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エッセイ【美術コンプレックス】

「アート」と聞くと、芸術的センスはもちろん作品を作る能力も絵を描く力もないと、「美術コンプレックスの塊」のような自分が顔を出す。

美術コンプレックスの始まりは、幼稚園の時。あれはたしか年長クラスで、もうすぐ父の日の参観日があるから「お父さんに紙粘土でプレゼントを作りましょう」と真っ白な紙粘土を渡された日の記憶。あの頃、世の中のお父さんたちはほとんどみんな煙草を吸っていた。だから先生は「灰皿を作ると良い」と、子どもたちに言ったのだ。でも、私の父は煙草は吸わない。

みんなが嬉々として灰皿を作る中、なにを作ればよいのかまったくわからず、ただひとり紙粘土をこねながら泣きたい気持ちになっていた。困った私は、紙粘土が固まる寸前にただデコボコとした灰皿もどきを作った。

こんなものをお父さんにプレゼントするなんて……あの時の重たい気持ちと、「アート」の言葉から引き出される「美術コンプレックス」は繋がっている。

美術コンプレックスの塊の私から生まれた子どもたちは、どういうわけか3人とも美術好きに育った。それぞれ個性的な作品を柔軟な発想で作る。他の子が何を作っているかなんておかまいなし。独自の世界観をもとに作られる様々な作品たち。なんだかよくわからない不思議な作品も、満面の笑みで「ママのために作ったよ」と渡されると嬉しくなる。

我が子が作品を作る姿勢を見ていて気づいた。私に足りなかったのは、美術的なセンスではなく、まわりに左右されない、「ねばならない」に縛られない発想力と、作ることプレゼントすることそのものを楽しむ力だったのかも。
先生が「灰皿」と言い、みんなが「灰皿」を作っていることにとらわれ過ぎて、頭の中が「灰皿」に支配されてしまっていた。頭ががちがちになって固まっていたあの日の私に
「もっと楽しんでいいんだよ。笑顔で渡せば喜んでもらえたはずだよ」
そう教えてあげたい。そしたらもっと「アート」が楽しめる子ども時代になっただろうなあ。

★エッセイの元になった課題本

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kokko☆ハート・カウンセラー
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