教え:土足で踏み荒らせ(1)
(実在の成功者達をモデルにし、ひとりの人物「先生」として描く小説です)
神力満(しんりきみちる)。
本名だというからすごい。
何だかよくわからないけど「陰陽師」の組織を持っていて主にリッチな方々をお相手に「目に見えない世界のお仕事」をしているそうだ。
真っ赤なコートに真っ赤なエナメルのパンプスを履いているその服装からは、とてもそういうスピリチュアルな?仕事をしている人には見えない。
背がとても高く微妙に線がごついなぁと感じた「彼女」の声は、やわらかさのある、でも、男性のものだった。
「高橋さん、この子ー?」
「そうそう」
「どーも!」
神力さんは右手の平をこちらに向けて手を上げて挨拶をした後、席に座ろうとせず、立ったままじっと私を見つめた。
「神力さん、この子さ、土足で踏み込むことが愛情だってことが、まーーーーったく理解できないらしいんだよね。俺、なんかうまく説明できないから、ちゃちゃっとこいつに教えてやってよ。無意識レベルでこう、やれちゃうんだろ」
高橋さんは「こう」というところでなぜかガオーのポーズをとった。
「おっけーい」
神力さんもなぜかガオーのポーズで答えたかと思うと、そのままその腕を伸ばし、私の手首をつかんでひっぱった。
「じゃ、いきましょ!」
「え、行くってどこへ?」
「私のプライベートオフィス。コートどこ? クローク?」
「いってら、御厨」
「え、高橋さんは来ないんですか?」
「俺この後、別アポあるもん。神力さんとただで話せるなんてなかなかないぞ〜。貴重な時間を最大限活かしなさい」
なんとも強引な展開で、私は初対面のオネェ?!陰陽師の神力さんに連れられてどこかへ行くはめになった。
タクシーに乗って移動した先は六本木にある高級マンションのひとつだった。
神力さんがコンシェルジュに軽やかに「ただいまー!」と挨拶し、ふたつのオートロックゲートを通り抜け、エレベーターに乗って高層階まで上がって入った部屋は、想像していたよりも小さかった。
「1kで十分なのよー」
私の思いを読み取って神力さんはニコニコとそう言った。
え、これ1Kなの?
1kの概念が覆された。
不思議。
建物の外観や共有スペースの雰囲気やセキュリティから、これから向かう部屋は、リビングがとても広い3LDK以上を勝手にイメージしていた。ところがそうではなかったので、ここがとても狭く感じられた。
でもこれが「1k」だと聞くと、途端に広く感じる。
私の知っている1kのキッチンは、玄関を開けたらもうすぐそこに小さな電気コンロとシンクがくっつくように設置されていて、キッチンというよりは廊下といった方がいいようなところばかり。
ここは、玄関を入ったらちゃんとホールもあるし、その右側の開いた引き戸の向こうには、大きな冷蔵庫と食器棚が並んだ広めのキッチンが見えていた。
ホールの先にある主室には、ゆったりした3人掛けソファが一つと、体の大きな男性も余裕で座れる1人掛けソファが二つ。さらにその向こうには威厳たっぷりのワーキングデスクとチェアが東京の街を背にして設置されている。
十分に、広い。
狭いと感じたり広いと感じたり。
自分の過去の記憶との比較で、自動的に何でも勝手に判断してるんだな、私。
「座ってー」
神力さんは1人がけのソファのひとつを指して言いながら、赤いコートを壁に組み込まれたクローゼットの中にしまった。
私は自分のコートをぬいで膝にかけた。ミニスカートで相手の位置によっては下着が見える気がしたから。神力さんが私のコートをあずからなかったのはこれをわかっていたからかもしれない。
「あなた、タイミングいいわ〜。これからチャンピオンになり損なった男が私と話に来るんだけど、あなたの知りたい答え、きっと彼が話すわ」
「え、私いていいんですか?」
「ばかなこと聞く子ねー!ダメだったら連れてこないわよ。黙ってそこに座って勝手に話聞いててね」
ほんとだ。
バカな質問だ。
思わずクスッと笑いが漏れた。
それから少しして「チャンピオンになり損なった男」はやって来た。
筋肉のがっしりついた鋭い目つきの大柄な男性が来るのかと思っていたのに、現れたのはかなり細身で色白のひょろっとしたメガネをかけた男性だった。
よ、弱そう。チャンピオンどころか、一勝すらできなさそう・・・。
