[COLORS]~色覚と神様と~②
色覚…
この言葉にとても
惹かれます。
聴覚
視覚
味覚…
様々にある中で
色覚に
私は今
目を留めます。
COLORS…
さて
前回の続きです。
「色のふしぎ」と
不思議な社会
(著者 川端裕人)
から
少しずつ
視ていきたいと思います。
この「色のふしぎ」と
不思議な社会の書籍内容は
とても繊細に分析されていて
また高次の脳について
「色カゴテリー」という
言葉や
人が色を言葉であらわす
その繊細な領域にまで
深みに漕ぎ出していく…
そして著書は
こう語る…
21世紀の色覚の科学を俯瞰したなら
(第3部では)
その背景 知識をもったまま
ふたたび、ヒトの先天色覚異常の話題に戻る。
すると、これまでの狭い枠組みでは
見えなかった様々なことが、
まさに「色鮮やか」に見えてくる。
~「色のふしぎ」と不思議な社会から抜粋~
これまでの狭い枠組みでは
見えなかったもの…
それが色鮮やかに見えてくる…。
それは
まるで聖書の
神のことばの様に感じられて
色覚の世界が
聖書の深みを思わせられる
そんな感覚に浸るのでした。
今回は簡潔に色覚と神様との視点から
私の世界で身勝手に語りますが
実際には
この著書の内容の
繊細な領域を
私が語るのは如何なものかと思うところは
正直ありますが
私の想いを語りましょう。
著書の内容で知った事ですが
ヒトの目で
見分ける事の出来る色の違いは数十万色とも
言われています。
(分別出来るという意味)
また
日常的な言葉で表される色の名前はせいぜい数十万くらいなのだとか…。
それで色名でまとめられる様な
似た色のグループの事を
「色カゴテリー」というそうです。
それに対して「言葉」をあてはめて
色の見え方を表現しているわけですね。
それで「「色カコテリー」」についてですが
無数に区別できる様々な色を大雑把にまとめたものだと語っております。
例えば「赤系 青系」の様なざっくりした言い方も色カゴテリー
そして
青系を更に細かく
「紫色」「青色」「水色」と分けるのも
これも「色カゴテリー」なのだという事です。
このカテゴライズは
色が弁別できたうえに更に
色の見え方が確立したからこそ
色をめぐる脳内の信号処理でも
最終段階に近いと考えられる様です。
それでわたしが興味深く感じたのは
国際的な基本色の研究では
11の色のカゴテリーが同定さらていて
日本語話者の色カゴテリーには
先ほどの11のカゴテリーに加えて
8つのカゴテリーがあり
合わせて19のカゴテリーになると言います。
それで
私は
とても興味を持った事がありました。
それは
実験で
参加者に色名を答えてもらって
調べていくのですが
解析の時点では色名はいったん外して
どんな色のグループが
ひとかたまりのものとして
認識されているかを見ていくのです。
それには意味があり
色名そのものを解析してしまうなら
明るい青の色票セットを
「水色」「空色」と異なる色名で呼ぶ人がいて
それらを別のものと
見なされてしまうからだそうです。
人によれば
ピンクを
桃色と言葉の表現をする人や
紺を藍と言う人もいるわけですからと著書では
語ります。
東北大学電気研究所
高次視覚情報システム研究室の栗木一郎准教授が
この言語と
色カテゴリーについての研究について述べている箇所に触れて今
ここに綴っておりますが
教授曰く
あくまでも頭の中にある
色カゴテリーそのものを
あぶり出すもので
決して「基本的な色名」を
知ろうとするのではないと続けて語ります。
それでも人に伝える時には
結局「色名」を使うことになるわけで
研究上もまずは色名を聞き
そこから色カゴテリーに迫っている。
本当に色の体験は主観的なものだから
こういう複雑なことがたえず起きる。
「色のふしぎ」と社会の不思議~抜粋~
この内容に
私は胸がトキメイタのです。
何故なら
神を信じる私達が
見えない存在の聖霊について語るときにも
そして聖書の
神の言葉を語るときにも
どの様な色カゴテリーがあるのでしょうか。
十字架の購いの神を信じる私達でも
聖霊を
どのような視点で見つめ
また
聖書のみことばをどのような
色覚で視ているのでしょう。
私達が知る聖書も
過去に遡ると
