56歳からの育ち直り②
突然恋に落ちた話から続ける。
わたしは50歳だった。
午前中・週3回、フルタイム・週2回で、スーパーのパートをしていた。
経済的には切り詰めた生活だが、それまでの人生がしんど過ぎて倒れたので、伸び伸びと、気楽に過ごすことだけを考えていた。
他人のことは構わず、自分の好きなように一人暮らしをしていた。
帰宅したら好きな映画とアニメを見て、昼寝をし、休日は時々、美術館とかに行った。
ある日、親しくしている年長の人から、コンサートに誘われた。旦那さんが行けなくなり、チケットが余ったらしい。「お金はいらないので、一緒にどう?」と言う。
大御所歌手のコンサートだった。わたしの、1.5世代くらい前の歌手だ。有名なので、名前と代表曲は知っていた。けれど、テレビでもFMでも、その人が歌っているのを聞いたことはなかった。
ちょっと興味が湧いた。それにタダだ。「行きます」と、わたしは言った。
確か、大阪の梅田芸術劇場の大きなホールだったと思う。満席だった。
年長の友人と隣り合わせで、やや右寄りの席に座った。舞台は遠かった。
大御所歌手の歌はやはり、聞き応えがあった。
お客さんは高齢者が多かった。長年のファンと見えて、会場はフレンドリーな温かさに包まれていた。
ステージングにも工夫が凝らされていたし、衣裳も華やかで、みんなが歌手を見ていた。
けれど、わたしの目に留まったのは、サイドで演奏をしていたミュージシャンだった。
目に留まった、というか、耳が、その演奏に驚いたのだ。
パーカッションだった。ティンバレスが、まるで名人が研いだ刀のように、鋭く、美しく鳴った。有り体に言えば「歯切れ良く」なのだが、到底そんなものではなかった。
それから、歌手そっちのけで、わたしはその人をずっと見ていた。
シンバルは鮮やかで、音が光り輝いているみたいだった。
ミュージシャン紹介で1人ずつがやるソロ演奏は、圧巻だった。カホンが、目にも止まらない速さで、音を立てた。音楽的な高揚感が塊になって落ちてきた。変な言い方だけど、本当にそんなふうに、わたしは「打たれた」のだ。
休憩で照明が点いてすぐ、カバンからコンサートのチラシを取り出し、出演者を見た。小さな写真で、その人が載っていた。名前も分かった。美形の男の人だった。プロフィールも分かった。「この人、かっこいいですね」と、わたしは年長の友人に言い、そのままチラシを見つめた。
ほどなく休憩が終わった。その後も、わたしはずっとその人を見ていた。写真ではなく本物がそこにいるのだけれど、遠くて顔がよく分からなかった。それでも、ずっと見ていた。一挙手一投足に集中した。
帰宅して落ち着いてから、チラシを出して、その人を検索した。
たくさんの情報が出ていた。ホームページもあった。ウィキペディアにも載っていた。
サポートミュージシャンとして、何人もの有名アーティストと共演していた。それは、ライブだったり、ツアーだったり、CDへの参加だったりした。
「は~~」と、わたしは、何とも言えない溜め息をついた。
びっくりしたことがあった。すごく驚いた。その人は、女性だったのだ。
名前が男だと思ったのは、ファーストネームが1文字だったのだが、読み方が違っていた。
そうなのですよ。わたしは女で、女の人を好きになったのです。
「ああ、女の人を好きになった」と、わたしはしみじみ思った。
数日間、その人のSNSを追っていたら、ライブの情報が目に入った。でも、全部東京で、わたしは地方に住んでいた。残念な気持ちでいっぱいになった。
またこちらの地方に来ないだろうか。思い切って、コメントで尋ねてみた。返事があった! でも、予定はない、という内容だった。
それから、彼女のSNSを追いかける毎日だった。何を食べた、とか、リハが終わった、とか、どこそこでライブ予定だ、という内容だった。自撮りも多かったので、嬉しかった。
ある日、変わった公演情報を見かけた。演劇の舞台に出るというもので、次はいつあるか分からないという。
すごく行きたかった。けれど、新幹線で数時間かかる。宿も取らないといけない。お金がたくさんかかる。わたしはいったん、諦めた。
いったん――
いったん諦めた。そして、ある時ふと、「いけばいいじゃん」と、言葉がよぎった。
そうなのだ。「お金がたくさんかかるから行けない」というのは、思い込みに過ぎない。
お金を出せば、行けるのだ。
わたしは、その公演に行くことにした。そして実際に行った。
公演の受け付けで、彼女の名前を伝えて、差し入れを預けた。地元の和菓子だった。こんなふうに、出演者に差し入れをするのは、初めてだった。
劇場は小さかった。彼女の顔も姿も、よく見えた。彼女が目の前を通りすぎた。焦がれた相手が、数メートル先にいた。なんて素敵な人だろうと、心から思った。
彼女に直接会いたくなった。会って何を話すか、なんて、関係なく。ただ、会いたい。
わたしは、生まれて初めて、出待ちというものをした。
と言ったって、調べてもいなかった楽屋口が、どこかなんて、いきなりわからない。劇場は大きなビルの中にあったから、なおさらだ。
わたしはただ階下の、エレベーター周りをうろうろするだけだった。
夜は更けていて、守衛さんの姿があった。それでも、もうちょっと、と思いながらうろうろした。演者用の出入り口はきっと別の場所だろうと思いながらも、もしかしたら現れるかも、という思いを振り切れなかった。
そうは言っても、時間は過ぎ、他に誰もいなくなる。わたしは諦めて、ビルを出た。残念な気持ちはあったが、会えなくて当たり前だと思えば、気も晴れた。
何より、あんなに近くで彼女を見られたのだ。
わたしは街灯に照らされた夜道を駅に向かってぶらぶら歩き、途中でベンチに腰かけた。そして、和菓子の包みを開けた。彼女への差し入れと同じものを、自分用に買っていた。
わたしは一人で和菓子をつまんだ。オリジナルデザインで、かわいい。求肥と餡と。丁寧に作られていて、おいしかった。彼女と同じものを食べているんだ――と、自分で満足した。
この公演を最初に、堰を切ったように、わたしの追っかけ生活が始まった。そして後、それは、ただの追っかけでは、なくなっていった。
結論から言うと、彼女のライブを手伝うようにまでなった。
けれどもそれが、一方では、わたしのあまりの思い入れの強さに独り相撲になる場面もあり、彼女に強くたしなめられることにもなる。辛い。
52歳でも、わたしは、自分のことばっかりの、子どもだった。それが今の「育ち直り」につながるのだけど、その時はただ辛かった。
追っかけから、ライブスタッフになり、辛い気持ちにもなる――というあたりを、次回に書きます。
<続ける>
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