見出し画像

【エッセイ】絶望の夜空 希望の星空(7)あの山の向こうへ(前編)

あの山を越えたい。
あの山の向こうへ行きたい。
田舎町から見える山脈を眺めながら、少年時代の私はまだ見ぬ世界に夢を描いていた。
不安と恐怖が押し寄せる日常の中で、未来への希望を持ち続けたのは、山の向こうに希望を見出したから。
あの山の向こうに、自分らしく生きられる世界がある。
あの山の向こうに、自分らしく羽ばたける未来がある。
行く手を遮るように立ちふさがる山脈は、未来へと続く希望の入口でもあった。
あの山を越えたい。
あの山の向こうへ行きたい。
純粋な心に刻まれた想いは、月日の経過とともに強くなった。それは、宿命に押し潰されそうになりながらも、懸命に生きようとする小さな生命力が、心に芽生えていた証だった。
今でも思い出す。希望を頼りに生きた日々を。
今でも思い出す。未来を信じて生きようとした、あの遠い日々を。

生まれ持った個性が災いしたのか、生まれ育った環境に恵まれなかったのか、それとも、生まれた時代が悪かったのか。
私は生きることに疲れ果てた少年だった。
小学生の頃、家から一歩外に出ると、緊張で声が出なかった。授業中も手汗をかいて、先生に当てられると鼓動が早くなり、顔が真っ赤になって冷静に考えることができない。たとえ答えが浮かんでも、間違うことを恐れて回答する勇気がない。
「はい、もういいです」
この言葉で解放されることを期待していた。
おまけに、女の子みたいだと笑われた。男らしさ、女らしさが当然のように求められた時代。男子は少し粗暴なくらいが生きやすかった。
気付けばいつも顔を伏せて足速に歩いていた。誰にも見られたくなかった。誰にも笑われたくなかった。
家に帰るとグッタリして何もする気が起きない。夕方になると腹痛に悩まされ、夕食もまともに食べられない。健康診断で「軽度の栄養失調」と診断されたこともあった。
夜になると明日が来ることが不安だった。しかも、アトピーで体のあちこちが痒くてますます眠れなかった。

そんな私に追い討ちをかけたのは、高圧的な父への恐怖心だった。
父は仕事で疲労困憊だった。ストレスを常に抱え、いつも不機嫌で、感情に任せて怒鳴り散らした。
お前は何もできない、役に立たない、社会に出ても野垂れ死にするのがオチだと、吐き捨てるように言った。
日々の些細な出来事にも激高し、数軒先まで響き渡る大声で罵倒された。父の言うことに賛同し、私の考えが間違っていたと謝罪しない限り、父の怒りを収めることはできなかった。
その怒りのエネルギーは常軌を逸していた。会社でも、外出先でも、家の中でも、至る所で感情を爆発させていた。
夫婦喧嘩も絶えなかった。ゴミ箱を叩き割る父。散乱したゴミが数日間放置されていた。母のストレスがヒステリックな叫び声となり、私に浴びせられることもあった。
そしていつだったか、ある日母が、電車に乗せてあげると言い出した。電車が好きだった私は、なぜ急に出かけるのか不思議に思いながらも、母とともに家を出た。行き先は母の実家だった。何があったのかと心配する祖母に答えることもなく、縁側から外を眺める母の背中を見ながら、子供ながらに気付いた。
母も我慢をしている。自分と同じように苦しんでいる。
無言で外を眺める母の後ろ姿が、今でも記憶から離れない。

そんな小学生時代の私を支えてくれたのは、田舎町の自然と神様の存在だった。
咲く花も、吹く風も、晴れ渡る空も、すべてが私に生きる力を与えてくれた。そして、いつしか自然界のあらゆる場所に、神様の存在を感じていた。
花が咲けば、神様が「今日も頑張れ」と微笑みかけてくれた。
風が吹けば、「明日に向かって進め」と励ましてくれた。
空が晴れれば、「未来は楽しいぞ」と勇気をくれた。
そして、いつのまにか神様との対話が始まった。
悩みを打ち明け、自分の想いを伝えると、神様はいつも私を肯定してくれた。
そのままでいいんだよ。今は苦しくても、いつか必ず苦しみから解放されて、幸せを感じる日が訪れるんだよ。
私は神様との対話を通して、自らの想いに向き合い、気持ちを整理した。そして、明日を生きる力に変えた。
振り返れば、それは自分自身との対話だった。
神様は、宿命を受け入れて、希望を持って生きようとする私の心の声そのものだった。
この苦しい日々は、幸せな未来へと続いている。
この苦しい日々は、いつかきっと心の強さとなって、私を支えてくれる。
子供心に芽生えた希望。それは、どんな時でも希望を忘れない私の原点となった。
私の希望は、神様がくれたもの。
私の希望は、私自身から生まれたもの。
この希望とともに、消えることのないこの生命力の輝きとともに、私の人生は動き始めていた。
想像など及ばない過酷な未来が待っているとも知らずに。


いいなと思ったら応援しよう!