「もうひとりの自分」2023年9月6日の日記
・KIRINJIの新譜のリリース日なのだった。
・孤独〜!人間不信〜!なんでこんなにひとりなの!?ひとりじゃないと心から思える人もいるって本当!?怖〜!!!ってずっともがいていたのだが、高樹の歌に慰められてしまった。特にnestlingがグサグサ刺さる。「そういう日が来るだろう、…多分」みたいな、ちょっとばかし適当な励ましが嬉しい。
・Runner's Highは歌詞のひとつひとつから情景がフッ、フッと浮かび上がってきて俳句みたいだと思った。I♡歌舞伎町は歌詞もメロディも全てが良すぎる。seven/fourはサックスがとてもかっこいい。
・あんまり良すぎるので12月のツアーのチケットを勢いで取ってしまった。勢いで取っていい価格のチケットではないのだが、まあ…節約するか…。
・前回行ったライブは20周年記念のやつだったので、実に5年ぶりの生KIRINJIだ。
・褒められたいくせに、認めてほしいくせに、いざ褒め言葉をもらうと「本当に心からそう思っているのか?その言葉は本当に私のためのものなのか?」と心の中で刃を向けてしまう。
・社交辞令だとしても嬉しいんだよ!そういう社交辞令がなかったらなかったで「誰も私のことなど見ていない!!!」と切腹の準備を始めてしまうので…。
・私だってずっと周りの人全員のことを見ているわけではない。どちらかといえば見てないことの方が多いだろう。自分から人に対してできていないことを、人に求めてばっかりいるのは嫌だ。私には「私を見てくれ!!」と叫ぶ権利などないと思う。
・多分、もうひとりの自分を探しているのだ。1番信じられるのは自分自身だし、自分を1番可愛がれるのも自分だ。自分がもうひとりいてくれればどんなにいいだろう、もうひとりの自分を配偶者として一緒に生きていたい、と学生の頃から考えていた。
・どうやってふたりになるのか。昔は漠然と「分裂するのかな〜」と考えていたが、今はこう、完全に切り離された人間の体を持って出てきてほしいな。でも意識や思考が切り離されたらそれはもう他者でしかないので、ふたりの考えていることはリアルタイムで、こう、わかるようになっててほしい。どうやって脳みそで処理するんだ。
・別に全部の思考がリアルタイムでわからなくてもいいかもしれない。別々の仕事をこなして、その間は意識思考を切り離す。帰ってきたらふたりの記憶を統合して、ふたりとも「どっちもやった」ということにする。記憶の中では同日に複数の予定を並行してこなしたことになっている。これがわたしだけの話なら怖いけど、人間みんなが同じようにふたりの自分を使いこなしていれば不気味なことは何もない。
・でも意識を切り離している時間が長いなら、それはもう1日1回記憶を統合するだけの他者なのではないか?
・ふたりともそれぞれ毎日別の仕事をやっていたら、いくら同じ人格だとしても身体が変わってくるだろう。ひとりは睡眠不足でもうひとりはやたら筋肉ついてたりとか。持っている肉体で人格にズレが生じたりするかもしれない。一方が同じことをずっとやり続けるのは避けたほうがいいかも。
・もし世界の多くの人が2人分の肉体を使いこなしていたとしても、その中には2つの肉体をうまく使えないとか、片方の肉体が病気やけがをするとか、肉体を1つ失ってしまうとか、思考・記憶の統合ができずに完全な他者になってしまうとか、そういう問題が必ずある。2つの肉体を操る世界の方が格差は大きいかもしれないな。
・もうひとりの自分を存在させることができるのなら、自宅でこっそり分裂して、自分同士の会話を静かに楽しむくらいに留めておいたほうがいいのかもしれない。