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【深海の感情】




私は
此処に
幼少期の想い出を時に語ることが
多々あります。

すると
反応する人達は

結構重く捉えがちなのてすが

いつも思うこととしては

本人の私は
そんなに周りが思うほど
重くも苦しくも捉えていないと言うのが
本音であります。


勿論

甘酸っぱい想い出や
ちょっと苦い想い出もありましょう。

しかしです


そんなささやかな日常の繰り返す日々に
ちょっとした甘酸っぱい想い出くらい
幾つかは誰だって
あるのではないてしょうか。


時々
そんなこと気にしていたの…と


驚く様な告白を

家族や子どもから
聞くことはありませんでしょうか…。


そんな風に思っていたの…。

心を痛めていたの…


家族からの胸の内の告白…

愛するものからのいきなりの
カミングアウト…


その時のほうが
どれ程か

胸がキュンとして

記憶が残るものです。


自分が受ける甘酸っぱい想い出や
苦い想い出よりも


ずっと切ない印象として残りました。

傷つけていたのだと

ましてや相手の事を思っての言動だったり
この世の常識に囚われていたが為に

こどもの気持ちを

心底から
解ってあげられていなかった…


良かれと思った事が裏目に出ていた事が
後々気がつかされる事に

静かに重く驚かされる事があります。



不完全な親の私が
不完全な自分の親を重ねて
見ているわけてすから

なので
そんなにも
周りが思う程に

重くもトラウマでも
何もないのです。



ただ幼少期に感じた
甘酸っぱい想い出が

今では益となり
我が子が
また私と違ったところで
甘酸っぱい想い出を
感じたならば


ある意味 切なさの中にも
微笑ましく思える事へと

時を超えて感じる自分もいるのですから…。

我が子を見つめるときにも
そして傷つけてしまった時の自分の
姿を客観視して


自分の父や母を重ねるのです。

なんとも不完全…。


こうして
文字にして
伝えられているのは


私にとって
もう解放されたものだからこそ

残せるものなのです。



そして
同じ様に
甘酸っぱい想い出を
もしかしたら握りしめている事に
まだ気がついていなくて

時々無意識に

切なく空しさを
感じている人へ向けての
メッセージなのです…。


色んな角度から
色んな立場に置かれた視点で
読んで下さったなら

嬉しく思います。



さて
それで伝えたいこと…。


私は
本当に心に
締め付けられるような想いは

まだ幾つかは
文章には残していません。


文字にしているのは
心の整理

すなわち主に明け渡して
解放を遂げたもので

人へ証として伝えられるものだけであり


本当の深海の内に眠る
出来事や想いには
まだ文字にはしたくはありません。


かつて
あの有名な豪華客船
タイタニック号の
乗客であったテニスプレイヤーの男性が

あまりの悲惨な光景に
晩年まで
妻や
家族にも何ひとつ語らなかったと
聞いたことがあります。


私はその様な凄まじい経験をした訳では
ありませんが


語れない想いというものは
この様な私でさえも
共感してしまうものであります。


人がどの様に捉えようとも
私には誰にも触れてほしくない


そんな領域の想い出はあります。


その事を語ることで
また
周りの反応が

私の受けた
染みてきた感情とは
全く異なる受け止め方や

あるいは嘲られたら
私にとって
とてもとても

悲しい屈辱的な

傷口に塩をぬられた気持ちに
なりかねません。


クールに
人はそれぞれと割りきったとしても
切なく

「語ること」についても
そこで学ぶ事は多くありました。


もしも信じていたパートナーが平然と
誰にでも話題として 
軽々しく話していたら
どうでしょう。

それを
信じていた人から聞くのではなく
その周りから
嘲られて聞いたならば

どれほど悲しい事でしょうか…。


パートナーにしてみれば


例えば男性で

夫であるならば
妻の事は
何を語っても
夫婦だから良いのだという

無意識に
所有物的な考えなのかも知れません。

これは
夫という立場ではなくとも
他の男性にもみられがちで


もちろん女性にも
その様なお考えの人は
確かに存在していて

男女問わず


人の秘密や
大切にしておきたい想いを
理解できず
もしくは
自分の欲望を満たしたいが為に

軽々しく
口を開いてしまう様な方もいます。


口というものは
聖書にも幾つか
みことばとして
記されてはいますが

からだの部分で制御するには

なんて

難しいものでしょうか…。



過去のことは
主に委ねて
