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【KoKoKaRa#15】ラグビープレイヤー延田朋樹選手

今回、ご紹介させていただくアスリートはジャパンラグビーリーグワンDIVISION3に所属しているラグビーチーム【ルリーロ福岡】の延田朋樹選手です。

延田朋樹さん
生年月日 1996年10月28日 28歳
出身地 大阪府大阪市
MBTI ENTP(討論者)
身長 170㎝
体重 100㎏



ラグビーとの出会いとはじまり

ラグビーを始めたのは中学校からでした。
中学校1年間は柔道部でした。
僕は真面目にやりたかったんですが、先輩が全然練習に来ませんでした..。
さらに、小学校か幼稚園からずっと柔道をやっていた同級生の子がいたんですが、ずっとその子のサンドバックみたいな感じになっていて、どうしても勝てなかったんです。
面白くないなと思っていました。
仲良くさせてもらっていたラグビー部の先生に「ラグビー部来い!」って誘ってもらっていたのもあり、「もう柔道はやめよう」と決めてラグビー部に入ったのがラグビーを始めたきっかけですね!

ー中学校からラグビー部があるって珍しいですね!ー
大阪市に関しては珍しいことではないんです!
結構多いです!全国で考えたら中学校にラグビー部があるのは珍しいことだと思います!

ー柔道とラグビー以外のスポーツには興味はなかったんですか?ー
興味がなかったというか、小学校のときとかはスポーツができなかったんです。
スポーツとかって保護者の送迎とか当番みたいなものがあるじゃないですか?
うちの母親はそういったことに対応できないので中学校になるまではずっとスポーツはできない環境でしたね!なので小学生の時は肥満体でした。笑

色々なご縁で続いていくラグビー人生

ー高校はラグビーを軸に進学を決められましたか?ー
中学校の先生に勧められて推薦で高校は金光藤蔭高等学校に進学しました。
ラグビー以外のスポーツが有名です。笑
ラグビー部以外は全校や近畿大会などにも出場したりしていました。
ラグビーは当時でまだできて23〜24年くらいの新しいほうですね!

ー高校時代はプロを目指していましたか?ー
いいえ、ラグビーを続けていくつもりは全然なかったですね!

ーそうなんですね!他に将来の夢とかあったんですか?ー
居酒屋の店長になろうと思ってました!飲食業が結構好きなんですよね!
昔書いた「20歳の自分に向けて」みたいな作品にも「店長になる」って書いていた記憶がありますね!

ー高校3年間はラグビーにどっぷりだったんですね!ー
あとはラグビーしながら焼き鳥屋さんでもバイトしてました!
週末だけだったんですがすごく理解のある店長さんでその方に人生の色々を教わりました!
その店長さんとの出会いは大きかったです!今でもお付き合いさせていただいています。

ー大学進学はどのように決められましたか?ー
大阪産業大学の経済学部に進学しました。
特にラグビーが強いというわけではないです。
高校の顧問の先生に「僕はもうラグビーはやりません」という話をした時に、「お前は教室で褒められたことが1回でもあるか?お前が褒められた時はグランドの上やろ!ラグビーはやっとけ!」って言われました。笑
それで大阪産業大学を紹介してもらいました。
推薦とかという形ではなく一般受験で入学して4年間ラグビーを続けました。

ー学生生活のラグビー人生で挫折とかありましたか?-
挫折か。。。挫折は特にないですね!
もともとすごくやる気があって強い学校に進んだというわけでもないので。。。
今の自分の実力では試合とかには出れるだろうという感じだったので、そうですね挫折はないですね。

ー大学卒業後はどうされましたか?ー
僕自身、ラグビーを続けられるなんて思っていなかったんです。
「どうしようかな〜」って思っていた時に、大学にラグビーを教えに来てくれていた元プロのコーチに「お前どうするんだ?社会人でやりたいのか?」って聞かれて「そうですね、できるならやりたいです。」って話をしたら「じゃあちょっと話してみるわ」っと言っていただき、リーグワンDIVISION2【日本製鉄釜石シーウェイブス】にとっていただきました。
なので日本製鉄のグループ会社の本社に採用していただきました。

