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#7 人生初の絶望感
今では 家族以外はだれも信じてくれませんが
とても 小食な子供でした。
おやつ も たくさん食べられるほうでは
ありませんでした。
それなのに
好奇心が旺盛だったせいか
スーパーへ行くと
次から次へと お菓子を買い物かごへ
放り込んでいたそうです。
母は 同じくらいの子供を持つ
近所のお母さん達から
「そんなに好きに何でも買わせていたら
大きくなってから大変なことになるよ」
と忠告されていたそうですが
大した量でもないし
気がすんだらやめるだろうと
気にせず 好きにさせてくれていたそうです。
時々、「そんなに買っても全部食べられないでしょ
ほんとにいるの?」 と言われていた気がします。
「言われて」 です。
「叱られる」ことはありませんでした。
他の部分で甘くない方でしたので?
その後の私は、人のものを奪うこともなく
なにがなんでも 欲しいものは手に入れる方でもなく
人が持っているものをさほどうらやましく
思ったこともありません。
ただ、どうでもいいものをためこむ癖があります。
さて、おそらく小学校の低学年の頃
雨が降る日の午後でした。
外で遊ぶことができないので
家で過ごしていました。
なぜ そういうことを考えたのか
きっかけは全く覚えていないのですが
ふと、
「世界中にお菓子はいくつあるのだろう?」
という疑問が湧いてきました。
100まで数えられるようになった頃だった
と思います。恐らく同じ頃だろうという推測ですが。
お風呂で無事100まで数えられるようになった翌朝
だったと思います。急に自分がまだ一桁の年齢である
ことに気づき、両親どころか 祖父母までも100歳では
ないということを知り さらには
「100歳までは生きられないよ」 と 言われたことに
ショックを受けたのでした。
(100歳を超えるのはまだまだ稀な時代でした)
「お風呂の中で100まで数えられるのに・・・」
釈然としない気持ちでした。
たぶんその後も 人生の長さについて漠然と
考えていたのかもしれません。
「世界中のお菓子を私は生きている間に全部食べる
ことはきっとできないんだ。」
小食なくせに いつも全部食べられたこともないくせに
そう自分なりに予測した瞬間
頭がくらくらしたような気がします。
半世紀近くたったというのに
その時の 絶望感は 今でもはっきりと
覚えているのです。
それはお菓子を食べつくせないことに絶望したのだと
思っていたのですが
それほどに 人生とは短いものなのか と
直観したことによる絶望感だったのかもしれません。
これを書いて気づいたことです。
「死」というものについて 考えるように
なったり いろいろ考え込む癖は
これがスタートだったのでしょう。
だれにも言わずにひとりで考え込んでいました。
そうしたほうがいい と なんとなく思っていました。
内へ内へ 向いていく私
そのスタートは お菓子 でした。
今でもお菓子には目がないです。
つづく