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#11 DNAを遺す

「彼のDNAを遺したい」

というセリフに

ひりっとしたものを感じていた頃がありました。


「残念ながら子供に恵まれなかったんですよ」と

わりと最初からフラットに口に出せたのですが


この類のセリフに触れると

(面と向かって言われたことはありませんよ)

「そうなんよね、私個人の出来事じゃないんよね。」

といろいろ芋づる式に 申し訳なさ が

溢れてきてしまう時期がありました。

(今も ごくたまーにありますね。なくならんでしょう。

それでいいと思っています。)


時が解決してくれたのでしょう。


時が流れていく間に思いついたこともあります。


前世の自分を語る方がそのきっかけをくれました。

(直接 そういう方にお会いしたことは

 残念ながらありません)


DNAが記憶をつないでいっているのなら

何かの拍子にずーっと昔のご先祖さまの

記憶が蘇るってこともあるのかもなあ

民族性とか地域性とかも

生活の中で身についていく部分だけじゃなく

DNAに記録された記憶が影響している部分もあるのかなあ

強烈に印象に残った出会い、受け取った言葉

そういうものであれば DNAに刻まれていくのかも


科学的根拠を確認したわけではありません。

DNAを正しく理解しようと努力したことも

ないのですが

こういう解釈をすると

私のDNAもうすーくだれかに遺っていくのかも

しれないな と思えたのでした。


最近は さらに気持ちに折り合いが

ついてきています。


私が子供の頃は このままいくと

世界の人口は爆発的に増えて

食糧難の時代がくる という話のほうが

問題視されていたと記憶しています。


最近、将来なくなる職業とか

人口知能がチェスや将棋の名人を倒したとか

ロボットが学習したり感情も芽生えてきた?とか

という話題をよく目にします。


人間も動物です。

自然の一部です。

自然淘汰されていく中に

人間が入っていないと考えるのは

自分が入っていないと考えるのは

無理があるな。


子供ができなくて ぎくしゃく

しなかった私たちは

直接がっつり遺さなくていいもの同志が

出会えたのかもと思うようになりました。


だったら

うすーく ひろーく

遺してやろう

おせっかいで迷惑な

おばさんに おばあちゃんに

なれそうな気がしています。


何者かになるのもやめました。

名前のついている職業も捨てました。


私が一番得意な

お気楽をお届けしよう

何も背負ってないからできること

背負っていない人がやったほうが

いいでしょ。


つづく




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