解放され今に至り


このように笑い話として
文字にしております。


誰にでもあることです。

余談ですが

時に

テレビの
バラエティー番組で
親子や
ご夫婦又は友人関係等

出演されているのを
見かけると

どこまで語れるのか
ちょっとしたハラハラ感を感じつつ
その親しい関係の中を
見つめてしまうものですね。

そこで
その人の
周りへの配慮と
家族への思いやりの両方の気くばりを
楽しくも微笑ましくも
見ることもありますね。


さて
過去のことは

もう
それは仕方のないことです。

私はそんな切ない
経験をしてしまいましたし
勿論他にも幾つかありましたが


その様な出来事から
思い出す事があります。


母は
幼い頃から

こう言いました。


口に出した言葉は
もう戻らないから注意して
語りなさい

と…。


そう

何度も何度も
教えられていました。


しかし
母も人間ですから
時には
感情が入りましたなら

その様な時の語る言葉には

最もらしく論理的に感じるけど

それは私が受けとるなら
負の想いでしたから

私の心には
喜びは感じてきませんでした。


理性を働かせても

素直に
こう思っていると大人である以上
言えないところも

思春期の私には感じていたのでした。



さて

育ての母は
冷静に見えても

どんな感情を持っていたのでしょう。


それは

産みの母への嫉妬心でした。



そんな
ほんのりとした
不完全な

女の母を垣間見る時

それも何故か
冷静に見つめている私がいたのでした…。


私は人を一面では決定づけません。

私は母の色んな姿を見て
信頼していましたからね…。


そんな小さな感情を見ても
何も信頼が崩れること等
あり得ない事でしょう…。


不完全な私でさえも
少しの愛は
知っています。


愛情とは
そういうものだと思います…。





人は感情で動かされて
論理的に語ろうとしますが

そこには見えないけれど
想いが乗っているのです。



まるで同じお料理を作っても

その人その人の作り方と
想いがそのまま
味に出るように…。



お話を戻しましょう…。



此処で語る
幼少期や過去の想い出は


周りが思う程
深く重く
負の感情を持たれる程のものではなく

それは

主のもとで

解放されて

くさりが
粉々に砕かれ

私の想いは
静かな海の様であります。


だからこそ
語れるのではないでしょうか。


本当の心の深海に眠るものは
まだ文字にはしていないだけで

それは
本当は
告白して伝えてみるならば

ひょっとしたら

誰かの

慰めとして
届けられるのかも知れません。


ですが

その想いは
主だけに
告白して

お伝えしているのです。


どうしてでしょうか…。


それは
主が
とこしえの岩だからです。

信頼できるお方だからです。



私が
ある悲しい出来事があった時に

パッバッと
画面が

幻が見えたのです。

それは

幼い頃のある出来事であり
その場所が鮮明に見えたのです。


驚きました。

何年も
もう忘れ去ったかのように

思い出すこともなく


そんな過去の出来事があったのかと

記憶からは消し去っていた過去でした。


しかし

ある状況の時に突然と
それが幻で姿を現したのです。

主が十字架と復活を幻で
見せて下さった時にも


全く同じシチュエーションでした。

突然
スクリーンで教えるのです。


ここまで私をご存じで
ここまで私を導いて

ここまで見守っていて下さったなんて

ただ  ただ
驚くばかりでした。


ワンダフルカウンセラー


もしも
あなたが


多くの人に触れられたくない

言葉に出来ない
想いが心の深海に眠っているならば



主に信頼して

主に祈り


口で告白してみて下さい…。



解放されて語れることは
語って

誰かの心の勇気や慰めになるなら

証としていけば良いでしょう。


ですが

まだ

触れられたくない

深海の

大切な想いは


後にキラキラした水面へと
引き上げられていくまでは
何年もかかるような感情が
おありでしたら


あなたを胎に形造られたお方に

信頼して
独り

その唇で言葉にして

祈ってみてはいかがでしょうか…。


私は
そうします…。





これからも…。










ブルーグレィの教会で


黒でもなく

白でもない

それは人の心模様のグラデーション


不完全な人の独り言…。



感謝します…。















































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