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03 幸せになるということ

予備校生時代に とても気の合う友人達がいました。

その中に 家にお手伝いさんのいる男性がいました。

本当にやりたいことと親の望む道

そういうことで悩みを抱えていたようでした。

その延長上に結婚についても漠然とした不安のような

ものがあったようで

「幸せにできないかもしれない」という話を聞かされたことが

ありました。


もっとも 結婚のことを考えると「吐きそう」と思っていた時代でした。

「二人で幸せになるもんなんじゃないの?「してあげな(あかん)」って

考えるからしんどいんちゃう?」

みたいな(もうずいぶん昔のことなので)

わかったようなことを口走っていました。


口に出したことで 自分でああそうか と思ったように記憶しています。


高校時代の友人と話をしていて

意気投合したことは

結婚しても 自分の幸せは自分でつかむ 

ということでした。

幸せにしてもらうんじゃない

幸せになろうとしよう 自分で

お互い晩婚組です。


不妊治療が終わってから

知り合った人と納得し合ったことは

「欲しいものは自分で買うと思う人は

生物としての雌の力が弱いらしい」

「なるほどー だから私たち

結婚しなかったり 子供ができなかったり

したんだー」

屈託なく笑えました。


20年目の結婚生活に突入しました。

お互いの育ってきた環境の違いを調整する

時代を経て 私たちの土台を固めていき

お互いの老いからくる変化に対応する時代

に入ってきたんだなあ と思う今日この頃です。


こんな人だったのか と思うこともありました。

そう思われたこともあるでしょう。

人と比べたら幸せじゃないのかもしれないと

思ったこともあります。


どちらの実家にもほとんど帰らない時期も

ありました。

親戚づきあいは ほとんどしていません。

一大事、一大事に近いことがあった時は 

時間、お金 提供してきました。


悪口を言われているのかもしれません。

ちくちくっとした嫌味が聞こえたこともあります。

面と向かって言われたこともあったかな。

まあ 確かにそうとも言えるよね とも思ったので

そうですねー って笑って受け止めると

それ以上は入ってきませんでした。

受け入れてはいないから 根本は変えませんでした。


ユニットを組みたいと思い至った

いくつかの出来事

それを心に刻もうと思えた出来事と

その出来事に付随する想い


それが よりどころとなって

今も調整しつづけています。

幸せで いようと

日々暮らしています。


今朝 目にした投稿に

なんとなく返信してみたくなって

書いてみたけど


タイトルつけまちがったかな

ま いっか


つづく




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