4月のつれづれ/“居酒屋”の月

上旬、髪を切る。

会社員時代の知り合いとタンが美味しいカウンター居酒屋に行った。
「仕事柄、新しい友達となかなか出会えないんですよ。」とその知り合いに相談していると、絶賛タン切断中の兄貴系なイケメン店長から「うちみたいなカウンタータイプの居酒屋をよく行く街で探して、一人飲みとかしてみるといいっすよ。常連さんと結構気軽に仲良くなれますし。」とアドバイスをいただいた。
これは良いことを聞いたなぁ!いやはや、社交関連の相談は居酒屋の兄貴系イケメン店長に相談するに限るぜっ!
と思っていると、そんな店長から不意打ちボム。

「まぁでも…んーー…今の髪型だとなんというか友達いりませんオーラが出ちゃってるからあんま話しかけてもらいにくいかもっすね。ほらその、だいぶ長いから。後ろ髪が特に。あはは。」

次の日、即、髪を切った。
1000円カットでがっつりツーブロック。後ろ髪ガン刈り上げ。
生物としての敗北感が僕を突き動かしていた。
兄貴系イケメン店長の言うことにゃ、なんの間違いだってありはしない。
…また行きたいな。あのお店。


中旬、青年団『S高原から』を見る。

ずっと見てみたかった劇の再演があったので見てきた。
こまばアゴラ劇場は閉館が迫っており、『S高原から』もサヨナラ公演の内の一題目であった。僕にとってはこれがラストアゴラとなる。決して通い詰めていたというわけではないが、観に行く度フレッシュにあぁ良い劇場だなぁと思っていたので、自分なりの温度感でちゃんと寂しい。

せっかくなので演劇を見たことがない我が担当編集を誘った。
開場中、舞台や天井の照明などを興味深そうに観察している担当氏の横顔を盗み見ながら(担当氏にとってはこれがファーストアゴラであり、ラストアゴラということになるんだなぁ)と思った。なんだかそれはそれでイケていて、少し羨ましい。今日を逃すと担当氏の人生には一生こまばアゴラ劇場は存在し得なかったわけなので、誘った自分を褒めてあげたいなと思った。
閉幕。拍手。
演劇のマジックがパンパンに詰まった劇であった。
サナトリウムの停滞した時間とそこでで揺れる人間の心の様をそのまま目撃してしまったような感覚で、そうだよ!これだよこれ!これこそが面白さだよ!と思った。面白い劇を見ると、一旦急激に語彙力が下がる。

劇場を出る。21時過ぎ。とりあえず二人で渋谷へと歩くことにする。
担当氏はどう思っただろうか。初めて見る演劇として適した題目だったのか、正直自信がない。演劇の面白さは詰まっていたと思うが、もっとエンタメ的なわかりやすさがある劇の方が良かったのかもしれない。
不安を抱えながら自分の感想をべらべらと話していると、
担当氏がポツリと一言、「いやぁ。コミュニケーションって本当にああいうことだよな。」と言った。あぁ、担当氏にはちゃんと届いている。
嬉しい。自分の足取りが明らかに軽くなる。
それから僕たちは、少し早めのBPMで歩きながら「あのシーンすごいよな」「あのシーンってこうだったんじゃないか」と観劇中に心に溜まった謎の感動一つ一つを丁寧に言語化していった。面白さを一つ一つ確かめていくこの時間こそが演劇を見た後には必要だ。
担当氏がどんどん劇の内容に感動していく様子が伝わってきて、頬が緩む。渋谷が近い。夜風がとても心地いい。

渋谷に着いたので感想を喋りながら適当な居酒屋に入り、感想を喋りながら適当に注文を済ます。
「あのメロンが全てだ。あのメロンがないと、あの会話はできないんだよな。」と担当氏は言う。
担当氏はすごいな。僕が初めてこういう演劇を見た時、こんなにちゃんと面白さをキャッチできてなかったと思う。
彼は日頃からとても丁寧にコミュニケーションをとる人で、その丁寧な日々の積み重ねがあのメロンを見つめる目を養ったんだと思った。素晴らしいことだな。演劇というのは、その人が演劇と出会うずっと前からその人のすぐ側に横たわっているんだ。

感想の言い合いはシームレスに、普遍的なコミュニケーションについての話へと接続し、お互いの生き方や人生の話へと拡張した。
全部録音しておけば良かったと思うほど鮮やかな会話の連続だったしその会話の勢いと深度はまだまだ加速する予感があったのだが、唐突にその素晴らしい時間は打ち切られてしまった。

