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30年前の1995年1月16日から全てが始まりました

こんにちは、わこです
毎年1月16日は、私にとってとても大切な日です
そして今年2025年は、丁度30年の節目を迎えた年

今日1月16日中に、どうしてもこの節目で感じた気持ちを
noteに絶対に書くと決め、今から思いつくままに書いていきます

わこの昔話のような内容になってしまいますが、
良かったら最後まで読んでもらえると嬉しいです

私にとって1995年1月16日とは

忘れもしない30年前の1995年1月16日、私は関西国際空港にいました
アメリカニューヨークまでの片道チケットを握りしめ、
初めてきた国際線出発ロビーで、柄にもなく緊張していたことを
今でも繊細に覚えています

実はこの1995年1月16日は、私がアメリカに旅立った日なのです

アメリカ留学に行った日が、なぜ私にとってそこまで大事な日なのか
それはこの日が私の今後の人生をガラッと変えた、
きっかけになった日だからです


1995年までの私とは

普通の高校生をしていました

志望していた地元の高校になんとか合格し、
高校生活を楽しみたいと思っていました

しかし高校に入学して学校生活を楽しむはずが、何故か何もやる気にならず
今思うと「燃え尽き症候群」だったのかもしれません

学校に行っても何も楽しめず、友達を作る気にもならず、
ただただ毎日時間を、「消化」していただけでした
将来の目標もなければ、当然勉強など全くしませんでした
当然成績はクラスでもビリ、学年でワースト3という輝かしい記録を達成したこともあります

学校は休みがちになり、そのうちバイト三昧
自由なお金が入るので、当然遊びも派手になり
学校に友達がいないので、バイト先や当時流行っていたバンドの追っかけなどでできた友達と一緒にいました

自分の居場所は、この高校にはないとずっと思っていました
なので高校以外の場所で、何とか自分が心地良い場所を
一生懸命見つけようとしていたのかもしれません

今までの自分の人生で、何か誇れるものもなければ、
頑張ってきたものもありません
自分自身に自信もなく、これからどうやって生きていけばいいのか
人生の迷子になっていました

高校3年間は、私の人生でまさに黒歴史でしかありません
校則違反をしたり、学校をずる休みしたり、なかなか荒れた高校生でした


しかしこんな私に転機が訪れるのです
たまたまテレビで観た、アフリカ難民キャンプのドキュメンタリーでした
私にとって別世界の出来事でしたが、何故か無性に興味が湧きました
久しぶりに「自分が興味が持てるものに出会った」
まるで宝探しで、やっとお目当ての宝を見つけた子どものように
嬉しかったのを覚えています
そして単純な私は、「私の居場所はここだ」と思ったのです

この時は難民キャンプの何にそこまで惹かれたのか、わかりませんでした
しかし社会の中で自分の居場所が見つけられなかった当時の私にとっては、
きっとどこでもいいので自分が必要とされる場所を見つけたかったのかもしれません

それがすでに高校3年生、成績は学年の最下位をキープしている状況で、
最も受験から遠い存在にいた私が、なんと大学を目指したのです

この辺のことは色々ありすぎて、書き出すと終わらないので割愛しますが、
予想通りもちろん大学受験は失敗し、浪人することになりました
その浪人生時代に、「日本の大学ではなくアメリカの大学に行こう」と決断
次の年は1年間、
留学費用を貯めるために地方の工場に住み込みのバイトに行きました
そしてなんとか1年分の留学費用を貯め、渡米する日が1995年1月16日でした


ずっと罪悪感を感じてきた私の言葉

紆余曲折ありながら、やっとアメリカ留学への旅立ちの日
当然ワクワクが止まらないはず…でした
しかしそこはまだ10代の未熟な若者です、不安でいっぱいでした
もちろん海外に行くのも初めてで、英語も受験英語レベル
それでも2年間温め続けてきた、やっと見つけた自分の夢
それなのに、いざ1人で飛行機に乗るとなると足が震えていました

そこで何気なく言ってしまった言葉に、
私はこの後何年も罪悪感を感じることになるのです

「もし今地震が起きたら、飛行機は飛ばなくなるよね」
「あ〜地震が来ればいいのになぁ」

何の悪気もなく言った言葉でした

そして私が発言した丁度12時間後に何が起こったと思いますか?
もうカンのいい方は、察したと思います

私が関空出発した12時間後である、1995年1月17日の早朝
阪神淡路大震災が起こったのです

私は神戸で地震が起こったことを知ったのは、アメリカについてからでした
ホテルに泊まりテレビをつけた時、
あの有名な高速にバスが落ちそうになっている映像を観て知りました

その映像を観て当時の私は、
「アメリカでもNHKが日本語でそのまま映るんだ」と
勝手に誤解をしていました
こんな大きな地震だったと知ったのは、恥ずかしながら何ヶ月も後でした

