「身の丈童貞」
おはようございます。
noteとはコーヒーのようですよね。
コーヒーは豆によって味が違います、noteは書く人によって内容が違います。
コーヒーの良さは、一杯の中にたくさんの楽しみがあることです。
香りを楽しみ、少しの酸味と、隠れたコク、最後に苦みを感じる、そんなnoteを目指しています。
私のエスプレッソをご堪能ください。
私は人より優れているものがない。この分野では必ず勝てるという実力やスキルもない。
いわゆる、
劣等感というのを日々感じている。
劣等感が生じるのは周りの人と自分を比較しているからである。
しかし、
大事なことは常に比較すべき対象が、
「理想の自分」でなくてはならないこと。
自分が求めるものや姿に近づく努力することが大事なことである。
周りの人間と比較することは決して悪いことではないと思うが、理想の自分と比較し近づく努力が一番大事であるということも、最近はなんとなく理解してきた。
私は影響を受けやすいタイプであり、本一つで大きな影響をうけてしまう、これといった信念などもまだない、何が正解か分からない中、とりあえずやってみる精神で生活している。
そんな中ある言葉に出会った。
「社会に出て働けば、様々な問題やトラブルに直面する。
現実の不合理・不条理を知る。
そこで人の価値は試される。
それを知らずに意識が高いだけでは、本当の自分の実力を知らずに満足している「身の丈童貞」なのだ。」
「身の丈童貞」
初めてみた言葉だった。
自分の実力やスキルを知らない人であると解釈した。
無論、私は意識高い系ではない。
そんなの分かってる、という声が聞こえくる。何を基準に意識高い系と区別しているかわからないが、意識高い系とは程遠い人間である。
そんな私は、ただの「身の丈童貞」である。
自分の身の丈を知らないからである。
でも、「身の丈童貞」だからこそ、良い側面もある。
未来のことはわからない。
夢や目標を達成するかもしれないし、達成することができないかもしれない、今の夢や目標が変わることもある。どんな形であれ、いつかは自分の身の丈を知ることになる。
夢や目標が達成できなくて、身の丈を知ることになるかもしれない。人生はこんなものなんだと感じるかもしれない。
でも、それは敗北ではない。
”自分の身の丈を知る“だけの話である。
最終的には、自分がもってる実力以上のもは手にいれることはできない。
いつかは身の丈を知り、落ち着くことになるだろう。落ち着いた時に、自分自身が納得できる身の丈でいたい。
いつかは身の丈を知ることになる、
それが本当なら、今やれることを精一杯努力して、少しでも大きい自分に会いたい。
地に足がついていない私が、理想論を語っています。現時点では私の夢や目標はただの空論です。口ばかりが先行してはただの自己満足です。
理想の自分と比較し、実力やスキルをつける努力をし、いつか身の丈童貞を卒業します。
大味なコーヒーとなってしまいました。
ただのインプットは、インスタンコーヒーと同じです。
何を書いてるかわからなくなってきました、成長していきます。
ありがとうございました。
HARUKICHIさんのブログです