見出し画像

【KoKoKaRa #6】 3人制プロバスケットボールプレイヤー DIOREX TOKYO 三上 羅央選手



三上 羅央さんの経歴

三上 羅央
1997年7月2日 生まれ
青森県弘前市出身
身長:172cm
体重:80kg
MBTI 幹部

  • 小学校 5年生の時に本格的にバスケに目覚め、青森県の津軽中学校(バスケット全国出場の強豪校)へ入学

  • 陸上自衛隊高等工科学校へ進学

  • バスケットへの情熱が再熱し、「青森ワッツネクスト」に入団
    (BリーグのB2に所属している青森ワッツのサテライトチーム)

  • 3x3プロバスケットボールチーム「江東フェニックス」から3x3のキャリアがスタートし「esDGz OTAKI.EXE」を経て現在は「DIOREX TOKYO」で活躍中

  • Instagramのフォロワー数は13,000人!



バスケットを始めたきっかけ

ーそれでは、まずは三上選手の経歴から伺いたいと思います。バスケットを始めたきっかけは何だったのでしょうか?ー

小学校4年生の頃、友達に誘われたのがきっかけですね。当時、福島に住んでいて、父親が自衛官だったこともあって、何度か引っ越しを経験しましたが、その中でバスケットにハマりました。小学校では水泳もやっていたんですけど、最終的にはバスケット一本に絞りました。

ーバスケット一本に絞ったのは小学校のいつ頃ですか?ー

当時は水泳も習っていたのですが、バスケットに夢中になりだしたのは小学校5年生ぐらいですかね。それから中学1年の夏に青森に引っ越してきました。青森の津軽中学校は全国常連の強豪校で、バスケットのレベルが全然違って、最初は練習についていくのがやっとでしたね。

ーその環境はかなり厳しかったんですね。ー

そうですね。ユニフォームをもらうまでが大変で、試合にはほとんど出られなかったです。中学校2年生でようやくユニフォームをもらいましたが、点差が開いた時に試合にでられるみたいな3軍のような感じでした。中学3年生では6番手から8番手くらいで、チームは全国大会常連だったのに、自分はあまり目立ったプレイヤーではありませんでした。

自衛隊への道と葛藤

ーそして高校は、バスケの強豪校などではなく、自衛隊の学校に進学しました。これはどんな経緯だったのでしょうか?ー

本当はバスケの強豪校に行きたかったんですが、特待生や推薦もなく、家計的にも厳しかったので、自衛隊の学校を選びました。父が自衛官というのもありなんとなくですが、自衛官のイメージも出来ていました。
そこでは給料をもらいながら自衛官として勉強することができたので、弟と妹のために仕送りをするという選択肢を選んだんです。

ー弟さんと妹さんのために自衛官しながら仕送りをしていたんですね。それはなかなかできないことです。ー

その頃は、弟や妹がバスケットを続けられることが自分のモチベーションになってました。家計を支えるためにバスケットを一時的に諦めることはありましたが、バスケを続けることへの未練はずっと心の中にありました。

バスケットボールへの情熱が再熱

ーその後、自衛隊でのキャリアを進める中で、再びバスケットへの情熱が燃え上がったタイミングがあったんですね。どんなきっかけで再びバスケットを始めようと思ったんですかー

弟と妹が高校を卒業して、自分の時間ができた時、自然と「自分のやりたいことをやってもいいんじゃないか」と思うようになりました。そして、久しぶりにバスケをやってみたら、やっぱりバスケットボールの楽しさが忘れられなかったんです。
その結果、自衛隊を辞めてバスケットにフルコミットする決断をしました。

ー思い切った決断ですね。バスケットに再挑戦するためにどんなステップを踏んだのですか?ー

まずは青森に戻って、地元のクラブチーム「青森ワッツネクスト」(Bリーグ、B2に所属チームの下部組織)のトライアウトを受けて受かったのでそこから1年間、バスケットに集中できる環境を作りながらプロバスケ選手を目指す生活をしました。

