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【KoKoKaRa#14】サッカーボールプレイヤー 寺内大登選手

今回、ご紹介させていただくアスリートは千葉県流山市を拠点とする「NAGAREYAMA F.C.」の寺内選手。寺内選手は、大学時代にサッカーを続ける意義を見直し、21歳で海外挑戦を決意した行動力のある選手です。現在は千葉県流山市を拠点とする「NAGAREYAMA F.C.」で選手兼広報として活躍し、クラブや地域社会の発展に尽力しています。彼のこれまでの軌跡を伺い、サッカーと向き合う姿勢、そして未来への思いに迫ります。



自己紹介

寺内大登さん
生年月日:1995年6月14日
出身地:埼玉県さいたま市
MBTI:主人公
身長 169㎝
体重 65kg

NAGAREYAMA FC 10番 寺内大登選手



サッカー経歴
FESTA FC → 浦和東高校 → 駿河台大学 → FC Victoria 08 Arnoldsweiler(ドイツ5部リーグ)→ FC BlauWeiß Friesdorf(ドイツ5部リーグ)→ FC Victoria Rosport(ルクセンブルク1部リーグ)→NAGAREYAMA F.C.(2022~

ーはじめまして。まずは自己紹介をお願いします!ー
 はじめまして、NAGAREYAMA F.C. 10番の寺内大登です!
幼い頃からサッカーに魅了され、大学時代には大きな挫折を経験しましたが、それが原動力となり21歳で海外挑戦を決意しました。今は千葉県流山市の【NAGAREYAMA F.C.】で選手兼広報として活動しながら、サッカーを通じて地域に貢献することを目指しています。」

サッカーとの出会いとこれまでの経歴

ーサッカーとの出会いやこれまでの経歴を教えてください。ー

「サッカーを始めたキッカケは、小さい頃から自然とサッカーボールが身近にあり、テレビで試合をみて「カッコいいな」と思い、地元のチームに加わりました。
常に自分の身体能力に頼ったプレーが中心でした。
中学時代はクラブチームに所属しましたが、ポジションを転々とし、途中出場が多い日々でした。高校では埼玉県の名門・浦和東高校に進学し、セレクションを突破しましたが、3年生になってから出場機会が減り始めました。浦和東高校では「理不尽・愚直・精進」この横断幕が掲げられていた、3年間は語りきれないほどの思い出が詰まった高校生活でした。」


プロになるという夢の再確認

ー 大学時代の経験はどうでしたかー

「 大学では駿河台大学に進学し、サッカー推薦で入学しました。しかし、3年生の時、残留入れ替え戦の大事な試合で「監督からの信頼を得れず」試合から外されました。
そのとき、自分のサッカー人生を見つめ直し・・・
「母親に恩返しをする。プロサッカー選手になる」という夢を再確認しました。そして21歳で「後悔したくない」という思いから海外挑戦を決意しました。」

海外挑戦へ決断

ー海外挑戦の決断は勇気がいったのでは?ー

「挑戦する」一択でした。ただ不安もあったと思います。でも、「このままくすぶって終わるのは絶対に嫌だ」という気持ちが勝りました。ドイツとルクセンブルクで計5年間プレーしました。初めは言葉の壁や文化の違い、そしてピッチ内でもかなり苦労しました。ある試合でチャンスをもらい得点をしチームメイトからの信頼を得て、チームメイトとコミュニケーションを取ることが楽しくなり、勉強を1日7時間ほど語学勉強をし、苦手だと思ってた勉強を克服し、文化にも触れ、この挑戦は間違いではなかったと思いました。
ドイツでは地域リーグ、ルクセンブルクでは1部リーグでプレーし、自分で道を切り開く力を養いました。その後、日本に帰国しました。」

現在の活動

ー 現在の活動について教えてください。ー

 今はNAGAREYAMA F.C.で選手兼広報を務めています。僕にとってサッカーは「プレーするだけではない」と思っています。広報活動やイベント企画を通じて地域とつながり、サッカーの魅力を伝えることにも全力を注いでいます。NAGAREYAMA F.C. は「街のインフラ」を掲げて活動する中で、イベントに300人以上の地域住民が集まるようになったり、流山市内各所から呼んでいただいたり、地域の方々とつながりが少しづつ深まっています。
また、平日はNAGAREYAMA F.C.と関係する会社の土木会社で勤務をしながら、夜は練習に参加しています。忙しいですが、充実感があります。「サッカーを通じて地域を変えたい」という思いが支えになっています。

