Repeat 〜繰り返しを定義してみる〜
繰り返すことは、多分いちばん大嫌いな、コズエです。こんにちは。ちなみに『残り物』を食べるのもあまり好きじゃないです(笑
子供の時から繰り返すというのはニガテだったように覚えています。ピアノを格好良く弾くのは好きでも、練習は嫌い。だてに色んな能力が中の上だったので、割りと器用に色んな事が出来た(と思っていた)ので、本当に忍耐力なし、練習大嫌い。その裏にはきっと『私はやれば出来るけど、やらないだけ』という傲慢な自分も居たことでしょう。
世界が広がるに連れ、中の上と思っていた能力も中の中、ある時は下の下。なんで分からないの?わからないことが理解できない!という人々にも会いはじめ、何がわからないのか分からない私は、まるで天地が逆転したように見えていた時期もありました。
それでも勉強し続け、失敗し続け、成功も生まれ、おとなになって。。繰り返すことの大切さを知るとともに、繰り返すことで出来上がったものは、実はまるで同じものではなく、少しずつ姿を変えた集大成になり、それは非常に美しいことも気づき始めました。今日選んだ素材は、そこから思いついた『レース』です。
レース編みは一度しかしたことがありませんが、同じ作業の繰り返しです。でも少しずつ変わり、少しずつ広がり、一つの作品になる頃には努力が全体に散らばり、全体としても、ひと目としても、輝いています。
確かにひと目ひと目は乱れがあるかもしれません。編み物はそんなものです。でも洗っているうちにバランスが取れたり。。。
でもこうして努力して出来た作品は、洗濯機で洗って乾燥機で干す、なんてことはできず、おしゃれ着洗で軽くもみ洗い、型にして干して〜と手間がかかる。
めんどくさーい!!
笑
ああ、ココがまだまだ子供の発想ですね(笑
少し話がそれましたが、視野の小さいこどもだった私は、繰り返すということが前と全く同じことをしているとか、結果も全く同じ、とかしか見えてなかったんですね。全体像が見れなかった。なんで何処にも動けない、同じことばかり続けなくちゃいけないの?まるで自分は一歩も進めない迷路にハマったみたい。
これはマインドが子供のままだと同じ視点でしか見られません。そのせいだったのですね。
そろそろ大人の視点を持って、全体像を見て、もっともっと繰り返していきたいと思います。心地よいと思うのも、繰り返されて知っていく。例えばマッサージだって、最初はくすぐったいだけなのも、神経や脳が気持ちよさを知らないから。そのうち気持ちよさを知ればリラックスできる(繰り返し)。マッサージ師を知れば、マッサージももっとリラックスして受けられる(繰り返し)。新婚の間は遠慮し合ったり、誤解し合っていたのも、時間が立てば、どこかが阿吽の呼吸(繰り返し)。お互いの不快を知るから、そこを避けるし、でも決定打を打てることはお互いが知っていて、打たないのが思いやりだけど、それだって最初から分かるわけじゃない友情や愛情(繰り返し)。
自分が快適に生きていくには、この繰り返し能力がもたらす知恵を十分に活かしていくことが大切で、新しいことばかりに手を出して刺激を求めても、その刺激が本当に快適とは限らないのです(というか、きっと快適じゃない。快適な刺激なんて求めてないものね)?
いえいえ、新しい刺激を求めるな、と言っているわけではないのです。新しい恋は何時も刺激的。新しい相手は何時も神秘的。自分の汚点も美点もさらけだすことも、いつか尻込みする時が来る。それまでには、その全てをさらけ出しても良いのかもしれない。有限だからこそ。
でも、そうして刺激ばかりを求めてきた私自身には言ってあげたい。
繰り返しの中の美も、味わってみようじゃないか。それだって、新しい蜜の味だもの。
繰り返しの定義:繰り返すことは、その場足踏みではない。その場足踏みだったとしても、その場が踏まれる毎に固くなっていく。繰り返すことは、出口のない迷路ではなく、はじめの一歩。繰り返していることは同じことを同じようにやっているように見えて、二度目、三度目は着実に変化している。ときには逆行していても、それさえも変化。左右上下(空間や時間、善悪など)の定義を外せば、逆行さえも変化。繰り返しとは変化していないという意味ではない。
素材:写真ACより
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