屋久島のウミガメと、東京の雑念野郎
屋久島旅行初日。
5月20日 20 時過ぎ。
「ウミガメは、小指の爪ほどしか脳みそがないんですよ。だから全然賢くないんです。本能のままに動いてるっていう感じですね。」
ウミガメの産卵が観察できるという永田浜へと向かう車の中で、ガイドさんがそう教えてくれた。
「へぇー!すごいっすね。」と反射で驚きの声を返しつつも、
(僕は実際のところ、その情報の何に驚いたんだろう。)
と頭の片隅ではうっすら2秒前の自分を疑っている。
そして何よりも、今この瞬間自分の頭のど真ん中を支配してしまっているのは、待望の屋久島一人旅だというのに何故その初日の晩御飯にカップ焼きそばを買ってしまったんだろうという後悔だ。後悔というか困惑だ。何でこんなことをしちゃうんだろう。さっぱり訳がわからない。
車はかれこれ20分ほど海岸沿いを走り続けている。永田浜はもうすぐだ。
ガイドさんのウミガメ情報に都度都度感嘆の声を上げながら、一人旅を上手に楽しめない自分の精神性を見詰めて気持ちが落ちていく。気を紛らわそうと、車の窓から海を眺めた。少しだけ、気持ちが落ち着く。
あぁ、やっぱり海はすごいと、僕は海を眺め続ける。
海が無性に好きである。
海を眺めていると、こんな自分でもなぜか雑念がスッと減るからだ。
目に入るものをただただ純粋に綺麗だと思ったり本当に考えなくてはいけないことをナチュラルに考え込んだりできる時間は僕にとってとても素晴らしい時間で、僕の海に対する感情は軽い信仰心と言ってもいいくらいに大きなものとなっている。
だからこそ昼間体験ダイビングをした際の感動は一塩で、東京湾のように人間の営みに汚されてしまっていない純度100%な海に全身を包まれる経験は自分にとって神聖さを伴う喜びだった。
だが、そんな気持ちに反して、自分の体はその神聖な環境からの圧力に全く耐えられないようだった。潜れば潜るほどとにかく耳が痛かった。耳抜きはまるで上手にできなかった。
遠くを優雅に泳いでいくウミガメに手を振りながら、
(ここは僕の居場所じゃないんだな)
と思った。
21時半過ぎ。
永田浜の砂浜に座っている。
ウミガメ産卵を見に来た約50人(大多数が外国の方だった)と、3列に並び座って待機している。ウミガメが穴を掘り産卵を開始するまでは、少し離れて待っていないといけないらしい。1人で来ていた客は自分だけで、同世代の日本人は皆カップルで来ていた。
また、雑念。
なんだか無性に寂しく、周りから入ってくる情報や言葉にいちいち引っかかってしまう。
ここまで人に囲まれていると海パワーも通用しない。
波の動きとその音に必死に目と耳を凝らせども、雑念ばかりが頭をめぐる。
結局、ウミガメの産卵を見始めても自分はあれこれ気を取られ続けてしまった。とんだ雑念野郎である。ダイビングでは遠くにしか見えなかったウミガメがこんなに目の前にいるのに、まさに生命の神秘としか言いようがない素晴らしい瞬間を目撃しているのに、頭の中はしょうもない違和感で埋め尽くされていく。
隣のエストニア人家族は卵が出てくるたびに歓声をあげている。
そもそも、他の種の営みをこうやってジロジロ眺めてワーワー騒いでる人間という存在が謎すぎる。なんで勝手に見て勝手にWOW!とか言ってるんだ。どういうつもりで感動してるんだ。
どう進化したらこんなキテレツな生物になるんだ。
ウミガメは小指の爪ほどしか脳みそがない。
だから、思想も哲学もなく、ただただ卵を産んでいる。
3年に1度、浜に上がってきて大量の卵を産み、そしてまた海原へ帰っていく。それを死ぬ間際まで、なんの雑念も持たずに繰り返す。
その限りなくシンプルで、切実で、適切な命の燃やし方をとても美しいと思うと同時に、強く強く、自分を情けないと思った。
ごめんねウミガメ。君にとっての人生の正念場を、こんな興味本位で取り囲んでジロジロ眺めて。しかもこんな雑念だらけで。
深夜23時過ぎ。
ウミガメの命が煌めく永田浜から、虫一匹いない清潔で静かな宿へと帰る。
「このシーズンにしっかり産卵が見れることは実は珍しいんですよ!いやぁお客さんラッキーですよ!」
ガイドさんは熱心で良い人だ。車の中から海を眺めながら、
(脳みそ、いらないなぁ)
と思った。
こんな調子でグダグダ考え込んでいたら、気づけばあっという間に屋久島旅行は終わってしまった。
2日目も最終日も自分なりに精一杯屋久島を満喫したつもりだが、結果的には初日のウミガメが一番印象深かった。こういう時に、少し右肩下がりだったかもなぁと思ってしまう自分も嫌いである。
5月22日19時過ぎ。雑念だらけで飛行機に乗る。
その3時間後に僕は、スマホの機内モードを解除して滝沢ガレソの落とした爆弾を見ることになる。
別に屋久島でだってSNSは見れるが、その爆弾はなんだかとても東京的だ。
必死に生きる者達をよってたかって取り囲み、消費する。雑念まみれの、クソ大東京。
だが、そんな東京がどうしたって僕の居場所である。
僕はまんまと、SNSの渦の一部となる。
雑念の海原へと、帰っていく。
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