懲りもせず、過去の記憶のデータベースから勝手な判断を繰り返している私。
「カイ君、こちら御厨さん。諸事情によりここにいるけど、気にしないで話したいことを話してね。守秘義務はこの子もしっかり守りまーす」
「おけです」
こういう風に見知らぬ人間が同席するのもよくあることなのか、神力さんをよほど信頼しているのか、私の存在に対する抵抗も関心もあまり示さず、カイさんは軽くうなずいた。細身の体とは裏腹に芯のある響く声なのが意外だった。
「それにしても顔色、悪いわよ〜」
「いや、だって、もう、自分が許せなくって・・・」
カイさんは膝に置いた拳をぐっと握りしめた。
話から、彼は「ゲーマー」なのがわかった。それもかなり強い。
あるゲームでは全国大会で圧倒的1位を維持。世界大会に日本代表として出場もしているものの、世界の壁は大きく一回戦で敗退が続いていた。
ところが、前々回の世界大会で、ついにベスト4に残った。もし、準決勝で万年チャンピオンと当たらなければ、決勝進出も間違いなかった実力だそうだ。
そしてつい先月行われた最新の世界大会。
カイさんは万年チャンピオンとは別のグループになり、見事に自分のグループリーグで1位を獲得。決勝の舞台で再びチャンピオンの彼と相対することになった。
「で、逃げちゃったんだ」
神力さんは笑いもせず怒った顔でもなく、そう・・・無表情でそう言った。事実をただ事実として話す、そういう印象だ。
「はい・・・」
カイさんはまたぐっと拳を握りしめた。
「話したいだけ話していいのよ」
神力さんに促され、カイさんはぎりっと歯ぎしりをした後、一気に語り始めた。
「俺、今回は特に、相手の手が嘘みたいによく見えた。きっと必ずこうくるっていうのが、全対戦相手に対してクリアに見えた。これまでの鍛錬と集中が効いている感じもあって、それは、チャンピオンが相手でも同じでした。
だから【どうすればワンチャン勝てるか】もはっきり見えていた。
相手は数字的に圧倒的に格上なんです。だから、まっこうから当たれば負ける。でも、正しく戦略をたて、それがうまくヒットすれば、勝てる可能性はあった。
俺はそれをやってみたかった。
けど・・・やんなかった。正攻法で当たって、ぼろ負けです」
「なんで、やってみたかったのにやらなかったの?」
「それが・・・自分でもわかんないんです。失敗したら目も当てられないひどい負け方をする。それでも、あの作戦でやってみたらよかったんです。やっぱり負けたとしても、ああこれでもダメだったのか、ということがわかる。相手の強さに関してまたデータもとれる。新しい戦法でチャレンジすることに、何もマイナスなんてないのに、なんでか、今までの自分の延長の先にあるマックスで勝負しちゃったんです」
「相手に勝ったら悪いなっていうのもあったでしょ?」
「神力先生、するどすぎっす。・・・はい、ありました。向こうは万年チャンピオンだし、賞金で家族も養ってるし、俺と違って国を背負ってるようなところあって。数字的にあんなに俺より格上で、それで俺に負けたら立場がないな、とも思いました。しかも、俺の作戦は一回しかききません。今回勝っても、次回はもうその手は使えない。つまりは、本当に格上なのはあっち。勝つなら、正攻法で何をやっても俺が勝ちっていう風に勝つべきだとも思ったけど・・・」
「言い訳ねぇ。戦略を読み合うゲームでしょ? 格下でも勝てる要素がそこにあるから面白いんじゃない」
「ですよね。俺、結果が出た後、なんで勝負しなかったんだろうってすっごく悔しくて・・・・」
「だって、前回の準々決勝も、まったく同じパターンで彼に負けてたわよねぇ。だから今回は相手がより読みやすいし、仕掛けるんだと期待してたのよ」
「・・・」
「リベンジ誓って今回の世界大会でしょ? 今度はリーグもわかれて、決勝戦で彼とまた会えるっていう最高の運も味方にしておいて、土壇場で逃げちゃったわけかぁ。勝てたかもしれない試合を、まあ、放棄したような感じになったのが自分で嫌なの?」
「・・・俺、負けても準優勝なんです。それで、日本のプレイヤーにすごく祝福されたんです。初の快挙だって。俺に憧れてたって教えてくれた人や、目標にしてるって言ってくれた人や、すごく夢がある、日常のことを頑張れるって言ってくれた人もいて・・・」
