「頑張ればできる」は、時に悪手であるということ
何か問題を抱えており、その解決方法が複数浮かんでいる中で、人は時に「頑張ればできる」といういわゆる根性論を選択することがある。
もちろんその選択によって問題を解決できるのであれば間違いではない。がしかし、選択肢の中では悪手寄りの選択ではないだろうか?
自分でやったら1時間かかることも、ある人にお願いすれば5分で終わる。だったら、その人が1時間かかることの中で、自分なら5分でやれることを代わりにやってあげればいい。Give and Takeの精神だ。
と簡単に言ってはみるものの、実際はそうもいかず「頑張ればできる」は往々にして選択される。その原因は何だろうか?
1つは遠慮。「忙しいだろうから…」「こんなことを相談するなんて…」と、自分の中で結論づけてしまうこと。わかる、すごくわかる。自分もこの考えを捨てられず、「頑張ればできる」を選択し続けてきた。
この悪手から脱却できたのは、相談する側から相談される側になってからな気がする。所属組織の目線で考えたときに、「遠慮せずに相談してほしい」と本心で思えるようになっていた。
もう1つは無知。「そんなやり方があるなんて知らなかった」パターンだ。人間は自分が知り得る世界の中でしか発想を膨らませられない。だから、問題解決方法が見つからないと「頑張ればできる」を選択してしまう。
無知を認めた上で、「絶対何か良い方法がある」という発想を捨てないことが大事。解決方法を見つけるのに時間を要したとしても、最終的には効率化されていたり、自分の世界を広げるきっかけにもなる。
社会人7年目。知識をひけらかすのではなく、必要な人に分け与え、その人にとっての最善手を提示できる人間になる。