子育てを少し手伝ったくらいで、悟ったかのような口を聞く僕
よく一歳の子供を連れて、お出かけに出かけると、通りすがりのおばあさんに必ず言われることがある。
『かわいいねー。この時期はあっという間に過ぎるわよ。もっと楽しんでおけばよかった。小さい頃は忙しすぎたから、もっと育児を楽しばよかった。』
と言われる。決して、後悔したような顔ではなく、ニコニコしながら、おっしゃられる。
僕は、そういう含蓄のある言葉を聞くと、
真に受けて、父なりに子育てを楽しもうと考える。
さて、
育児を楽しむとはどういうことなのか?
そう考えていた時に、子供がお腹の上で寝た。
とても可愛く、愛らしい。
そして、温かい。
そして、ふと思った。
この生温かさこそが幸せではないかと。
そうだ!幸せとはこの温度感なのだ!と。
そのことを嫁に話すと
『私はいつもこうしているし、重くて暑いよ』とぶっきらぼうに返された。
日常と非日常の境界線が見えた気がした。
男が中途半端な育児論を語ると
大抵ママたちの返り討ちに合う。
これでいいのだ!
ただ、
人は温度感を感じたい生き物だ。
物理的にも精神的にも。
例えば、
温かい食事とお風呂はみんな好きだ。
言葉にも温度感や重みという表現がある。
文書にも温度感を感じる。
人を表現するにも、
熱い人、温かい人、冷たい人、
ウェットな人、ドライな人と
湿度管理までされている。
良いサービスは、大抵温かい。
一方、温かさは
放っておくと冷める。物理的にも精神的にも。
保温するのは努力が必要だと思う。
家族との温度感
お客さんとの温度感
友達との温度感
すべての人間関係をホットに保つことは難しい。
今大切にしたい人を大切にするのがよいかもしれない。
子供と親という関係性は
結構、温度感が高い。
ただ、子供が生まれると夫婦間の温度管理は、繊細さが必要になると感じている。
高齢者の遺産相続の相談に乗っている先輩から聞いた話だが、亡くなった旦那の愚痴で多いのが、『子供が小さいときに子育てを手伝ってくれなかった』というものらしい。
つまり、この時期の妻の恨みは、死後まで持ち越すらしい。
あな恐ろしや。
温度感ゲキ下がりポイントらしい。
なるほど、仕事で忙しいからとかまけてはいけない。
「育児は二人でやって当然」のスタンスにならないと、100年時代の夫婦生活はサステナブル(持続可能)にならないだろう。
温度感を保ち続けることは、お互いの話し合いと温度を保つ努力が必要なのかもしれない。
だから、僕の場合、大阪出張の時は、新大阪駅の堂島ロールを買って帰る。甘いもの戦略は、夫婦の温度感も保つ上で馬鹿にできない。
しかし、ケーキの件は、本来、ここで言わない方が美しい。でも、言っちゃう。
これでいいのだ。
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