ー地域貢献への熱い想いが伝わりますね!ー

 最近ではNAGAREYAMA F.C.のイベントにたくさんの地域住民の方が参加するなど、活動が広がっています。「流山に骨を埋める覚悟です」と言えるほど、流山は僕の第二の故郷です。
少しづつですが、「応援してます」や「ポスター色々な場所に貼ってあるね」と言ってもらえること。ここでサッカーの文化を根付かせ、夢溢れる子供たちがいて、沢山の企業が助け合い、NAGAREYAMA F.Cがいることによって地域がどんどん活性化していき「流山にサッカーあり」と言われるようにしたいです。そして、僕が応援してもらったように、次世代の子どもたちに「チャレンジし続ける大切さ」を伝えたいです。


試合中も熱い寺内選手



サッカー少年、少女にサイン求められている大人気の寺内選手

今後のビジョンとは?

ー今後の目標を教えてください。ー

僕の夢は、流山に「サッカー文化」を根付かせることです。
具体的には、2026年までに公園に多目的グラウンドを作り、地域の人々がいつでもサッカーを楽しめる環境を整えたいです。これは、ドイツで見た「どこにでもサッカーコートがある風景」にインスパイアされています。
また、NAGAREYAMA F.C.を全国に誇れるクラブにすることも目標です。そのためには、僕自身が選手としても広報担当としても成長し続ける必要があります。そして、挑戦し続ける姿を見せることで、「人はいつでも夢を追いかけられる」ということを証明したいです!


モデルしても活躍する寺内選手

読者の方へメッセージ

ー最後に、読者へのメッセージをお願いします!ー

「僕はサッカーを通じてたくさんの挫折と挑戦を経験しました。その中で学んだのは、「チャレンジし続ける大切さ」ということです。僕のストーリーが、皆さんの一歩を後押しするきっかけになれば嬉しいです。チャレンジすることを恐れず、自分の夢を追いかけてください!


ストリートサッカーを楽しむ子供と寺内選手


KoKoKaRaが寺内選手から感じた事

寺内選手の熱き挑戦の物語は、多くの読者にとって勇気と希望を与える灯台のような存在となることでしょう。彼が歩んできた道は決して平坦なものではなく、幾多の困難や葛藤を乗り越えてきたからこそ、その情熱はより一層輝きを増しています。

大学時代、サッカーを続ける意義を自問した寺内さん。そこで見出した答えは、「挑戦する人生を選ぶ」という揺るぎない決意でした。21歳という若さで海外挑戦を決断したその行動力は、並大抵のものではありません。
異国の地での経験が、彼の価値観を広げ、より大きな夢を描く力となったのです。

現在、寺内選手は千葉県流山市を拠点とする「NAGAREYAMA F.C.」で選手兼広報として、サッカーだけでなく、地域社会の発展にも貢献しています。ピッチでのプレーでは観る人の心を奮い立たせ、広報としてはクラブの魅力を多くの人々に発信し、地域とサッカー界をつなぐ架け橋として活躍しています。そのすべてに共通するのは、「自分が何をすべきか」を常に問い続け、その答えを行動に移す力強い姿勢です。

寺内選手の挑戦が、サッカーという枠を超え、地域社会に新たな文化と可能性をもたらす未来が、今、確実に動き出しています。彼の行動が示すのは、困難に直面しても、それを越えて新しい道を切り拓く力。誰かの成功に勇気をもらい、また自らがその勇気を次の誰かに伝える。そんな挑戦の連鎖が、寺内さんを中心に生まれつつあります。

KoKoKaRaは、寺内選手の熱いストーリーを通じて、一人でも多くの人に「チャレンジし続けることの大切さ」を伝えたいと願っています。彼の情熱が描く未来が、流山市とサッカー界を新しいステージへと導くその瞬間を、私たちは共に楽しみにしています!

これからもKoKoKaRaは寺内選手の今後の活動を全力で応援していきます。
さあここから!ここからいこう!


NAGAREYAMA F.C.
代表 安芸 銀二さんと寺内選手 
流山市消防本部のポスターになるなど地域から愛されているNAGAREYAMA F.C.


NAGAREYAMA F.C. 
10番 MF 寺内選手 (左)
13番 MF 板倉選手(中央)
18番 DF 加藤選手 (右)
サポーターさんのお店でオフ会の様子


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