男の約束
「男の約束やぞ、こうへい」といって会う度にお駄賃をくれた親戚のおじさんと最期の別れをしてきた。
明るくユーモアがあり、大胆な男だった。
孫のように接してくれて、でも孫とはまた違う関係がとても居心地がよかった。
親戚だけど血は繋がってなかった。
小さい頃は血縁関係なんて考えたことなかったが、今考えたところでそんなのどうだっていい。
見えないものに縛られているみたいで嫌だ。本当のつながりはもっと心に近いところにあるのだと思う。
お坊さんも目を閉じて心で見よ、と言っていた。
コロナでたくさんの人が集まれたわけではなかった。それでも集まった人ひとりひとりに強い意気を感じた。生きる意気があった。
とかく僕たちは、いずれ必ず死が訪れることを忘れがちだ。誰かの死に直面する度に、避けることのできない途轍もなく大きな現実を突きつけられ、呆然とする。
しかし、死こそが僕たちに生きる意味を、価値を、勇気を与えてくれるのかもしれない。
おばちゃんからそんな決意のようなものを感じた。
78歳の誕生日を迎えた数日後のことだったらしい。
当日の朝には、持っている株を全て売れと指示したそうだ。全てをやり切っていった、とおばちゃんは話した。かっこいい生き様だ。
今となっては男の約束が何だったのかは忘れてしまった。
とにかく僕は「男の約束」がしたくて会うのが楽しみだった。
男の約束。
今度は僕の方から、男の約束を言い渡そうと思う。
ありがとう。
写真は今朝の東京の空。別れの日にしてはやや凛々しすぎやしませんかね、おてんとさん。
またいつか。この晴れ渡った空の上で。