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【KoKoKaRa#13】サッカーボールプレイヤー 三輪敦規選手

今回、ご紹介させていただくアスリートはデュアルキャリアアスリートとして、【滋賀県にJリーグを】という夢を滋賀県民の夢に!というスローガンを掲げてるサッカークラブ「ヴィアベンテン滋賀」のフォワードとして活躍する三輪選手。
三輪選手の歩んできた道には、数々の挑戦と転機がありました。その背景や想いを伺う中で、サッカーにかける情熱だけでなく、人としての成長を追い求める姿が浮かび上がってきました。



三輪敦規さん
生年月日:1992年7月9日
出身地:滋賀県東近江市
MBTI:ENFJ(主人公)
身長:173cm



サッカーとの出会い

ー本日はお時間をいただきありがとうございます!まずは、経歴について教えていただけますか?ー

「出身は滋賀県で、現在32歳です。サッカーとの出会いは小学2年生の時、スポーツ少年団に入ったのがきっかけでした。実は最初、兄が野球をやっていたので自分も野球をするつもりだったんですが、友達に誘われてサッカーを始めたんです。それが思いのほか楽しくて、一気に夢中になりました。」  

ーポジションはフォワードですが、最初からそのポジションだったのですか?ー

「いえ、最初はトップ下でプレーしていました。中田英寿選手のポジションです。でも、今のチームに入るタイミングでフォワードに転向しました。それ以来ずっとフォワードをやっていますね。」  

強豪校を選択しなかった理由

ー中学・高校時代もサッカー部に所属していたんですね。あえて強豪校へ進学する選択はしなかったと伺いました。ー

「そうなんです。強豪校の方が環境としては恵まれていたんですが、自分を試したい、挑戦したいと思って進学先は強豪校を選びませんでした。中学ではキャプテン、高校では副キャプテンを務めたことで、人をまとめたり、仲間と一緒に成長する喜びを知りました。その経験は今でも自分の土台になっています。」  

JFL(日本フットボールリーグ)の現実と新たな挑戦

ー高校卒業後、JFLのセレクションに合格されたそうですね。その後の経緯を教えてください。ー

「高校卒業後、『レイラック滋賀』(当時はMIOびわこ滋賀)というチームのセレクションに挑戦し、無事に合格しました。ただ、1年で解雇されました。JFLの現実を痛感しましたね。その後、派遣社員として半年間、働いて100万円を貯め、名古屋に移住しました。」  

ー名古屋ではどのような生活を送られていたのですか?ー

「たまたま友人と名古屋の遊びにいった時になぜか名古屋に惹かれて、その日に不動産屋に入り賃貸物件をその場で内見して契約しました(笑)
アパレルのアルバイトもしていました。その経験を通じて、多くの人と接し、コミュニケーション力や自己表現の大切さを学びました。この時間があったからこそ、今の自分があると思います。」  

デュアルキャリアという生き方

ーヴィアベンテン滋賀にはどのような経緯で所属することになったのですか?ー

「JFLを解雇されてからヴィアベンテン滋賀に所属するまで、約10年間の期間がありました。ただ、いつでもサッカーをできる準備はしていました。滋賀に所属するまでの10年間は本当に毎日、毎日走り続けていました。体力だけは落とさないようにしていました。
そして、滋賀に戻った後、ヴィアベンテン滋賀の設立の話を聞いて、これを最後のチャンスにしようと思いました。現在は製造業の会社員をしながら、週2回の練習や土日などの試合に取り組んでいます。」


ー仕事とサッカーを両立する「デュアルキャリア」の中で、大変なことはありますか?ー

「スケジュール管理が本当に一番大変です。サッカーだけではなく、生活もしていかなければならないので仕事とチーム練習や自主練習などのスケジュール管理が大変です。
でも、両方を頑張ることで得られる達成感や学びが、自分をより強くしてくれているなと感じるので大変ですが、挑戦し続けたいと思います!」

現在のチームや活動を通じて得たものとは?

