障害者の親として思うこと/写真が手放せない
現在7才で車椅子の息子は、7年前に脊髄髄膜瘤で生まれました。
障害者の親としての私自身の、片付けの話です。
片付けが苦手な私ですが、
とくに片付けられないものがあります。
それは息子の写真です。
クローゼットの一角に、ダンボールに突っ込んだままの息子の写真が大量にあります。
息子が生まれて1才ぐらいまでは、手術を十数回し、もしかしたら明日には死んでしまうかもしれないという思いがあり、私は、息子の写真を撮りまくりました。
息子にはもう二度と会えないかもしれないと思うと、撮らずにいられなかったのです。
さらに撮った写真をデータに残すだけでは不安で、わざわざ現像し保管していました。
それがたまりにたまって、管理できなくなり、結局、ダンボールに突っ込んで、それがクローゼットの一角に居座っています。
で、クローゼットを開けるたびに、息子の写真を詰め込んだ重たーいダンボールが目に入るので、いつか片付けなきゃと思うのですが、全く動けず。
そこで、先日、オンラインサロンを通じてミニマリストの方に会う機会があったので、「子供の写真が片付けられない」と相談をしました。
私はてっきり、ミニマリストの方なら、写真の片付け方法の技法を教えてもらえるものだと思ったら、なんと、「今は手放さなくてもいい」ということばをかけてもらいました。
意外意外。
ミニマリストの方といえば、さあ片付けましょう、不要なものは全部手放しましょう、みたいなイメージを持っていたのですが、「手放せないのであれば手放さなくてもよい」と言われたことにあ然。
写真などの気持ち的に手放しづらいものは、いつか、自然と手放せるタイミングがくる。
いまはまだ手放すタイミングがきていないので、手放さなくてもよい、と教えてもらいました。
その言葉を聞いて、私は、気が付きました。
そうか、私は、息子の写真を手放せないんじゃないんだ。
写真に絡みついている、私の心の中の感情が手放せなんだ。
なぜなら、
息子の写真は、形としてはただの写真で紙切れなんですが、
この写真には私の感情がべっとりと絡みついているんです。
この写真を撮ったころの私は息子が死ぬかもしれないと不安や恐怖でいっぱいで、でも弱音を吐けなかったので孤独でした。
その、不安とか、恐怖とか、孤独とか、弱音を吐けなかった自分を認めたくなくて、息子の写真に負の感情を絡みつけてダンボールに押し込んだものだから、捨てることができなかったんです。
なにしろ、これは写真ではなくて、私の感情で、私の心の一部だから。
さすがミニマリストさんです。
たった一言で救ってもらえました。
いつか私が、
7年前に感じた、不安とか孤独の自分の感情を認めて、整理できたら、手放せるんだと思います。
気持ちを整理できる日が、いつ来るのかは分からないのですが。
それまではクローゼットの一角に、息子の写真は、どーんと居座ってもらおうと思います。
(追伸)
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