もっとシンプルだったのかも知れません。
何故なら
今程にも
研究も進んではいなかったでしょうし
ギリシャ語
ヘブル語等の解読も
どこまで分析されて
神学においても
また宇宙においても
科学的な星々の世界においても
そう
昔の日本の人達には
何処迄が
理解されていたのでしょうか。
私は
その分野においてはとても無知であり
専門的な事は全く解りかねます。
今ではネットにおいても
書物でも豊かに情報が溢れ
例えば
私が知りたいと思うならば
情報を探し
多くの学びを得る事が出来る時代へと
変化しました。
昔の
世界の人達から
日本人までが
どの様に聖書のみことばの
色覚を持ち
色名を使って
表していたのでしょうか…。
実際に著書の内容での
実験では日本語とロシア語の
色カゴテリーが類似していたり
ロシア語の話者
英語話者の色カゴテリーの違い等
述べられていました。
それで
言語の色カゴテリーの違いが
色の識別にも影響してくるものだと
結論づけておりました。
色カゴテリーはヒトの中の
普遍的な部分もありつつも
言語や文化からフィードバックを受けて
違いを形作っていく。色をめぐる多様性は
個々の違いの背景に
更に言語や文化からも影響が加わるような形になっている。
「色のふしぎ」と不思議な社会~抜粋~
そう思うと
色をめぐる多様性の如く
聖書のみことばにおいても
歴史的背景
文化的な視点
どれ程に忠実に理解出来るかと
原語から知る必要性に
迫られる気持ちにはなりますね…。
お話を少し変えて語ります。
私は
思います。
十字架の購い主
イエスキリストを
見上げたばかりの頃の私と
今の私とは
みことばの
表現する言葉の色名は
異なる事でしょう…。
ですが
言えることは
私の視た
色カゴテリーは
決して変わらないでしょう。
聖霊に在りて
みことばに触れるなら
初めて読む人にあっても
何年経って読む人にあっても
きっと
同じ「色カゴテリー」なのです。
ただ
先ほど述べた様に
明るい青を
「水色」や「空色」という色名で
語るかも知れません。
それは見えない聖霊を言語で表すならば
やはり先ほどの頭の中の色カゴテリー
そして霊において
たましいにおいて
からだにおいて
すべてから視る神のことばは
きっとすべての聖徒共に
ひとつだと思うのです。
そして勿論
私が言いたい事は
クリスチャンだけでなく
初めて聖書に触れる人達も
すなわち
神様に創られたすべて愛された人
表現は異なっても
異文化であっても
神を探して
神に祈りを捧げる想いの
色カゴテリーは同じだと私は信じたいのです。
(何年の信仰歴と問わず、みことばに触れる想いは同じ思いにあると信じる)という意味です。
何故なら愛である神様に創られし人間が
こうして色を言葉であらわす存在だからです。
先ほども述べた様に
著書では高次な領域なのだと語っていたように…
私達は神に似て創られた存在なのですから
そう信じたいでは
ありませんか…。
言語の色カゴテリーの違いが
識別にも影響してくる…。
このことばや現実に
私の思うことは
聖書のことばの受け取り方
受け止め方
すなわち本来あなたの心の目によって
色も変わるのかも知れない…。
そう
それは聖書の神を信じていても
信じなくても…
あなたの心の目が 神様に誠実にあって
清いものであるかどうかということです。
かつて
迫害に熱心だったあのパウロが
目からウロコが落ちたように…
私達は
愛という
同じ国籍の
色を
見るようになるのではないでしょうか…。
神に似て創られた人…
言語の捉え方の
色カゴテリーの
違いがあったとしても
互いの違いの
色をめぐる多様性には
それぞれの賜物があると信じていたいのです。
長くなりましたね…
決して
他の神々を信じて良いとは
いってるわけではなく…
すべての人を非難しているわけでは
ないのです。
まだ
上手に語りきれていない私をお許し下さい。
今回も前回と同じ著書
「色のふしぎ」と不思議な社会から
神様への想いを膨らませて
少しだけ
独り言をつぷやいてみました。
そして
もう一度
私は
前回のCOLORSと同じみことばを
口ずさみましょう…。
COLORS…
まだまだ綴ります…。
~ブルーグレィの教会で~
感謝します…。