「今のチームでは、応援してくれる方々との距離がすごく近いんです。社会人リーグならではの環境もあって、挑戦するたびに応援の力の大きさを実感しています。サッカーだけでは得られない感動や気づきも多く、それをまたピッチに持ち帰って生かしています。  
僕は、自分の活動が『夢を追い続けたけど叶わなかった子どもたち』にとって、一つの希望になればいいと思っています。“メッシにはなれなくても、三輪にはなれる”というメッセージを伝えたいんです。それは、必ずしもプレーのスキルだけではなく、気持ちや生き方を通じて見せられる部分だと思っています。」  

ー素晴らしい考え方です!“メッシにはなれなくても三輪にはなれる”という言葉、非常に印象的です!ー

「ありがとうございます。この言葉を通じて、どんな状況でも前を向いて挑戦する姿勢を伝えたいですね。“メッシにはなれなくても”というハッシュタグでメッセージを広げていけたら面白いかもしれません(笑)。挑戦する姿を見せ続けて、誰かの希望の星になれるよう、これからも進んでいきたいです。」  

たくさんのファンの方々に愛されている三輪選手

希望の星

ー希望の星になりたいという夢について教えてください!ー

僕の夢は“希望の星”になることです。でも、その希望の形は人それぞれで違いますし、何が希望になるかも分からない。だからこそ、まずは多くの人に僕の存在を知ってもらうことが大切だと思っています。  
すべては、僕を知ってもらうことから始まる。そう考えて、SNSにも力を入れて活動しています。僕はフォロワーのことを“夢仲間”と呼んでいるんですけど、その夢仲間をどんどん繋げていきたいという強い思いがあります。」  

ーSNS活動の意義や目標について詳しく教えてください。ー

「SNSを通じて、ただ告知をするだけではなく、応援を通じて夢を共有できる仲間を増やしていきたいんです。『応援よろしくお願いします』という形だけでなく、自分の活動や姿勢がメッセージとなるよう意識しています。  
誰かの心に響く言葉や行動を発信していく中で、僕自身の存在が希望の象徴として伝わるようになればいいなと思っています。そして、それがまた新たな夢を生み、仲間が増えていく。そんな循環を作りたいと思っています。」  

今後のビジョンについて

ー今後のビジョンについて教えてください。ー

「そうですね。漠然としているかもしれませんが、僕自身、いつまでプレイヤーを続けるかという点では、明確な期限は設けていません。『体が動く限り続ける』という考え方もありますが、僕の場合は少し違うんです。  
JFLで1年間活動してみて、レベルの高さを肌で感じました。そこで気づいたのは、プロとして競技の中で争い合うことが、本当に自分がやりたかったことではないんじゃないかということでした。
子どもの頃は『プロになりたい』と思っていましたが、実際に競技の世界に身を置いてみると、自分が本当に望んでいるのは、プレーを通じて誰かに勇気や希望を届けることなんだと強く感じたんです。  

その後、名古屋で会社員として働いたり、さまざまな経験を積む中で、プロになることがゴールではなく、『何かに本気で取り組む姿勢を見せることで誰かに影響を与えたい』という自分の思いが明確になりました。」  

ー今後、どのような活動を通じて夢を追いかけていきたいですか?ー

「まずは目の前の挑戦を一つひとつ大切にしていきます。その過程で得たものや感じたことを、発信や行動を通じて共有していきたい。  
希望の星になるという夢を追いかける中で、僕自身も進化し続けながら、周りの人たちに勇気や希望を届けられるよう努力していきます。」 

 

インタビューを終えて

三輪選手のこれまでのキャリアは、挑戦し続けることの大切さと本気で取り組む事のカッコよさを教えてくれるような気がします。
様々な逆境にも立ち向かい、自らの道を切り開いてきた三輪選手の姿は、サッカーだけでなく、人生そのものにおいても今後たくさんの人々に大きな勇気と希望を与えていく方なんだろうなと強く思いました。
インタビューしている最中も僕もなんか燃えてきてしまっていつもより熱が入ってしまいました(笑)
三児のパパとしても家庭で大活躍中の三輪選手!僕も子供がいるのでもっともっと熱く挑戦してもいこう!と勇気づけられました!
三輪選手、最幸です!

これからもKoKoKaRaは三輪選手の今後の活動を全力で応援していきます。
さーここから!まだまだここから!


KoKoKaRaの企業ロゴでもあるグータッチをやってくださっている三輪選手





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