これも人生の起点で、そのコーチには大変お世話になりました。
釜石では3年間お世話になりました。

そして海外へ

ー釜石での3年間の後はどうされたんですか?ー
釜石で3年間プレイしてコロナが流行したことをきっかけに、ニュージーランド→オーストリアと海外に行きました。

ー大きな環境の変化ですね、きっかけは何だったんですか?ー
コロナが流行して、規制が色々厳しくて軟禁状態になった時に
何してるんだ?ずっと家にいるだけだし。。。
このままでは何も経験できないなと思いました。
あとは外国の方と仲良くなったんです。
その方はその当時25歳になる歳だったんですけど、プロ選手として雇われていたんです。なので「来年どうするの?チーム決まらなかったらどうするの?」という会話をした時に「もう1回勉強しようと思ってる。」って答えたんです。
日本人の感覚でいうと25歳って割と落ち着く歳みたいな感覚があるじゃないですか。ラグビーやらないなら仕事ついて〜みたいな感覚だと思うんですよね。
「え?勉強?」って思って、すごく面白いなと思ったんです。
国が違うと感覚がこんなに違うんだな、と海外に興味をもっていうのと、コロナが流行っていたのもあって思いつきて「よし、行ってやろう!」っていうのがきっかけです。笑

ー行ってやろうで行ける行動力がすごいです!笑 反対とかなかったですか?ー
めちゃめちゃされましたね。コーチにも反対されましたし、監督にも「無謀だからやめろ」って言われましたね。
両親にも一切言わず、自分で決めて自分でお金なども準備していたので両親が知った時にめちゃめちゃ怒られました。
日本製鉄というしっかりした企業で就職できて親としては子育て終わったー!っていう感じだったんですよね、僕が末っ子なのもあって。それがまたちょっと心配事がーという感じでしたね!

ーどうしてニュージーランド、オーストラリアなんですか?ー
はなからニュージーランドは2年間と決めていました。
ニュージーランドはやっぱりラグビーの国ということもあるのでラグビーをやっている身としては行っておきたかったです!
あとは南半球のラグビースタイルから強さの秘訣を学びたいっていうのがありました。


さらに高みへ

そして現在はルリーロ福岡でプレイしています。
海外行くときに日本のリーグに進む道も考えたのですが海外は若い時にしか行けないなと思いました。海外に2年程行って帰ってきたら28歳、まだまだチャンスはある年齢なのでその時に上のリーグにチャレンジしようと思っていて、今まさにチャレンジしているところです。プロになるために。
釜石時代は社員選手だったのでプロではありませんでした。
今のチームはディビジョン3で社員選手としてプレイしています。
ディビジョン1のプロを今は目指しています。

競技生活と仕事

本来ラグビー部って大きな企業がついていることがほとんどなのですが、今のチームは新しいチームなので大きい企業はついていないんです。
うちのチームは300近いスポンサー企業様に支えられていて、その中の病院の介護リハビリステーションで介護士として仕事させてもらっています。
練習19時~21時は練習があるので、帰って22時くらい。その後はストレッチをしたり、プレイのビデオを見返したりしているとあっという間に1日が終わりますね。

これから

ラグビーでいうと、来年プロにあがれるかわからない、やりたいと言ってできるものでもないので。もしそれが決まらないのであればもう1回海外に行って、プロを目指すことをやめて、お金を稼ぎながらプレイするということもできるんです。
それがラグビーやめてからにも繋がるんですが、そのまま海外に住みたいと思っています。
夢はそこでレストランとか居酒屋を運営して自分の村を作りたいですね。
海外って「インド人が多く住んでいる町」「韓国人が多く住んでいる町」とかあるんですけど「日本人が多く住んでいる町」って多くはないんですよね。なので僕はそこの村長になりたいと思います!
まずはレストランなど経営することで、そこに日本人の人を呼んで雇用ができればビザも出せるので、実績をつくっていこうと考えてます!
日本の飲食ってレベルも高いので、オーストラリア、ニュージーランドとかでやりたいなと思っています!

インタビューを終えて

インタビューありがとうございました!
延田さんはとにかく行動力がすごいなと思いました!
今の現状に満足することなくチャンレンジし続けている姿勢にリスペクトです!将来海外で飲食店開いたらKoKoKaRa社員旅行で遊びに行かせていただきます!

これからもKoKoKaRaは延田さんの今後の活動を全力で応援していきます。

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