結局、最初も最後も自分。
直感は割と大事にするコズエです。こんにちは。
例えば、世の中から見れば不幸な人がいて、世の中から見れば幸せな人がいて、可愛そうだね、残念だね、しあわせだね、良かったね、と言う。
同時に、誰もその人自身が本当にどう感じているのかは、その人以外には決して分からないのに、私達はお互いにそう言い合う。
でも、私自身までも色眼鏡を着けていたら、いつまでも自分のことすらわからない。。と何年も前に言われたことが、今朝腑に落ちました。
そこに至る前に出会った言葉は
「無理をしない」
「自分が一番大事」
「自分大好き」
もちろんこれは他の人のことや過去のことだったんですが、言葉というのは本当に不思議。なぜなら、ちゃんと戻ってくるんです。(映画『テネット』を見ながらこれを書いているのも面白い偶然)
数日前から寝付きは悪いし寝続けないし、日中のエネルギーは振り切れていたことがありまして、そうなると夕飯もどうでもいいし、スキンケアなんてもってのほか(なのに寝られない。。。)。そんな些細なことすら、睡眠が1晩足りなかっただけで、億劫になるんだなと改めて感じたのが数日前。
そして今朝、周りから見た幸せなんていうのは、自分から見て幸せじゃないなら、なんの意味も持たないな、と知りました。
睡眠が足りてこそ(つまり自分自身が満たされる)、日常が送れ(日々の感情を自分が感じられる)、それを悪くしたり良くしたり(未来を良くしたり悪くしたり)できる。
睡眠をちゃんと取れるのも、つまり自分を満たすのも自分。こうすれば寝れるよ、睡眠薬もあるかもしれない、でも、その工夫の結果も、自分。
周りがあなたは幸せね、と言うから、不満を言ってはいけない。そう思い続けて、一緒にいる人の好みに合わせて自分を変えすぎて自分の足元すら崩れていたことにも気づかず、ぬるま湯から出られなかった数年間の私。
足元が崩れていれば、ぬるま湯が心地いいからだけでなく、その不安が心からわかってくるから、無い足元に立てるわけがなかった。
どれだけ幸せそうに見えても、文句を言っても良い。我儘言っても、夢を見ても、それを叶える努力をしてもいい。それが誰の好みに沿わなくても、誰がそれを反対しようとも。
結局自分で生まれ、自分が死ぬまで、最初から最後まで自分、しかない。
でも、本当は、動きたくなかったから私は誰かのせいにしつつ、同時に罪悪感を持ちながら、被害妄想もしてた。ぬるま湯を入れたのも、そこに入ったのも、足元を崩したのも全部自分で。自分が一番自分を大事にしてなかった。
だからこの言葉が、自分に戻ってきました。
「無理をしない」
「自分が一番大事」
「自分大好き」
テネットは、時間の逆行がテーマですが、前に進んでいるつもりが逆行していると、とても不自然です。そして逆光の中進んでいかなくてはならない、そのビジュアルがすごく興味深いです。
未来から過去に戻ってやり直す、というのは、その不自然さくらいギクシャクで、時間がかかり、成功するかもわからない。
それなら、今過ぎてきた過去を、過去に戻って生き直すのではなく、今日今ここから、前に向かってスムーズな変貌を目指してスタートするのも、また自分の決断です、ね。