君と夏が鉄塔の上
私の好きな季節は冬だった。冷えきった空気が好きで、年中冬ならいいのにと思っていた。しかしこの本を読む度に夏が恋しくなる。暑くて鬱陶しくて、でも嫌いになれないこの季節にずっといたいと思うのだ。この小説の背景描写はとても詳細なので簡単に思い浮かぶ。登場人物が見えている世界だけでなく、第三者視点からみた彼らの背景の映像まで頭の中に思い描けるのだ。
そして小さい頃の私にとってはあっという間であった夏休みという期間で友情を築き目標を達成する彼らをみて、私も夏を満喫しなければと感じるのだ。伊達くんのように外に出て鉄塔とその後ろの空を眺めてみたい。木場くんのように市民プールで安っぽいアメリカンドッグを頬張ってみたい。帆月のようにいつか後悔しないために楽しいことを手当り次第精一杯楽しんでみたい。この夏の瞬間を一時も無駄にしたく無くなるのだ。
彼らが本当の友達になるまでの長い時間で茹だる夏の日を感じる。全てを吹っ切って空を飛ぶ瞬間に夏の疾走感がある。この小説の中には夏を全て凝縮したかのような充足感があった。また、伊達の感じる暑さを帆月のパチパチと弾ける爽やかさが一蹴するような2人の関係性は甘酸っぱく心地が良かった。
その帆月が「忘れたくないし、忘れられたくない」と涙を流す場面は特にキラキラしていた。この場面で「ぽたり、と透明な雫が弾ける」という表現がある。ここで、これまでビー玉のように爽やかで輝いていた彼女がパリンと本音を漏らす様が弾けるという言葉で伝わってきた。忘れたくないと思う瞬間は私にも沢山あった。でもそのひと握りしか覚えていられない。それでもその瞬間に真に向き合うことが大切なのだと気づくことが出来た。
その後、鉄塔について解説して励ます伊達くんの言葉が好きだった。人との繋がりを切ることはとても簡単で一瞬である。それでも実は遠くの人とも鉄塔で繋がり同じ空を見ていられるということは、みんなとずっと繋がっていられるということだ。友達との距離を感じることもあるけれど、私とその人との間の鉄塔は全く動かないと思うと心強く思えた。
彼らが出会えたのは鉄塔の上に不思議な少年がいたから。彼らの夏の物語が走り始めたのはそこに鉄塔がたっていたから。全てのきっかけが、日頃多くの人が目にとめない鉄塔にあったことでこのタイトルの素敵さに気がついた。あの細い骨組みの上に大きな夢と夏の全てが乗っかっているようなこの小説を読んでから、鉄塔を見上げることがとても楽しくなった。もちろん私の見上げる鉄塔に少年はいない。それでも真っ青な空と涼しげに佇む鉄塔を見ると胸が高鳴り私の冒険が始まるような気がしてしまうのだ。
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