「あ、すいません。うちもう閉店なんで。すいません。」

そもそも渋谷に着いたのが22時前くらいだったのに、なぜ23時閉店の店を選んでしまったんだろう。最初に頼んだ鶏のたたきすらまだ一切れ残っているし、第二陣で届いた塩焼きそばに関しては、ほぼ手付かずの状態である。
担当氏が会計をしてくれている間に塩焼きそばを食べれるだけ食べ、腹七分目で店を出る。半分残った塩焼きそばは、卓上で寂しげに佇んでいた。

あぁ悔しい。終電のことを考えても23時半くらいまでは飲んでいられたのに。
あと30分あれば、あの素晴らしい会話の行き着く先を見届けられたのに。

でも、知っている。

あの二度と手に入ることの無いあの日あの時間の30分。
あの失われた30分のおかげで、この夜は完璧な時間になったのだ。
本来、人間のコミュニケーションに“完璧“なんて存在しない。
なぜなら、コミュニケーションは破綻するまで加速し続けてしまうからだ。
心地の良いコミュニケーションは更なるコミュニケーションを呼び、そこに潜むどうしようもない隔絶を目の当たりにしてしまうまで人は止まることができない。
メガヒット映画が売れなくなるまで続編を作り続けてしまうように、酒の旨さが骨身に染みる夜ほど翌日の体調を犠牲にして酒を煽ってしまうように、完璧なところでちょうど留まるということは人間の営みにおいて決して容易いことではない。
だからこそ、23時閉店の居酒屋に入ったことはミスではなかったのだ。
物足りなかったからこそ、あの時間は完璧なまま僕の心に保存されたのだと僕は思った。まぁ僕がそう思っただけかもしれないけれど。
担当氏はあの時どう思ったのだろうか。また今度聞いてみよう。いやあえて聞かないでいてみようか。
あはは。また演劇に誘おっと。

“寂しさ“は、“完璧“の副産物だ。
ごめんね塩焼きそば。この“完璧“は、君のおかげだよ。


下旬、ただただ歩く。

先日なかなかに悲しい出来事があって、ここ一週間は予定のない夜は延々都心をぶらついている。家に帰る気にどうしてもなれないのだ。
誰かと喋りたくて仕方がないが、自分から友達に連絡をすることはなかなか出来ず、ついに一人飲みデビューでもしてやろうかとひたすらナイトシティを練り歩く。

“東京 一人飲み“と検索し、“一人飲みしやすい店〇〇選“的な記事を読み漁る。
良さげな雰囲気のビアバーが近くにあるようだからそこの前までとりあえず行ってみる。
一旦、足を止めずに店の前を通り過ぎる。通り過ぎる瞬間にチラリと店内チェック。うーん。とりあえず、すごく混んでいる。
Uターンしてもう一度前を通り過ぎる。チラリ。
んん。というか、いやこれ、他に一人客いなくないか?
え、一人飲みしやすい店?ここが?
行ったり来たり。ソワソワ。チラリ。行ったり来たり。チラリチラリ。
ついに店長、店前をうろつく不審者の存在に気づく。
バッッチリ目が合う。
一目散に逃げ去る。
ネ、ネットに嘘つかれた!あんなところ一人で入れるわけがないよ!
再び検索し、違う記事を読み漁る。
隣町にアットホームな空気が売りの和食居酒屋があるらしい。
ここから30分か。…歩こう。
歩く。歩く。
通り過ぎつつチラリ。
あ、全然空いてる!あーでもカップルが一組だけ座ってるな。
もう一度チラリ。
いやこれは結構チャンスなんじゃないか?入ったら普通に店長さんとお話しできるやつなんじゃないか?
チラリチラリ。ソワソワ。チラリ。
………。
ちょ、ちょっと、もう一駅歩くか。
記事を漁る。
こんな具合で、歩いているうちに気力が尽き電車に乗る。地元にあるバーにも当然入れず、牛丼屋で腹を満たし家に帰る。

毎度、これの繰り返しである。

気づけば街はGWだ。今日も今日とてただただ歩き、終電の時間が近づいてくる。酔っ払った人々の陽気すぎる喧騒の真隣で、無性に涙が滲む。
あぁ、なんてことだ。今僕はこんなにもやけっぱちな気持ちなのに、こんなにも世界なんてどうとでもなってしまえと思っているのに、それでも、それでも僕は、しょうもない自意識のしょうもない喧しさに負けて、居酒屋一軒にすら一人で入れない。
どんだけ後ろ髪を刈り上げても、きっと僕に友達は増えないだろう。
そして一生、ぐーぐーお腹を鳴らしながら終電に揺られるのである。
アーメン。


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