ここまで言って、カイさんの細い目に涙が浮かんだように感じた。
「俺、準優勝でもいいって思ってました。十分快挙だって。あの人からチャンピオンの座を奪わなくても、俺はもう十分、褒め称えられる。もし、俺がチャンピオンになっちゃったら、あの人の立場がないなぁって。
けど、間違ってた。それは相手にも失礼だった。
日本のファンは準優勝でも喜んでくれたけど、もしかしたら優勝までいくんじゃないかって思ってた人もいたはずです。それを実現した方がもっと夢も勇気も与えられた。
俺は、相手の戦略が見えていて、それに対抗する作戦も持っていた。のに、勝負に出なかった、そんな俺を応援してた人がいたと思ったら、申し訳なくて、自分が情けなくて・・・。負けても、徹底的に戦って、それで負けて準優勝の俺の姿の方が、与えるものが大きかった」
「じ、次回、また頑張ればいいんじゃないですかっ?」
黙って聞いていてねと言われていたのに思わず、私は心の声を口に出してしまっていた。
神力さんは唇に人さし指をあてて「しー」のポーズをしながら言った。
「次回なんて、ないわよねぇ、カイ君」
「はい」
カイさんはうなずいた。
「次回なんて言葉が出てくるのは、時間が止まってるやつなんですよ。対戦相手達だって、日々、色々工夫もして成長するし、ゲームのルールが変更されたりアップデートされることなんて頻繁。ゲームの外側の世界だって動いてる。好機はその時にしかないし、もし、同じチャンスがまた訪れたとしても、結果を出せるのは『その時』であって、『今』じゃない。そのぶん、遅れていく」
「でも、その好機を逃しちゃったのね。自分でわかってるだけに余計につらいわねぇ。・・・まあ、星回り的にはブレやすい時期なのよ、カイ君。だからそういうことを理解して対策をちゃんととらないとね。あなたが自分で自分を律しきれるのが理想だけど、そうもできない時さぁ、どんな人が周りにいるかって重要よ」
神力さんは何か知っているというような意味深な笑みを浮かべた。
カイさんも軽く笑みを浮かべてため息をついた。
「また、嫁の話っすか?」
神力さんはうんうんと頷いた。
しばらくカイさんは何かに思いを馳せて口を閉ざしていた。
やがて、はああっとため息をついた。
「決勝前に、嫁にぼやいたんです。『チャンピオン、データ調べたら当たり前だけど前回より格段に強くなってて、半端ない。100%俺が負けそうだ』って。そしたら、あいつは『私はカイ君が準優勝でもすごく嬉しいし誇らしい』って言ったんです。
俺、勝手だけど、どうしても思ってしまう。あの時、『ここまで来て何を言ってるんだ。優勝しか許さない』って言って欲しかったなぁと」
「言ったって、どうせあなたは『素人にはわからない』とかなんとか言ったんじゃないのー?」
「はは、言ったでしょうね。バカだから、俺」
「その時は自分がバカだってことも忘れて、奥さんの方がバカだみたいな態度でね」
「・・・ですねぇ」
「そんな人じゃあ、言いにくいわよねぇ。でもまぁ、それでも椅子に縛り付けてゲーム機持たせて『負けたらぶっ殺す』って本気で断言して、監禁するくらいの人がいたらよかったわね」
それから色々話してカイさんは帰って行った。
私の中には「『優勝しか許さない』と言って欲しかった」という言葉がずっと残っていた。
「さあ、あなたの番よ」
神力さんは3人がけのソファに移動するとおいでおいでをして、自分の右隣の位置をぽんぽんと叩いた。
私はちょっとドキドキしながら神力さんの隣に腰をおろした。
あ、男の人なのに肌のきめが細かい。
間近で見る「彼女」の肌のなめらかさに思わず視線がいった。ふと、日常、とても丁寧に自分自身の肌をいたわりケアする神力さんの姿が想像できた。
「ねえ、御厨ちゃん、カイ君に足りなかったものは、ふたつあるの。わかった?」
「ひとつは、絶対勝つという意思ですか?」
「う〜んまあそうだけど、それを持てないレベルの彼が次のステージへ行く為に、ふたつ足りないものがあったのよ。
ひとつは、多くの人が持とうとしないけど絶対に持った方がいいもの。
ひとつは、多くの人にとって痛いものだけど、やっぱり絶対に持った方がいいもの」
それを聞いて、ふと、先生の顔が頭に浮かんだ。
先生は、そのどちらも持っているという確信があった。