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【誰かに「今」を話をすることすらあきらめていた時代のこと。本当に話せない時は話せないと思う#restartストーリー 27】
「言えない時は言えない」
「言葉に出ない」
あきらめではなくて、自分ではないことに対してこれ以上の話は中々しづらいです。
それぐらい「個」というのものは尊い存在だと思っています。
話せない時期のこと。
最初は13・14歳ぐらいから20歳ころ。
その後も大学・大学院・仕事をしても何度か3ヶ月から半年ぐらい誰とも話をしたくない時期がありました。
10代の頃は学校へ行っていないことへの後ろめたさ。
そして、誰にも共感されないとの思い。
非常に繊細で、ちょっとしたことでも気になってしまう時代でした。
「間違い」とか「否定」とか恐れや怖さがまず前面に来ていました。
20代になると同級生や周りとの比較。
それこそ弱みを見せることがまったく選択肢としてありませんでした。
そんな中で、弱って行くとそれを察知した友人・知人からも連絡が来るようになりました。
メールで「大丈夫?元気?」
と来る。
電話がかかってきて、留守番電話も入る。
何かの督促よりも、画面に通知で浮かぶその番号と名前を見て、思わず布団の中に携帯を隠したこともあります。
ほぼ、閉ざしている時に何がその人の灯になるのか。
僕の場合は食べ物だったかもしれません。
それぐらいしか楽しみを見出せるものがありませんでした。
きっと、今ならネットであったりオンラインの社会があり、そこでのつながりから自分自身を見出せるのかもしれません。
ただ、顔が見えないことや簡単に傷つけあう流れがあるとするならば、自分自身の状態もまた大切です。
「誰かに話をしたかったな」
「でも、話せる人はいなかった」
きっと、誰もいなかったのではなく、話すことへの信頼が落ちるぐらいに自分自身に自信を失っていました。
お話を聞かせていただくのも上から目線だと簡単にわかってしまいます。
また、何かしらのコントロールや持って行きたいゴールを勝手に受け取ってしまうとそれだけで気持ちを閉じ込めてしまうかもしれません。
昔であれば銭湯があってとか、「近所の兄ちゃんと遊んで」とか他人かもしれないけれど、色んな大人や先輩の背中が見える時代が過去にはあったかもしれません。
門戸は開いていてもそこに入ることすらあきらめている人もいるということなのかと感じます。
それも受け取って、「次」を一人ひとりができることとしてやっていければいいのかと思います。
「待つ」
「信じる」
もしかすると抽象的に聞こえるかもしれませんが、ぎりぎりのところにいると、その存在を感じられた時、心にあたたかな何かが届くかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。