優越感を越え、劣等感を愛せ
「フォレスト・ガンプ」
言わずと知れた洋画屈指の不朽の名作。フォレスト・ガンプ。
監督ロバート・ゼメキス、主演トム・ハンクス。
1994年公開のアメリカ映画である。
プライムビデオでの紹介は以下のようなものとなっている。
“人生は食べてみなければわからない、チョコレートの箱と同じ”―――アメリカの激動する歴史を駆け抜けた、トム・ハンクス演じる青年フォレストの青春を暖かい感動で描いて、アカデミー賞(R)作品賞ほか6部門を独占した映画史に残る名作。
まさにトム・ハンクス演じる青年フォレストの青春を暖かい感動で描いた作品、、、
ではない。
断じてこれは感動を描いた青春劇ではない。
これは、フォレスト・ガンプという一人の人間が生涯を通して抱いた”劣等感”をとことん描いた作品だ。
暖かな感動などない。
描いたのはフォレスト自身の強烈な劣等感との闘いである。
その劣等感のはじまりは幼い頃からだ。
幼少期から知能指数がやや低いフォレストはクラスメートからいじめを受ける。
心の拠り所は、愛する母と、クラスメートで唯一の仲だったジェニーの二人だけだった。
そんなフォレストであるが、俊足という武器(フォレスト自身は武器と認識はしていなかっただろう)を活かしてフットボールで一躍有名に。さらにアメリカ陸軍入隊、そして大統領からの名誉勲章まで授かる大活躍を果たす。
誰もが羨むこれほどの功績を残したフォレストであったが、当の本人に優越感はない。
フットボールで全米代表選手に選ばれたときも、陸軍で賞されたときも、ビジネスで巨万の富を得たときでさえ、彼には優越感はなかった。
彼の心は、いつも母への愛とジェニーへの恋によって埋め尽くされていた。
しかしジェニーとの恋はなかなか思うようにはいかない。
触れたくても触れることを恐れてしまう。そんなフォレストの臆病さは劣等感からきているのだろうか。
劣等感から解き放たれる瞬間がある。それはフォレストを走りへと駆り立てる。
ただただ走る。どこまでも走る。
思うがままに、赴くままに。
彼の走る姿をみていると無心にかえる。
フォレストも無心だったのだろう。
その走りには優越感も劣等感もなかった。ただそこには”無”があった。
人は優劣をつけたがる。
たくさんの優をみつけてそれに浸り安心したいのかもしれない。
しかしフォレストには劣等感を感じることはあっても決して優越感に浸ることはなかった。
ここにフォレスト・ガンプという人物のすべてが詰まっている。
彼にとって優越感など要らない存在なのだ。
そこにフォレスト・ガンプの心の深さと広がりを感じる。
彼の優しさは劣等感からくる。
劣等感を愛することが弱さを肯定することに繋がるのではないか。
とことん劣に浸っていこうと思う。