円しか何で違わへんの?」みたいなこと言ったり。「同じになったらおかしい」とか。何かめっちゃしょうもないことで言い合ったりするわけです。
そんなことと比べたときの、パンをあっさり譲ってあげるおっちゃんの気前のよさです。そういう話聞いたら「ああ…」みたいなため息が出るというか。
もちろん、僕にはできないですよ。もう本当にあこがれの話です。「そうですか、すごい。そうですか」しか言えませんけれど…。
でも、実際にそういう人たちがそうやって自分の話をしてくれるようになるまでにはけっこう何回も何回も僕は通ったわけです。最初は「何か阪大から来たんだよ」「変なやつが」みたいな感じで。別にそんなに邪魔者扱いもされませんけど。「自分ら生きてるとこやから無碍にはできへんし」という感じで。
そのうち「あ、こいつ何かあまりできのええ先生ちゃうな」ということになって、僕のこと「西やん」って呼ぶんですよね。「西川先生」が「西やんは、なあ…」になってきたんです。「俺と同じ匂いがする」とか言うんですよ(笑)。
でもその人が、癌で「余命3ヶ月や」と言われて、ドヤを改装した福祉アパートまでいったりして。彼の最期のあたり、付き合いましたけど。それは色んなことを教えてもらいました。
B:お金がなかったらケアが受けられないんじゃないかっていう不安があるっていう話も出てるじゃないですか。
西川:カネを取る所ではね。
B:老後の不安てそういうことですよね。「自分がケアを受けなきゃなんなかった時にお金が必要なんだと思ってるからお金貯めとく」。それ、でも、一理ありますよね、その不安って。
西川:
いや、理屈じゃなくてどういう関係を結んでるかですよ、やっぱり。カネもらわなかったら動かないような人間には、カネを払わなければ動かない人間しか周りにはいないんです。
カネがなくても、自分の時間失ってでも誰かが傍にいてくれたら、その人もカネがなくても自分の時間を失ってでも来てくれる。今回の話でも出たような「なじみの関係」がたぶん、出来上がっていくんじゃないですかね。
生活保護の受給の後で、おっちゃんが何で「西やん、飲みにいこう」って言ってくれるかって。最初は意味がわかりませんでした。でも、まさかおごってもらうなんて思ってないわけですよ。でも、「今日はここは俺が出す」でおっちゃんがいって、中国人がやってるカラオケの所に行きました。保護費受給日だから現金で払うのかと思ったら、ツケがいっぱいあって、それ払ったら終わりで、今日の払いはまた来月のツケみたいな感じなんですけど(笑)。
ぼくはここでほんとにいろんなことを学んでいるんです。