プロへの挑戦から3x3でのキャリアスタート

ープロを目指す過程で、バスケットボールへの思いはどう変わりましたか?ー

最初は正直、だらだらと続けていてもプロにはなれないなって思いました。だから、1年でプロの試験を受けて、合格したらバスケを続ける。合格しなかったら、バスケは辞めようって決めたんです。その時、3x3のトライアウトも残っていて、最終的にはBリーグへ挑戦するため色々なチームへ書類を送りましたが書類選考落ちでした。
結果、江東フェニックスという3x3のチームに合格して、バスケキャリアを続けることができました。

ーそれが関東に戻ってくるきっかけだったんですね。esDGz OTAKI.EXEに入った経緯は?ー

esDGz OTAKI.EXEもトライアウトで入りました。チームの特徴として、農業をしながらバスケができる環境があり、正直かなり恵まれているなと感じていました。
仕事とバスケ練習のバランスが取れ、体の負担も少なかったです。
自分の時間も確保できたので、他のトレーニングにも力を入れることができました。

ー SNSでのフォロワー数も急増しましたね。きっかけは何だったんですかー

チームに入ってから半年後くらいです。中学時代の先輩、寺嶋 恭之介(現 青森ワッツ所属)さんが、「今はSNSが重要だから、もっと発信した方がいい」とアドバイスをくれました。そのタイミングでジャンプの動画を上げ始めました。
当時、ジャンプする低身長プレイヤーは少なかったので、すぐにバズったんです。

ー その後、独自のブランドも立ち上げましたね!ー

 そんな大層なものではないですが、グッズを作りました。ファンが自分のアイテムを身につけてくれるのは嬉しいですし、これもまた一つの形で自分を応援してもらえるのがありがたいです。



現在~将来へのキャリアビジョン

ーesDGz OTAKIでのキャリアを終えて、現在はどのような活動をしていますか?ー

バスケスクールのコーチをしています。
スクールは平日週5回、船橋や成田などで開催しています。
それ以外の時間は、自分のバスケ練習やトレーニングをして過ごしています。
3人制バスケットボールチームのDIOREX TOKYOでもプレーしていますが、今はスクールの活動がメインです。

ー 将来的にスクール以外の活動にも挑戦したいと考えていますか?ー

 はい、個人レッスンやパーソナルトレーニングにも興味があります。
ジャンプトレーニングやバスケのスキルアップを個別でサポートすることは、スケジュール的にも柔軟に対応できると思いますし、やりがいも感じます。

 ー最後に、これからのキャリアについてお聞きしたいのですが、バスケット以外で何か挑戦したいことや、未来のビジョンはありますか?ー

 体が動く限り、バスケットを続けたいです。死ぬまでバスケをしていたいですね。それが僕の人生の大きな目標です。なので今はバスケットに集中していきたいですが、引退後はやはりキャリアや次のステージをしっかりと考えたいです。特に、バスケ以外の活動やコミュニティへの貢献にも興味があります。これから自分自身をもっと成長させていくつもりです。

ー本日は、三上選手のこれまでの道のりと未来について、たくさんのお話をありがとうございました。
引き続き、バスケットとその後のキャリアでも応援しています!ー

インタビューを終えて

今回のインタビューを通して、三上選手の熱い思いやバスケットボールへの真剣な姿勢がすごく伝わってきました。
特に、プロチームとの契約を目指して努力を重ねる姿勢や、もし結果が出なかったら引退を考えるという覚悟には、強い決意を感じました。挑戦し続けることの大切さを改めて感じさせられました。

また、SNSを活用して自分を発信し、それを活かしてきたという話はとても興味深かったです。今の時代、自己プロモーションがどれだけ重要か、改めて実感しました。
ファンとのつながりを大切にしながら、自分の魅力を広めていく姿勢は、他の選手にとっても良いお手本になるなと感じました

さらに、今後のキャリアとしてスクールや個人レッスンを続けながら、新しいことにチャレンジし続ける姿には前向きなエネルギーを感じました。三上選手の今後の活躍が楽しみです!
これからもKoKoKaRaは三上選手の活動を全力で応援していきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?