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【過去は変えられる】~甘酸っぱい想い出~


そう

あれは小学校の頃でした。


父が友人であるお客様を

自宅にお招きするということで

ちょっとせわしくしていましたが

さっと私に渡したものは、買い物をしてきた

パック入りの苺でした。

「これ  お客様に出して」


まだ幼ない小学生の私にとって

急に渡された苺入りのパック

どうおもてなしをして良いのか

解らずしばらくその苺を眺めていたのです。

それで私なりに考えて

苺とミルクが良いだろうと

Kitchenで丸々した苺をトントンと

半分に食べやすく切って

硝子のお皿に苺とミルクで

お出ししました。


どうだろうか…。



父と友人は

話が盛り上がっていて

その時

苺の事で何か呟いた気はするのですが

記憶が定かではありません。


しかしその後、お客様がお帰りになった直ぐに

父は私にとても感傷的に叱ったのです。


「何で苺を切ってしまった!あんな細かくしては苺じゃない」


父は幾度となく

しつこいくらいに繰り返し苺のカットに対して

感情的でした。


その時の私には

少しでも食べやすく

ミルクと口に入れて食べるには

丸ごとよりもカットした方が良いのかと

Kitchenで試行錯誤していたわけです。

まだ幼い私なりに考えたわけなのです。

なのにも関わらず父は

苺はこう食べるべき…という固定観念があったのでしょう。


それから月日は流れ…



大人になってから

私は苺を切る度に

何か違和感があったのです。


勿論苺を見る度に…。


そう

それが

その頃の想い出だったのてしょう。



しかし

十字架の購いを知り


見上げていく信仰生活の中で


歳を重ねて行くに連れ

父の歳を超えてしまってからは


そんな心の小さな傷が

癒されていくのでした。


些細なことではありますが

きっとあの頃の光景が焼き付いて

心からは消えることなく

苺を見る度に思い出しているのですから

よっぽど悲しかったのてしょう。

ですが

十字架の購いによる

優しい主の眼差しが

大人の私と

幼い私に微笑み


そして私にこう言うのです。


大丈夫

感謝しなさい


喜びなさいと…。








父はまだ20代だから

人格においても父親としても

まだまだ未熟で不完全…。


父は大好きな苺を丸ごと食べたかった


頬張りたかった。

自分が

楽しみにしてた…。


なので

ちょっと店頭で見かけた魅力的な苺から

目の前に出された苺の姿とは程遠く感じた…。

なんて姿だ…



期待した苺ではなかったから

とても残念に感じて

つい私に文句を言いたくなったと言うことなのかもしれませんね…。


今思えば

可笑しいですよね…。

案外

かわいい父じゃないでしょうか…。


今の私なら

そんな父も愛おしく思えて仕方ありません。



その他にも

お米の研ぎ方が良くなくて

お米が美味しくなかった為に

食卓でずっと不機嫌だったり…。

母も

もう次からは出来るから…

今回は許してあげてねと

宥めていたけれど

そんな食卓は

苦しく切なかった記憶がいまだに

心に深く残っているのです。





食べることが好きだったから

どうしても

美味しく食べられない

残念な気持ちがつい

言葉となってしまった

若い父親が

目に浮かびます。


一生懸命手探りで自分で考えて

お料理をしても

失敗して

叱られて悲しくなったりもした幼い私…。




古い写真の様に

忘れ去られたかのような

過去…




苺を見かけると

胸が少し痛んだ大人の私がいました…。



それも何故なのか

はっきりしないまま膨張していたわたしが

長年いました。



ですが


もう悲しむことはないのです。


主が

過去の幼い私と

未熟な若い父に


語って来なさいと仰ったのです。


それで私は


笑い飛ばして

父に言うのです。


苺はまた買えば良いことよ。

ミルクで出すからねと言った娘に

もっとこうしてあぁしてと

言ってあげたら良かったね…

感情で言葉を発するのは良くないわ。



ありがとう…

だけど

パパは

もっと大きい苺で出してくれたら

最高だったと




そう言えば良かったかもしれないよ…。

やる気(やる木)から

実を実らせない言葉は


太陽の光と水を与えていないのと同じだと思うの…。




そして幼い私へ


大丈夫よ…

私は父より

歳を重ねて

若い父が良く見えるようになったわ。


気にしなくて良い…。

大丈夫…。



もう大丈夫。



みんな不完全…。


過去は変えられないと

いうのは事実です。


ですが


十字架を見上げていくならば

ある意味過去は変えられるのです。


角度を変えて


相手の心を

少しずつ

想像したり


思い巡らしたり


赦し感謝し


そして懐かしさが喜びへと

変えられて行くように



主はこんな

誰も知らない甘酸っぱい想い出さえも


そんな過去さえも


平安にしてくださるのですね…。





神の時というものは



時にかなって美しい…。




時間がかかっても


過去は

十字架の愛によって



すべての人の

切ない過去をも


変えてくださる…。








ブルーグレィの教会で





黒でもなく


白でもない



それは人の心模様のグラデーション



不完全な人の独り言…。




感謝致します…。




































































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