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食との出会い①
「食との出会い」というと、ちょっと大げさですが(笑)食べることって身近にありすぎて、それについて意識的に考えることって実はあんまりないのかな、と思います。
わたしがこれまで生きてきた中で「食べること」と、どのように関わってきて、今のわたしがどのように育まれてきたのかを、書き留めておきたいと思います。
結婚するまで
子どもの頃は、いわゆる「本家」といわれるおうちで育ち、三世代で生活をしていました。
父はサラリーマンでしたが、祖父は農家をしていました。(わたしが生まれた頃には第一線からは離れていましたが)わたしが幼い頃は、まだ何ヶ所にも畑があって、お茶畑で採れた茶葉をお茶屋さんに買い取ってもらったりしていましたし、おうちには昔ながらの脱穀機など大きな農機具もいくつかありました。その農機具に石ころを入れてコロコロと回して遊ぶのがお気に入りでした。笑
その頃にはもう使われていませんでしたが、おうちの片隅に土間があって、そこにかまどがあったり、庭の一角には家畜を飼っていたであろう小屋や農産物を貯蔵しておく穴蔵?などもありました。
祖父が朝から畑仕事に行くと、10時頃に母と一緒にお茶やお茶菓子をもって畑に行くのが日常でしたし、畑で採れたお野菜中心の食事をしていたと思います。新じゃがが採れる季節になると、それを蒸したものがおやつになるのですが、それがとってもおいしかったのを今でもよく覚えています。
お餅つきも毎年年末にしていましたし、お祝い事があると母が外にある釜でお赤飯を炊いたりと、今から考えるととっても豊かな食生活を送っていました。暮らしごとの中に「食」にまつわることが普通に在ったように思います。
本家だったので人が集まることも多く、子どもの頃は2~30人くらいの親戚が一堂に会することが年に何回もあり、そのたびに母はほぼ一人でおもてなし料理を準備していました。
少し大きくなるとテーブルのセッティングやお料理やお皿を運ぶなどのお手伝いもできるようになりました。そんな様子を見て親戚のおじちゃんやおばちゃんにほめられたことは、とても記憶に残っていて、人に喜んでもらえることってこんなにも嬉しいものなんだなと感じたものです。
祖父母が亡くなったり、同じ年ごろのいとこたちの成長に伴って、集まる人数はだんだんと減っていきましたが、こういった幼い頃の生活や体験はわたしの「食」の基盤を作ってくれたと思います。
つづく