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障害児の親の欲望
我が家の息子は、脊髄髄膜瘤という病気で生まれたので、生まれつき自分で立つことも歩くこともできません。
いま息子は10歳になるんですが、車椅子で生活をしています。
今回は、子供に対する親の欲望というのは底なし沼だなという話をします。
昨日、リハビリに行ったんですが。
車椅子の息子は、リハビリを定期的に行っていて。
今は、月に3回ほど、市内のこども医療福祉センターに行っています。
で、車椅子の息子のリハビリなんですが、最近は、立って歩く練習をしているんですよね。
生まれつき足の力が弱い息子は、足の筋肉のようなものが感じられなくて。言葉にすると、ふにゃふにゃしているので。
ふにゃふにゃしている足は、体を支えて立つイメージが湧かないのですが。
10歳になった頃から、ふにゃふにゃから成長し、少し筋肉がついてきたのか。
膝まであるゴツくて金属がバリバリついている装具を履けば、一瞬なんですけど、立つことができるようになってきました。
その勢いで、最近は、歩く練習もしているんですけど。
昨日は、なんと、10メートルくらいを一人で歩いたんですよね。
まあ、歩いたといっても。
金属たくさんのゴツい装具の力を借りて、リハビリの先生の指導のもとで、段差も何もないリハビリ室の床を歩いたということですので。
一般道を歩くのとは全く違うんですが。
それでも親としては、
「立てなかった息子が立った!」
「息子が10メートルも歩けるようになった!!!」
と内心は大喜びでして。
まさに、
「クララが立った!クララが立った!!」
と同じ感動を味わっていました。
で、歩けなかった息子がリハビリ室で歩いた姿を見た私が、次に何が思い浮かんだいうと。
「もしかして、将来は、車椅子なしで、歩けるのでは?」
ということが、頭をよぎったんですね。
そのことに、親の欲望というのは、底なし沼だなと自分でもびっくりしてしまいました。
というのも、息子は。
0歳の時に、何度か死にそうになったんですが。
0歳で死にそうな時は、
「寝たきりでも何でもいいから、生きていてほしい」
と本気で願っていまして。
息子が1歳まで生き延びると、
「寝たきりではなくて、おすわりまで出来ないかな」
と願うようになり。
おすわりができるようになると、今度は、
「車椅子に乗れるくらいの座位を保てないかな」
と欲望が広がり。
そこから、車椅子に乗れるくらいに成長したら、今は、
「歩いてほしい」
まで欲望がどんどんどんどん広がるんですね。
うーーーん。
ただただ生きていて欲しいと純粋に願っていた0歳の時から比べると。
欲望が大きくなっています。
一方、息子の方は。
「歩くのはきつい。車椅子で十分」
という様子で。
リハビリ以外では一歩も歩かず、
歩くことには後ろ向きです。
そんな、歩くことに後ろ向きな息子を見ていると。
うっかり、
「やれば歩けるんだから、歩くんだ!!!」
と、思わず叱咤激突してしまいそうになるんですが。
歩いて欲しいというのは、親の私のただの願望で、
息子の願望ではないので。
自分の「息子が車椅子なしで歩いて欲しい」という欲望を抑えるのに必死です。
というわけで。
0歳の時は、息子には、ただただ生きていてほしいと願っていたのですが。
10歳になり筋力もついてきた息子は、ゴツゴツ装具とリハビリの先生の指導で、10メートルほど歩けるようになってきまして。
そうしたら、「車椅子なしで、歩けるようになってほしい」と途方もない欲望が湧いてしまいました。
本当に、親の欲望というのは底なし沼だなと思いましたね。
この欲望は私の欲望なので、現実化させないように必死です。
でも、親として、心の中でそっと。
「いつか歩いて欲しいな」と願ったり。
希望を持ったりするだけならいいですよね。
(追伸)
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