ぐるぐる巻きは解くに時間がかかる
1日経ちました。昨夜はよく寝られました!読むほどに混乱する、ここコロWorldへようこそ(笑。今回も書いてて思う。思考が飛ぶなー自分。。。飽きずに読んでみてください。
今日は、ふとした瞬間に思い浮かぶ言葉や感情があって、あ、でもこれ古い価値観かも!と思ったりしています。
実際のその古い価値観や強制力か?!と思うような思考パターンは、今日頂いた写真のように、もう枯れ果てた遺物かもしれないのに。
(ネット小説を良く読むんですけど、強制力、とか、生まれ変わり、とか、時間が戻る、とか、そういう言葉ってすごいですねぇ。ほんと、↑みたいなこと思いつくと、思考の強制力ここにあり!!って思っちゃう。なんかへんだぞ?って思わないと沿ってしまう。それだけオート運転になっている。)
昨日の気付きで、大どんでん返し!と思って既存の思考が変わってしまえばいいとは思うんですが、なかなかそうは行かない。獣道の開発補整舗道しかり、足元が変わったあとの揺れ(昨日はものすごい目眩に襲われてました)への慣れもしかり。
私にはどうやら3年の時間があるようなので(マヤ暦占いで出てます)、準備しようとしまいとその3年は来るんですが、喪失感に襲われて無駄にすることの無いよう、新スタートラインに並ぶまでちゃんと整えたいと思います。ビバ第2の人生!自由の人生!私の私による私だけの人生!
今回はホムペでご紹介
さて、ぐるぐる、で思ったんですが、インターステラーの中で、無重力の船内に重力をもたらすために、宇宙船(っていうの?)が回転を始めるシーンがあります。この回転をすることで重力が生じるシーンっていうのは、映画の中で時々ありますが、地球も自転しているから重力がありますね。
サーチしてて見つけた、おすすめ解説
なぜそんな話を思い出したかというと、昨日、こちらの投稿を読んでいて思ったんです (またもやご紹介させていただきます)。<未来の自分に追いつく、ということ>の部分です。
投稿の中で、霊体と実態の2つの世界空間があり、霊体世界には想像すればいける、マルチバースの世界、と書かれています。(エブエブを思い出しますね。私の長年の想い人が再ブレイクしてます。Keくんです。すっごく気にいるか、すっごく気に入らないか、見る人によって分かれると思う映画です。私はちなみに2度とも号泣しました笑)
話を戻しまして、惠御子様の投稿の中でも『相手の世界へ自分が乗り込んでいく』と書いてありました (ネット小説の転生とか、前世を思い出す~みたいなノリじゃないですか(表現が)。すごいなぁネット小説)。
ドクター・ストレンジでも、ありますね。精神世界の自分は、現実世界の自分より遥かに自由でどこにも行けて。でも体は地球上から離れていない。全部マルチバースです。
さて、これらの引用はどこにつながるか。
昨日、夫と話していたときに思ったんです。長年私達の関係は彼が風船で私が重りで、だから、彼は飛んでいかないけど自由で、私がこの家族の礎だと(算命学では、私は山で彼は太陽なんで、あながち間違ってない)。
でも本当は、風船なんかじゃなくて、この人こそ礎で、ふわふわ思想の私こそ風船(つか雲?)なんじゃないか、と。自分が家族みんなを幸せにしなくちゃいけない!と思っているようです。そんな発言がいくつかありました。それこそ礎視点の考え。この人こそ、本当に世界の中心なんじゃないか、と。もっと言ってみると、私は彼が世界の中心だと知っていた(無意識的にもしくは思い込んでいた)ために、礎だと思っていた自分を譲り渡してしまったんではないか、と。
こちらも先日紹介させていただいた投稿ですが、
「遠慮している間は誰の人生だったのか」
彼に遠慮していたつもりはないけれど、どっちかっていうと、彼が中心なんだから、彼の言うことに従ってればいいわ、と長年の間に放棄したんじゃないかな、と。そしてふわふわ浮いていた。息子と話をしていて、ふわふわしていると、何にでも対応できるじゃん?つまり、マルチバースですよ。すべてに可能性がある、のまま居られる。
と同時に、自分自身に、私ってこんな人間だったかしら、とずっと思っていたところがあって、これはまさしく結婚したあとから年々強くなる思いでした(夫も私が変わっていくさまに気づいていたようで、自分のせいで私が生きたいように生きられなくなったんじゃないか、と思っていたようです)。きっとそうやって、自分の礎を譲り渡した、放棄してきた、のでしょう。
これらを読んでみて思った私自身の素晴らしいところは、すでに未来に追いつくすべを知っていた自分。アホだなーと思ったのは、その代わり、礎を他人(夫)に任せたこと。風船か礎か、どちらかしかしなくていい、と思ったこと。
お前は自身が礎でもあることを知るべきだ。礎になるには、地に足をつけなくちゃならん。地球は回っている。だから重力がある。地に足をつけるには、まず重力があると気づけよ(思い出せよ)、が昨日の目眩だったのかもしれません(インターステラー内で、回転が始まって船酔いする乗務員がいる、あの気持の昨日)。
礎も風船も、自分であれ (正確には風船ですら無く、繋がり方ってのは、エブエブの感じがすごくわかりやすいと思います。マルチバースにいる特定の自分につながるためのスイッチというのがあって、それをして、ボタンを押すと、その自分が憑依?するという繋がり方です)
彼は私の世界へ乗り込んではいけないし、私は彼に遠慮して彼の人生を送るわけに行かない。だから、両方自分でなくちゃいけないんだと思います。
片手間だった私へ。欲張りな私へ。
全部手に入れる時間が来たっていうなら、手に入れようじゃないか。
まずは、枯れちゃったぐるぐる巻の古い蔦(という観念を)自覚してお片付けしよう。
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