他の国からの留学生に、「日本の地震は大丈夫だったの?」と聞かれて
初めて大きな震災だったと知ったのです

それと同時に心の底から後悔しました
自分が何気なく発した例の言葉を

悪気や深い意味がなかったとしても、災害を願う発言をしてしまいました
それ以降、自分が言ってしまったことへの罪悪感に苛まれました


あれから30年の節目に改めて感じること

私の人生にとって、1995年1月16日は大きなターニングポイントとなった日
そしてその日から、私自身生まれ変わったような感覚があります

空港での地震発言からの罪悪感は、今もなお持ち続けています

実際に震災の為に、留学に来られなかった人がいたと聞いたことがあります
当時私は大阪に住んでいましたので、震災の影響を受けていたはずです

もしアメリカへの出国日が16日でなく、それ以降の日だったら
私の人生は、確実に今の人生とは違っていました


変な言い方ですが、私自身あの日に必ず出発をしなければいけなかった

そしてアメリカで学ばなければいけないミッションが、
私には与えられていたのだと
「留学して、しっかりと学んでこい」
「来たくても来られなかった人の為にも全力を尽くせ」

このミッションが胸にあったからこそ、
私は過酷な留学生活を乗り切ることができたと思っています

そしてこうして頂けたチャンスを、絶対に無駄にはしてはいけないし、
自分のこの経験を、必ず社会にいずれ恩返しをしたい
この気持ちが私の支えでもあり、辛い留学生活のモチベーションでした


留学から帰国し、自分が社会に役に立つことをたくさん探し回りました
少しでも興味関心のあることを、とりあえずやってみる
しかしなかなか運命の仕事と出会うことができず、半ば諦めかけていました

気づいた頃には、すでにアラフォーになった私
そしてやっと「これだ!」と、思えるやりたいことに出会いました
それが「臨床心理士になり、心が健康になるお手伝いをしたい」でした

アラフォーの私に、迷いは一切ありませんでした
臨床心理士になるために、何としても大学院に行きたい
そして2015年春、念願だった大学院に合格
院を修了してから、臨床心理士と公認心理師の資格も取得できました

あんなに勉強嫌いの私が、
何をやっても中途半端だった私が、
今は心理士として働くことができています

よく周りから、「そこまでできたモチベーションは?」と
聞かれることがあります
そんな時なかなか答えに悩みます

「何となく社会に貢献しなければいけないミッションを背負っているので」

こんな風に答えたとしたら、ドン引きされること間違いありません笑
「えっ大丈夫?」と心配されるかもしれません笑

でも私の中では、明確に、そしてはっきりとしたモチベーションがあります

それが30年前に運命的に震災前に出国でき、
アメリカ留学の機会を得られたこと

そしてその機会を得た代わりに、学んだ経験と知識を社会に還元させること

このミッションは、30年経った今でも私の中にしっかりと根付いています
そしてこれからも、
このミッションに向かって自分のできることを実直にやっていく

毎年1月16日になると、
このミッションを思い出し、原点をこうして振り返ります



私の心理士としての思い

こうして私は心理士としての仕事に、
時間はかかりましたがたどり着くことができました

そしてこの心理士としての仕事は、
私にとってとてもやりがいのある仕事です
どれぐらい心理士として社会に還元できているか、
まだまだ自信はありません

しかし心理士としての仕事に関しては、
並々ならぬ思いを持っていると自負しています

これからどんな形になるか分かりませんが、
終わりのないミッションに向かって、
心理士をもっと身近に感じてもらえるように、
心の健康が高い人を1人でも多く増やしていきたい

これからも自分ができることを、精一杯やっていきます

最後は少し決意表明のようになってしまいましたが、
こうしてこの30年の節目に、自分の気持ちを書くことができました

そうしてこうしてここまで読んでくださったあなたにも、
心から感謝したいです
今日感じた私の気持ちを、シェアできたことがとても嬉しいです


そしてもう1つ忘れてはいけないこと、
1995年1月17日に起こった、阪神淡路大震災です
30年経ってもなお、
被災された方にとっては辛く悲しい経験や記憶に残る日でもあります
被災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします



最後に

ぐうたらな高校生活を送っていた私ですが、
何とか社会の中で自分の居場所を見つけることができました

とても時間はかかったのかもしれませんが、
私にとっては、必要な時間と経験だったと今では思ます

そして人間何がきっかけで
どう自分の人生のが変わるのか分かりません

なのでまだ自分の居場所を見つけられていない方
今の場所にいまいちしっくり来てないと思っている方

どうぞまだまだ、諦めないでください

きっと私のように、
しかるべきタイミングと時期に、必ず出会えると思います

その為には、少しのチャンスも見逃さないように
ちょっと自分のアンテナの感度は上げてみるといいかもしれません

いつもとは違う何かに、
ビビビっとくるかもしれませんよ


これからもここnoteで、
いろんなことを、発信していきたいと考えています

noteでの新しい出会いや繋がりもまた、楽しみの1つです

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました
これからも機会があれば、覗きに来てもらえると嬉しいです

ではまた、
心野わこ でした







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